映画音楽は現代のクラシック[後篇] ジョン・マウチェリさん(指揮者)
記事:白水社
記事:白水社
50年にわたり、非常に多くの偉大な作曲家の音楽が歴史から跡形もなく消去されてきた。それがどのような時代を招いたか、次の事例を見て考えてみてほしい。2014年8月31日、1962年から68年までロサンゼルス・フィルの音楽監督を務めた指揮者のズービン・メータは、「ニューヨーク・タイムズ」紙の記事で次のように語っている。「[最近聴きに行ったコンサートは]たくさんの古い映画音楽の断片をいくつも紹介するというか、改めて紹介するというものでした。ミクローシュ・ロージャ、ブロニスラフ・ケイパー、エーリヒ・コルンゴルト、マックス・スタイナーといった人たちの音楽です。みんなすばらしい作曲家でした。彼らの多くはヒトラーのヨーロッパを逃れてきた人々で、ハリウッドで生計を立てていました。一晩すごく楽しめましたし、私にとっては非常にためになりました」。メータは、こうした作曲家が良い音楽家でヒトラーから逃れてきた人々だということを知って「ためになる」と思ったのだ。
【Beethoven: Symphony No. 3 / Mehta · Berliner Philharmoniker】
「ニューヨーク・タイムズ」紙によると、音楽学者・指揮者で大学の学長でもあったレオン・ボットスタインは、2019年にコルンゴルトの歌劇『ヘリアーネの奇跡』──1992年に私がベルリンでデッカに録音したオペラ──のアメリカ初演について、「私たちみなにとって大発見だ」と発言している。さらに、すっかり驚いた彼の発言が続く。「[コルンゴルトの]この映画音楽は一体どこから来たのだろう。どうやってまとめ上げたんだろう」。まとめあげる? きっと「作曲する」というつもりだったのだろう。その後記事の中で、ボットスタインはコルンゴルトが1944年に作曲した『2つの世界の狭間に』のための音楽について、「[これは]非常に珍しい音楽だ。(中略)どことなくポストモダンな雰囲気がある」と語っている。ポストモダン? 奇怪な主張をすれば、コルンゴルトの音楽が突然受け入れられるようになるとでも言うのだろうか。
【THE MIRACLE OF HELIANE (DAS WUNDER DER HELIANE) Bard SummerScape Opera 2019】
人は15歳になる前に、自分が生涯聴き続けることになる曲のリストができ始める。もっとも、音楽とその驚くべき歴史から学べることは常に増え続ける。幸い、映画を見に行ったり、テレビを見たりして新たな情報に接することができるし、あるいは親戚のおばさんがコンサートやオペラに連れて行ってくれるかもしれない。みなさんが聴いた音楽はみなさんの人生を織り上げる糸となり、自分より前に生を受けて音楽に耳を傾けてきた、想像も付かぬほど多くの人々の人生につながっていくのだ。
私の世代──私はその先頭集団として生まれたのを誇りに思っている──をいまさらベビーブーマーと呼ぶのはいかがなものだろうか。私の世代の人数が多いからそう呼ばれているわけだが、単に人口統計グラフが大きく膨らんでいるというだけで、今では無情にも人生のフィナーレに向かって突き進んでいる。しかし、なぜこのような巨大な団塊の世代が存在するのかと考える人がいるかもしれない。私たちの世代は「平和の子」だ【●注記】。私たちの母親が私たちを身ごもったのは、戦争が終わり、どのようなかたちであれ全体主義を拒んだ人々が勝利を収めたのを親たちが確信した時代である。アメリカで生まれた者の多くは幸福な子供時代を送った。腹が空いて泣き声を上げれば、食べ物を口にすることができた。
だからといって、私たちは傷ついたことがないというわけではない。戦争を経験していないから、軽薄で思いやりがない人間だというわけでもない。私たちの多くは、自分たちの時代の音楽を大切にしているし(大切にしすぎかもしれない)、公正さだけでなく、判断の透明性をもたらすような客観性を追求したいと考えている。そして、私たちが死ぬ前に、社会全体として自分たちが生きた時代の償いをするよう義務づけられているのだ。
皆さんが本書をいつどこで読んでいるとしても、今この瞬間に作曲され、この時代と場所を象徴する音楽が存在する。自分で自分の音楽を見つけ、音楽を伴侶として人生を生き抜き、音楽が自分の生涯の一部になる、そんな15歳が今この瞬間にもいるはずだ。彼ら若者は私が聴いたよりも多種多様な、そしてドビュッシーやデューク・エリントンが聴いたよりもはるかに多種多様な音楽を聴くだろう。それがどのような音楽であろうと、それは彼らの音楽であり、自分の音楽だと思える音楽は偉大な音楽である。彼らとその音楽との間に切っても切れない関係が生まれるからだ。音楽は彼らの中で共鳴し続け、今は亡き未来派の人々が予想したような未来を遠ざけるだろう。私たちは未来派の人々に対して、こんな音楽はつまらない、と言えるし、その理由をいくつでもあげることができる。もっとも宇宙空間で話しているのと同じで、何を言っても彼らの耳には届かないだろうが。
【Debussy - Ellington - Strauss | Jonathan Nott, Marc Perrenoud, Orchestre de la Suisse Romande】
最後に残る課題は、私たちがこうした15歳の世界を音楽の源流へとしっかりと「つなぐ」ことができるかどうかだ。それは文字通り「つなぐ」作業であり、20世紀を通り抜け、音楽の源流が彼らの人生にしっかりと流れ込むようにしなければならない。ブラームスやワーグナーの世界からジョン・ウィリアムズ、ダニー・エルフマン、そしてオースティン・ウィントリーのゲーム音楽の世界へと続く旅をするのは、実際には造作もないことだ。耳を傾ければよいだけなのだから。
【Austin Wintory“JOURNEY” - Complete score with text commentary】
【ジョン・マウチェリ『二十世紀のクラシック音楽を取り戻す 三度の戦争は音楽に何をしたか』より「平和の子供たち」全文紹介】