本を読まない人に、どう本を届けるか? 定年直前でも模索の日々:「BACON Books & cafe」選書担当・神谷康宏さん
記事:じんぶん堂企画室
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関東学院大学 横浜・関内キャンパスにある「BACON Books & cafe」は、店舗の前にサンクンガーデンと呼ばれるウッドデッキのスペースがあり、柔らかな自然光が差し込み、地下1階であることをうっかり忘れそうになる。店内はシックかつモダンな雰囲気。入り口の右側には約5300冊の書籍や雑誌などが揃うブックエリア、正面から左側にかけてカフェエリアとなっている。
カフェエリアには、テーブル席やソファ席、カウンター席などがあり、目的や気分によって選ぶことができる。ランチ、ティー、ディナータイムと、時間帯に合わせてメニュー構成が変わり、ランチタイムでは定番メニューに加えて、限定メニュ―も登場。夜にもなれば、ステーキやハンバーグなどのしっかりとした肉料理や、クラフトビールやオリジナルカクテルといった充実のドリンク類を楽しめる。
「アメリカのシカゴをイメージした店内で、学校と街をつなぎ、学生と大人が触れ合う場所にしたいという思いを込めています」
そう話すのは、関東学院大学と連携してこの店の運営を行う有隣堂飲食事業部飲食事業推進課の岩城節也さんだ。有隣堂は近年、東京ミッドタウン日比谷の「HIBIYA CENTRAL MARKET」内の居酒屋「一角」をはじめ、さまざまな場所でカフェなどの飲食店を運営しており、豊富なノウハウがこの店でも生きている。
店を代表するメニューは、厚切りのベーコンが乗った「アメリカンシーザーサラダ」(税込1250円)。店名の「BACON Books & cafe」の由来は、「知は力なり」で知られるイギリスの哲学者のフランシス・ベーコンだが、「ベーコン」つながりで、この一皿を用意した。
「ベーコンは人名なのですが、連想される方も多いと思いまして。厚めのベーコンとパリパリとしたロメインレタスを一緒に食べた時のバランスを考え、前菜にもメインにもなるし、性別を問わず味わっていただけるのではないかと」(岩城さん)
オープンから半年以上が過ぎ、意外だったのは、大学が休みになる土日の方が賑わっているということ。それだけ、一般利用が多いということになる。近隣に、おしゃれなカフェやダイニングがないこともあり、着実に固定客がつきはじめているという。平日の昼間は、本を読んだり、勉強したりする学生もちらほら。夕方以降になると、教授が学生を連れて店を訪れ、お酒を飲みながら楽しむ姿も見られるという。
「実は、お店の一番人気は福島県産の和牛を大判にスライスしたバイヤードステーキ(税込2800円)。関東学院大学の学長が福島県と交流があり、福島県内の畜産農家から学生のために安く卸してもらっています。学生さんが社会人になって、どこかで同じ福島県産のステーキを食べた時に、『うちの大学で食べたステーキは安かったんだな』と思い出してくれるとうれしいですね」
店の左奥にあるキッチンカウンターには、学長や教授のボトルが並んでいる。これらは、学生であれば自由に飲んでもいいという。いい大学だ。
このカフェエリアには、ブックエリアで購入済の本を持ち込むことができる。ブックエリアに目を向けると、向かって左側から正面にかけて、哲学や思想、宗教や歴史などが占め、人文系の書籍が充実しているのが見て取れる。この選書を担当したのが、有隣堂事業開発部店舗開発課チーフの神谷康宏さんだ。
「大学内にある書店ということで、大学生の間に読んでおくべき本や、社会に出た時に役立つ教養を身につけられるような本、そして、お金を出して買う価値があるのではないかと思える本を選書しました」
雑誌や話題書も扱っているが、大半は人文科学関連の書籍で棚は埋められている。文芸書、芸術書、自然科学書も含めて、新刊を追うよりも、定番やロングセラー、ある程度評価を得ている本をしっかりフォローすることに重きを置いているという。
「一般的な書店には取次から配本を受けて、それを店頭に並べ、売れなかった本は返品して……、という一連の流れがあります。でも、ここでは私たちが大学生に読んでほしいと思う本を仕入れて棚にある状態を保ち、売れたらそれを補充する形を取っています。3月のオープンからこの形で様子を見てきましたが、新刊書籍にも『読んでおくべき本』はありますから、今後はこうしたものも発注をかけていければと考えています」
