よい人間とは?正義と慈悲と
24歳の時、升田幸三、大山康晴という大棋士と戦って確実に負かされるという経験をしました。その時に思いました。「一番いい手を指し続けて勝てるなら、人生もこういう風に生きれば幸せになれるという生き方があるはずだ」と。それを知るためにカトリック教会の門をたたきました。30歳を過ぎて洗礼を受け、西洋文学に興味を持ち始め、ドストエフスキーやゲーテを読んだりしました。
この作品もキリスト教がでてきます。主人公のジャン・ヴァルジャンが、世話になったミリエル司教のもとから銀の食器を盗むのですが、憲兵に捕まった彼に司教は、私はあなたに燭台(しょくだい)もやったのに、なぜ食器といっしょに持って行かなかったのか、と言います。この寛容な態度にヴァルジャンは感動し、よい人間になろうと決心する。これが絶妙ですね。ヴァルジャンの臨終の際には司教の姿が浮かぶのですが、心の中にずっと恩人がいたわけですね。ほかにも自分と間違われて逮捕された男を救うために自分の正体を明かすところなど、どれもせりふが魅力的です。
正義を重んじるジャヴェル警視は脱走中のヴァルジャンを追いますが、その慈しみに触れて苦しむ。この世は正義だけじゃない、憐(あわ)れみや慈しみが大切ではないかとユーゴーは描いていて、そこに感銘します。
(聞き手・村上耕司、写真・伊藤進之介)=朝日新聞2018年6月2日掲載