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女性がひらくベラルーシの未来――桎梏を解きはなつ手段としてのカフェ、SNS、言語

記事:春秋社

『女たちのベラルーシ』(春秋社刊)と原書<i>Die Frauen von Belarus</i>
『女たちのベラルーシ』(春秋社刊)と原書Die Frauen von Belarus

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 ものいわぬ受動的なベラルーシ人は国家や民族という大文字の歴史の主人公にはなれなかったかもしれないが、個々の人生が語るべき豊かな物語を持たなかったわけではもちろんない。ベラルーシの作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは戦争や原発事故、ソ連の終焉を体験した「小さな人々」の証言を集め、大きな歴史の物語から抜け落ちていた記憶の風景を提示してみせた。実はベラルーシ人の歴史を考えるということは、これまでに書かれた人類の歴史の中でやはり主体的な役割の多くを奪われ、沈黙させられてきた女性の歴史を再構築する試みに似ている。

 第二次世界大戦の最中でナチス・ドイツの電撃戦によって始まった独ソ戦争では、100万人近いソ連の女性が志願兵として従軍したとされる。それはソ連の社会主義体制が少なくとも形式的には認めた男女平等の理念がかたちとなったものといえる。しかしロシアやベラルーシの伝統的なジェンダー秩序までもが、社会主義革命によって急に変化したわけではなかった。戦争という例外的な状況において女性兵士はあくまでも男性の代役であり、戦争が終わればもといた場所に戻るしかない。ソ連の女性は労働者として、医療従事者として、教師として、社会の多くの領域で役割を果たすことを期待されたが、同時に私生活でも子育てや家事などの再生産的な労働を担わなければならなかった。一方で戦争に関する文学や映画ほたとえその中に女性兵士が登場したとしても、ほとんどの場合は男性の目線で描かれたものだった。アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』は女性たちの記憶している戦争が全く異なる光景を提示していることを明らかにした。チハノフスカヤとその仲間の女性たちの多くもまた、逮捕や暴力によって表に出られなくなった男性の代役として政治の場面に登場したという点では、アレクシエーヴィチが取材した女性志願兵と似ている。しかし代役というのはあくまできっかけにすぎなかった。これまでの(主として男性の)政治家たちはルカシェンコの対立候補として一時的な注目を集めることはあっても、選挙が終わればその役割を終えてしまい、持続的な抵抗運動の核となることができなかった。しかしチハノフスカヤとその仲間たちはベラルーシのオルタナティブな政治代表者としての活動を現在まで継続している。彼女たちが政治参加についての既存の概念を更新するような可能性を提示しているというのが、本書の重要なメッセージのひとつなのである。そしてそれはベラルーシだけに限られる問題ではないだろう。

 社会主義時代には「階級」こそが人々の価値や運命を決定づける第一の属性であり、ジェンダーとネーション(国民・民族)は二義的な位置づけだった。それに対してソ連解体後の中東欧ではフェミニズムとナショナリズムがにわかに活性化するが、両者は常に利害が一致するとはかぎらなかった。本書の第5章で大統領選後の民主化運動をフェミニストの見地から批判するソロマティーナの説得力のある見解が紹介されている。公正な選挙を要求する政治活動は強権体制に縛られているベラルーシ国民を解放する試みだといえるが、そこにはジェンダーの不平等を是正しようとする視点は抜け落ちている。ルカシェンコ政権はもちろんだが、野党の政治家たちもそれに劣らず男性的な文化に立脚している。伝統的な家庭の主婦像を体現するチハノフスカヤのような存在は、男性的なジェンダー秩序を補完しているにすぎないというのだ。ドイツのフェミニスト団体がベラルーシの事件に冷淡な態度をとっているというのも示唆的だ。しかしそれでも著者ボータが慎重な物言いで反論を試みているように、どんなかたちであれ多くの女性が積極的に政治参加するようになったという事実も重要だ。ウェディングドレスを着た女性が治安部隊の兵士に抱きつく行為がフェミニズムと何の関係があるのかという批判は正当だが、そうした違和感や「奇妙さ」にこそ新しい関係性を生み出す潜在力を見るのもまたジェンダー研究のひとつの役割ではないだろうか。

 政治的なプロテストの新しい様相はその環境や舞台装置によく表れている。例えば、地方都市ボブルイスクの女性リュドミラが通っていたアンチカフェ「1387」だ。2010年代にロシアや旧ソ連圏で広まったアンチカフェは飲食ではなく、時間に応じて料金を支払うのが特徴だ。顧客はそこでリモートワーク、会話、ゲームなどをして自由に過ごすことができる。ライブ、講演、上映会、外国語やヨガの講習会などが企画されることもある。アンチカフェは、人々が出会い、交流し、ゆるやかなコミュニティをつくる場を提供したのだ。非公式なコミュニケーションの場が制限されていたソ連期にも、音楽やスポーツなどの趣味を共有する若者のつきあいの場(トゥソフカ)があった。それがアンチカフェという新たな形態に発展したものとも考えられる。首都ミンスクでマリア・コレスニコヴァが活躍したアートスペース「OK16」は同じような機能を担った場の中ではもっとも規模が大きかったとはいえ、必ずしも首都から地方に上意下達にメッセージが伝わるような構造があったわけではないようだ。コロナのパンデミックによる危機がきっかけとなり、それまで政治や社会問題に積極的な関心を持たなかった人々(とりわけ女性)の意識に変化をもたらした。それはいわば同時多発的に発生した動きだったといえる。