正直言うとこうした人文書は、学生よりも一般客が手に取り、購入することが多いという。1991年に青山ブックセンター六本木店を皮切りに、ブックファースト、取次の太洋社(2016年に廃業)をはさんで、広島県を中心とするフタバ図書、有隣堂と、30年以上も“流れの書店員”を続けてきた神谷さんにとって、大学キャンパス内にある、このブックエリアの現在の品揃えは果たして適切なのか、という疑問を拭えないでいる。
「書籍の中でも、特に人文系の読み物は、読者がかなり限られています。それは本当に悩みどころで、2023年の今、こうした選書は、あるいは書店の自己満足なんじゃないだろうかと常に考えています。人文書の売上は商品によってかつてよりかなり下がってきていますし、私が書店員で働き始めた頃に比べると、書店で紙の本を購入する人自体が相対的に減っている。私たちに限らず、このことは書店全体に共通する課題だと思います」
一般的には時代の流れとともに、さまざまなコンテンツが増えたことで人々の関心や、コンテンツに割かれる時間が分散化し、結果的に本を読む人が減った、という説明をされることが多いが、神谷さんは、政治や経済状況の変化にともなって人びとの“こうありたい”という自己イメージや労働観が大きく変わってきているのではないかと感じている。
「今朝、通勤電車内のデジタルサイネージを見ていると、『あなたの市場価値は?』ということを問う広告動画が流れていました。私自身は学生の頃、自分の市場価値なんて考えもしなかった。でもこの時代、学生は自分の市場価値を意識し、いつ役に立つかわからない知識のために本を読むくらいなら、武器として他人に披露できるスキルを身につける方に軸足が移っていてもおかしくありません。だから、やみくもに人文書をもっと読まなきゃ! といった売場の品ぞろえにはあまり効き目がないんじゃないかといったことを考えてしまいます。だからといって、答えは見つからないのだけど」
それでは神谷さんが大学生の頃、周囲も含めて哲学や思想といった人文書を読んでいたのはなぜなのだろうか。
「当時はバブル景気が上り坂に向かう時期で、“ニューアカデミズム”といった言葉が流行したりして、一種のファッションとして浅田彰さんの『構造と力』や中沢新一さんの『チベットのモーツァルト』のような人文系の読み物がずいぶん売れ、そういった本をカバンに入れているだけでかっこいいという時代でした(笑)。洋服はコムデギャルソンやヨウジヤマモトをマルイの赤いカードで揃え、大学の近くの居酒屋で酔っぱらって“吉本隆明と花田清輝のどっちに付くか”なんて議論をしている先輩にビールを注いだりして。学生時代にそのようなブームに乗って古書店に通ったりしているうちに、興味の幅が広がってさまざまな本を手に取るようになりました。自分にとっては、たくさん読むというのはいいことだったし、今の若い人たちにとっても、そのように読書を重ねるうちに『なんかこれ、面白そう』『もっと面白いものはない?』というきっかけを自分で探すようになると思うんですよね」
そのように人文書を読むことを通じて、社会と自分の関係や距離をときどき捉えなおすことは、これからの時代にも有用なことではないかと神谷さんは思っている。
そんな葛藤を抱く神谷さんに、あえて大学生に読んでほしい本を選んでもらった。1冊目は『生きるということ 新装版』(紀伊國屋書店)だ。ドイツの哲学者エーリッヒ・フロムの著書で、財産や社会的地位、権力など、“持つ”ことがすべてでいいのか、執着から解き放たれ、何にも束縛されず、変化を恐れない生き方を模索する内容だ。
「原題の『To Have or To Be』という言葉が有名な古典ですが、今の時代、ますます所有することや、あることについて考えることが求められがちなので、学生の間にこうした視点で物事を考えて見るのもいいんじゃないかと思うんです」
2冊目は、『華氏451度〔新訳版〕』(ハヤカワ文庫)。本が忌むべき禁制品となった未来の世界で、隠匿されていた書物を焼き尽くす昇火士(ファイアマン)のひとりが、風変わりな少女と出会ったことで運命が変わっていくSF小説だ。
