人道主義に支配された難民支援を超えて:『難民』
記事:明石書店
記事:明石書店
本書は、難民研究の大家でオックスフォード大学の教授であるアレクサンダー・ベッツ(政治学/国際関係論)とポール・コリアー(経済学)による力作である。
ベッツは非常に若い頃から頭角を表し、オックスフォード大学難民研究センター長を二度務めると同時に、難民経済プログラムを発足させた。また、彼は既存のマスメディアはもちろん、SNSでも活躍するインフルエンサーでもある。
筆者はベッツと似通った専門領域である、国際政治と難民支援の関わりについて研究している。実際彼とは10年来の親交があり、その間共著を執筆した経験もある。よって、この書評は特に(国際)政治学の観点からとなることをお許しいただきたい。
さて、本書は、難民支援のあり方を開発援助のアプローチから探るものである。今日の世界における難民、より厳密には、国際的な保護を必要とする人々は1億人を超える。この中には、戦禍などを逃れて国外に脱出する人々、同じく避難するも国外に脱出できない人々(国内避難民)、国籍を与えられず「存在しない人」として扱われる人々(無国籍者)などが含まれる。このような人々の7割から8割は、いわゆる「グローバル・サウス」の国々に留まっている。この現状を踏まえ、ベッツとコリアーはヨルダン政府の依頼を受け、難民が経済活動を自律的に行うことができる「難民(経済)特区(special zone)」の設置を提案し、受け入れられた。
筆者がみるところ、この「特区」案は、確かに難民支援の側面もあるものの、それ以上に、難民を受け入れざるを得ないが政治経済システムが不安定な途上国に向けた開発援助の一つの形態である。もともと脆弱なホスト国の経済が難民受け入れによってさらに不安定化してしまうと、当の難民や受け入れ社会の人々の双方にとって不利益が生じる。実際、この問題は途上国に限らず先進国でも起こっている。しかし、とりわけ貧しい国では経済、社会的混乱が政情の不安定化に結びつきやすい。そうであるからこそ、国際的な支援が必要となるというわけだ。
この、プラグマティックな解決策は世界に熱狂的に支持されたが、同時に、極めて論争的な反応も引き起こした。本書の原書版は2017年に発刊されたが、その直後から、「難民を受け入れ国に根付かせるのか」「難民の権利をないがしろにして所定の地域で働かせるのか」といった、保守派、リベラル派双方からの批判を受けた。しかし、筆者はこれらの批判はベッツたちが本書を著した本質的な目的、彼らの真の問題提起を踏まえていないものと考える。本書の本当の趣旨は、その副題にある「行き詰まる難民制度」、原題では、”broken system(壊れたシステム)”にいかに対処するか、広く問いかけることにある。そして、「特区」のアイディアは、その処方箋の一つとして提案されているに過ぎないのだ。
「行き詰まる難民制度」とはいったい何のことだろうか。それは、今日の難民受け入れのための国際協力体制が時代遅れである、という評価に尽きる。本書は、いわゆる難民条約(1951年制定、1967年改正)を支柱に置く国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)が主導する難民受け入れ体制は、もはや現実の難民問題の対応策としては十分に機能しないと明確に指摘する。まず、この難民条約は第二次世界大戦中、戦後のヨーロッパ人(多くはヨーロッパ在住のユダヤ人)の難民を保護することを目的としたものであった。1960年代、日本やインドを含むアジア諸国は、条約がアジアの難民問題にも対応できるような改正を望んだ。しかし、当時の国際政治の力学においてそれは容認されなかった。だから、日本を含む多くのアジア諸国は敢えて改正条約に調印しなかった。現在も東南アジア、南アジアの多くの国が調印していないのはこの理由に端を発する。それなのに、西側諸国はこうした過去の歴史を忘れ、アジアの国々を啓発すれば調印を促すことができるという。この発想は教条主義的であるばかりでなく、何ら有効な解決策をも生み出さない。
それでは、難民条約の批准国であれば十分な国際協力が可能なのか、というと、これもまたうまくいっていない。その理由のひとつは、条約改正によって保護すべき難民の定義が非常に狭いままだからだ。現在、多くの西側先進国では、補完的保護や一時的保護といったような人道的配慮に基づく難民の受け入れ枠を設けている。しかし、多くの国は国益に照らした外交政策としてこの枠を利用したがり、他国との協力関係構築には及び腰だ。2022年以降、ウクライナからの難民に対しては、欧州諸国をはじめとする比較的寛大で迅速な受け入れ体制が可能となったが、これはむしろ例外だ。他方、2015年のシリア難民危機の際は、本書第3章で詳しく経緯が説明されているように、ドイツのメルケル首相(当時)のリーダーシップに他の欧州諸国はなかなか従おうとしなかった。そしてその混乱は、英国のEU離脱(ブレクジット)につながった。ちなみに、シリア難民をEU諸国で分担して受け入れようというドイツの提案は通称「リロケーション案」と呼ばれるが、その後数年経ってもEU法として成立する目処が立たなかった。そして来年(2024年)の欧州議会選挙を前に、ようやく合意がなされるかどうか、という段階となっている。
このシリア難民のケースの方がむしろ国際協力、責任分担のデフォルトになっていることをベッツとコリアーは「制度の瓦解」と憂える。だからこそ、UNHCRなど国際機関に対しては、単に人道主義的、人権擁護的な観点から啓発を訴えるだけでなく、「人道主義を超えた」より現実的な難民救済を図るべきだ、と彼らは主張する。
もちろん、グローバル・サウスの国々を援助することを、先進国が難民受け入れを拒否するためのエクスキューズとしてはならない。ベッツたちも明確にそう警告している。しかし、一生をキャンプで過ごしたり、都会で非合法滞在者として怯えつつ極貧の生活をしたり、また、生死をかけて過酷で長い旅路に出ることを余儀なくされる人を一人でも少なくするためには、そもそも難民問題が起こらないように国際社会が支援する必要もあるのだ。
折しも、今年は国連が掲げる「難民のグローバル・コンパクト(Global Compact for Refugees)」を前進させるための「グローバル難民フォーラム(Global Refugee Forum)」の第2回会合が開かれる。日本はフランスなどと並んでこの共催国となっている。日本政府は、「人道―開発―平和」という3つの政策分野の連携アプローチによる難民保護の形を提案している。これは危機において人道的な対応を行うと同時に、人々が難民にならなくても済むように平和構築や開発支援を行う、という外交方針だ。これが実現すれば、国際社会における日本への評価も上がるだろう。難民を多く受け入れれば良い、とする議論はそろそろ卒業すべきだ。そして、そもそも難民という不幸な人々を生み出させないための国際協力のあり方について、巷で熱い議論が繰り広げられる未来を願ってやまない。アイディアは多いほど、また多様であるほど論争を招くが、本当に難民問題に苦しむ人々にとっては救いをもたらす不可欠なプロセスである。その意味で、本書はまさに「パンドラの箱」を開けた。誰かがやらなければならなかったことを成し遂げたベッツとコリアーに改めて敬意を表したい。