 町内(ドゥヴォール)チャットとよばれる都市の街区(ブロック)を単位に形成されたSNSもまた新しいコミュニケーションの場をもたらした。ミンスクや主要都市の中心部は中庭(ドゥヴォール)を集合住宅が囲むかたちで一つの街区を構成しており、もともと中庭は住民の私的生活と公共のスペースが接する重要な空間だった。その役割がインターネット上に再現されたのが町内チャットだといえる。抵抗運動を象徴する場となったミンスクの「変革広場」(第9章参照)を支えたのは対面とオンラインで二重に交流の場となった中庭(ドゥヴォール)だったのである。

 ベラルーシには国の言語としてベラルーシ語が存在しているが、日常生活で話されることはあまり多くない。ルカシェンコ政権がロシア語を対等の国家語として位置付けたこともあり、国民の大多数はロシア語を使用している。同じような問題はロシア語話者の多いウクライナやカザフスタンでも見受けられるが、ロシア語の浸透の度合いが最も高いのはベラルーシである。民族語話者の少なさもベラルーシ人のナショナル・アイデンティティの弱さとしばしば結びつけられるが、近年ではその傾向に小さな変化が見られる。ベラルーシでは10年ごとに国勢調査が行われるが、最新の2019年の調査によるとベラルーシ語を日常的に話す人々は26%しかいなかった(他のほとんどはロシア語)。ところが首都のミンスクでは、前回2009年の調査では6%弱しかいなかったベラルーシ語話者が、10年後の調査では34%に激増しているのだ。公的な言語政策に変化があったわけではなく、人々の言語能力がこれほど急に変化するというのも考えにくい。おそらく、もともと二言語を習得している人たちの中で、ベラルーシ語を第一の言語だと考えるような方向に意識が切り替わったと考えたほうがよい。実は2010年代中頃から気軽にベラルーシ語を学べるような場が首都のミンスクを中心に設けられるようになり、そこに集まることが若者たちの一種のモードになっていた。「モーヴァ・ナノーヴァ(言葉をもう一度)」や「モーヴァ・チ・カーヴァ(言葉かコーヒー)」という名称(いずれもベラルーシ語。同じ発音でも「モーヴァ・チカーヴァ」と区切ると「言葉は面白い」という意味になる)の講習会は、学校のような公的な教育制度とは無関係に組織されたものであり、上述したアンチカフェの人の集まりと似ている。

 ソ連解体後の1990年代にベラルーシでも民族主義が一時的に盛り上がったとき、熱心な独立派の中には習得しているはずのロシア語を嫌ってかたくなに使わない人たちがいて、ロシアとの連合国家を志向するルカシェンコに対する抵抗勢力のひとつの核となった。一方でベラルーシ国民の多くはロシアに親近感を持っており、ロシア語を使うことに抵抗はない。反ルカシェンコの立場を共有する人々の間でも言語使用をめぐる溝があった。ところが国勢調査の結果が示すように、最近の都市部ではロシア語とベラルーシ語を自由に切り替えて話すようなベラルーシ人が増加しているようだ。若い世代になればそれだけでなく、英語やその他の外国語にも堪能で、ロシアにもヨーロッパにも行き来しながら生活するようなケースも見られる。ベラルーシ語(あるいはベラルーシという場所)はベラルーシ人にとって重要ではあるが、複数あるアイデンティティの内のひとつであり、その場に応じて使い分けられるものになりつつあるのだろう。チハノフスカヤも英語を流暢に話し、コレスニコヴァはドイツとベラルーシの両方に生活の場を持ち(現在は刑務所の中だが)、ツェプカロは外資企業マイクロソフトで働いている。

 ルカシェンコの最も強力な支持層は地方・農村の住民(とりわけ女性)だといわれる。実は国勢調査によれば農村部はベラルーシ語の話者が多い(2019年の調査では42%)。しかしそこで使われるベラルーシ語は方言であったり、ロシア語との混合語であったりして、標準的な言語とは差異がある。二つの言語を自由に切り替えて話すことも都市部の住民と比べると難しいだろう。しかも農村部のベラルーシ語話者は割合としては大きいが年ごとにその数を急速に減らしていく傾向にある。ロシア語とベラルーシ語の混じり合った言語を話す農村部の住民と両言語をスイッチしながら使う新世代の都市民との比率の変化は、2020年の選挙でルカシェンコがこれほどの危機に陥ったひとつの要因だと考えられるのだ。

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