「読書が罪になるという世界で、何の疑いもなく本を燃やすことを仕事にしていた主人公が変わっていく物語ですが、この小説も、まさにこの時代にこそ読んでおいたほうがいいんじゃないかと思います。この本に限らず、一昔前の翻訳文体が読みづらい、という人は少なくありません。でも、読めばおのずと腑に落ちる内容なので、ぜひ挑戦してほしいです」
3冊目は、『アジサカコウジ・インタビュー そぞろに描く』(長崎文献社)。九州を拠点に活躍する画家・イラストレーターであるアジサカコウジの実像に迫るロングインタビューだ。
「彼は熊本大学で教員免許も取っていたのだけど、当時付き合っていたパリジェンヌの女の子と一緒に渡欧して絵描きになるんです。この人はものすごく生きた教養のある人で、彼の長崎弁の語りを聞いていると、“To Be”であることをものすごく意識していることが感じられます。長崎の出版社が出している本で、扱っている書店は決して多くはないんですが、今回紹介する中で一番読んでほしいと思っているのは実はこの本です」
『パレスチナ 特別増補版』(いそっぷ社)と、『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎)は、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が続く今を知るための2冊として挙げた。
「『パレスチナ 特別増補版』は、“コミック・ジャーナリズム”という表現方法で、パレスチナのありのままの姿を伝えようとした本です。絵柄やコマ割りは今の日本のマンガに慣れた人からすれば雑に見えるかもしれません。ただ、ガザ地区で生きる人々の姿や声が生き生きと伝わってきて、言葉として適切じゃないかもしれませんが、とても面白い内容です。パレスチナ問題は、私たちにとっては物理的にも心情的にも遠いものと思われがちだけど、どうしてこういうことになっているか、ということをもっと身近にとらえておかないと、いつか日本に住む自分も困ることになるんじゃないかという気持ちがあります」
最後に注目すべき新刊として、『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』(光文社)を挙げた。
「これは今年出た新刊の中で一番のおすすめ。『負債論』『ブルシット・ジョブ』などを発表した、人類学者デヴィッド・グレーバーの遺作であり、考古学者のデヴィッド・ウェングロウとの共著です。考古学や人類学の知見を元に、僕たちが現在当たり前と思い込んでいる人類史や国家観は、実は一元的な見方に過ぎないということを教えてくれる本です。人間の学びは、優れた著作をたくさん読むことで更新されていく。そのことを実感させてくれます。もう一冊の『賢人と奴隷とバカ』(亜紀書房)は、『万物の黎明』の訳者で社会学者・酒井隆史さんの本。これも面白いので、ぜひ一緒に読んでほしい」
来年の3月に定年を迎える神谷さんは今、ひとり出版社である百万年書房の代表・編集者である北尾修一さんとともに、「有隣堂遊説ツアー」を行っており、「BACON Books & cafe」でも、11月28日に、特別授業と題して「北尾修一さん、phaさんとおでんを食べながら本や本屋の話をしよう会」を開催予定だ。
「そもそも人文書をはじめとした本を読まない人に、どうやって手に取ってもらえるかはわかりませんが。試行錯誤の一つの方法としてイベントを開催する書店は増えています。僕は、北尾さんと有隣堂の各店舗を回って、本を作っている人と、本を作って売りたい人をつなぐ少人数の交流イベントを始めました。いま、全40店のうち半分くらい回ったので、来年3月までに全店回りたいと思っています。このイベントに参加した結果、実際にZINEを作って文学フリマに出店した人がいたり、ひとり出版社をやりたいという相談を受けたりするケースもあります。こうしたことが何かのヒントや刺激になればと思ってやっています」
本が売れない、本を手に取る人がどんどん減っているのは事実だが、本というもの自体はなくならないはず、と考える神谷さん。
「あと20年もすれば、僕が生きているかどうかも、どう変わるかもわからないけど、だいぶ変わると思うんですよ。でも、紙の本は残っていくだろうし、残るのなら、もっと読んでもらいたいという気持ちはあります」