映画音楽は現代のクラシック[前篇] ジョン・マウチェリさん(指揮者)
記事:白水社
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レストラン、スポーツ、編み物、政治、ペットの扱い方、公衆衛生、洗剤、映画、縦列駐車、天気。どれも格好の話題であり、人はすべからく一家言持っているはずだ。ところが、芸術、なかでもクラシック音楽について尋ねると、たいていは「よくわからない」という答えが返ってくる。不思議なのはそうした答えだ。実はみな、必要なことは全部知っているのだ。芸術というのは学校で習って理解するようなものではない。なかでも音楽はもっとも個人的な体験であり、かつもっとも普遍的なものだ。人は日々、生活の中で音楽を知り、音楽に囲まれて生活し、そして音楽はひとりひとりの中に息づいている。
こうした状況下で楽観論が生まれるとすれば、それはオーケストラの中でどんどん増えつつある若い世代の音楽家たちが、ここへ来て、こうした「失われたレパートリー」を少しずつ受け入れ始めていることだ。『スター・ウォーズ』封切り後に生まれた演奏家たちがオーケストラのメンバーの多くを占める中、子供の頃に聴いた音楽──そもそも彼らの多くが音楽家になるきっかけを作った音楽──の演奏を心から楽しむ気持ちが彼らの中で膨らみつつある。2020年にはウィーン・フィルがジョン・ウィリアムズの音楽を演奏し、88歳の作曲家に敬意を表した。これは大したことのはずである。多くの音楽家はベートーヴェンを聴く前にジョン・ウィリアムズの音楽を耳にしている。1990年代には、オーケストラの団員はどの音楽院を出たとしても、「あれはつまらない音楽だ」と言われ、ハリウッドの「映画音楽」を演奏することに大きな抵抗があった。しかし、重大な転換点を迎えたのかもしれない。1975年以降に生まれた大人たちは、ジョン・ウィリアムズらの音楽に馴染んでいて青春時代に聴きまくっていたから、たとえ高名な評論家先生から「恥ずかしい趣味」だと言われたとしても、そうした音楽との絆の強さは揺らがない。
【John Williams & Wiener Philharmoniker – "Main Title" from "Star Wars: A New Hope"】
ハリウッドの映画音楽の基礎を築いた成金のユダヤ系移民に対する、あからさまな敵意と思われるものは、その後数年を経て、アメリカ生まれの(ただし依然として「ユダヤ系」と見なされた)作曲家たちが書いた音楽全般を軽んじる風潮へと変化していった。若い世代の映画音楽の作曲家たちを受け入れないひとつの「理由」とされたのは、彼らが(映画学校の出身者であり)本物の音楽院できちんとした教育を受けていないというものだった。もちろん、彼らが──現役の作曲家の弟子になるのではなく──音楽院で教育を受けようとしていたら、教授連中と常にぶつかっただろうし、映画の世界で成功するには不可欠な膨大な数の楽曲をすべて忘れるよう迫られただろう。
21世紀に入ると、ロック・ミュージックを演奏した経験を持つ音楽家が映画音楽を作曲するようになった。ハワード・ショア(『ザ・フライ』、『ロード・オブ・ザ・リング』、『ダウト〜あるカトリック学校で〜』)、ハンス・ジマー(『ライオン・キング』、『グラディエーター』、『ダークナイト』)、ダニー・エルフマン(『バットマン』、『シザーハンズ』、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』)などだ。彼らには本格的な作曲をする資格がないと決めつけるスノッブもいて、それは2017年に私がエルフマンのヴァイオリン協奏曲の世界初演の準備をしていた時に、アンドレ・プレヴィンと交わした会話のそもそもの原因だった。「エルフマンって誰だい」と聞かれた私が、経歴などを説明していると、その途中でプレヴィンは、「ああ、ウィスラーね」と言う。「ウィスラーって何ですか」と私が尋ねると、プレヴィンいわく、「思いついた旋律を口笛で奏でると、お付きのアレンジャーが曲にしてくれるんだ」。私が、エルフマンはすべての音符を自分で書いているし、これまで私が一緒に仕事をしてきた音楽家のなかでももっとも鋭敏な耳の持ち主であると弁護したにもかかわらず、プレヴィンはいっこうに納得しなかった(1928年に、ガーシュウィンの『パリのアメリカ人』の世界初演が行なわれた時、アシスタントのほうが作曲家自身よりも曲についてよく知っているらしいという噂が出て、なかなか消えなかった)。もっとも、一般の人々はこうした「内輪の話」に興味を示さない。みな、音楽が大好きなのだ)。
【Howard Shore: A Composer's Dream】
【Hans Zimmer: The 60 Minutes Interview】
【"Poor Jack" by Danny Elfman (Nightmare Before Christmas Live @ The Hollywood Bowl 10-28-2016)】
イタリアでは最近になって、イタロ・モンテメッツィ、リッカルド・ザンドナーイ、アルフレード・カゼッラ、ピエートロ・マスカーニ、フランコ・アルファーノといった作曲家の、第2次世界大戦前のオペラがいくつか舞台にかけられるようになった。そして少なくともそのひとり、マルコ・トゥティーノはプッチーニにならい、イタリアオペラの伝統を引き継ぐ曲を書いている。2018年にベルリンで上演されたコルンゴルトの歌劇『ヘリアーネの奇跡』が大成功を収めたのを受けて、ベルリンでは次シーズン以降の再演がただちに決まり、ドイツ中の歌劇場で上演が計画されている。ドイツでの批評は、同作品が2007年にロンドンのマスコミからこき下ろされたのとは正反対だった。突如として、コルンゴルトのオペラが傑作の仲間入りをし、ある批評家の言葉を借りれば、「間違いなく再発見に値する」とされたのである。これは、大戦後にレパートリーから排除した音楽を、ヨーロッパが率先して見直そうとしていることの表れなのかもしれない。そんな中、アメリカでは、2018年のピューリッツァー賞の音楽部門が、例年のようにセリー音楽やミニマル・ミュージックの作曲家ではなく、ラップミュージシャンのケンドリック・ラマーを受賞者に選んだ。こうした出来事は、再生と再定義に向けた最初のステップである。しかし、これはあくまで始まりにすぎない。
【Classical Composer Analyzes Kendrick Lamar】
【ジョン・マウチェリ『二十世紀のクラシック音楽を取り戻す 三度の戦争は音楽に何をしたか』より】