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多言語・多文化共生に欠かせない言語学、言語教育からの視点――『リンガフランカとしての日本語』

『リンガフランカとしての日本語――多言語・多文化共生のために日本語教育を再考する』(明石書店)
『リンガフランカとしての日本語――多言語・多文化共生のために日本語教育を再考する』(明石書店)

「リンガフランカとしての日本語」と母語話者規範

 リンガフランカとは母語が異なる人々がコミュニケーション手段としてつかう言葉であり、英語やスペイン語だけでなく、日本語も様々な言葉の母語話者につかわれている。

 日本語教育はジンバブエやモンテネグロなどを含む過去最大の142の国・地域に広がっており(国際交流基金 2018年度調査)、多種多様な母語を持つ人々が日本語を学習している。日本国内には総人口の2%を超える290万人以上の外国出身者が住んでおり(出入国在留管理庁2019年末調査)、彼女彼らの多くが日本語をつかって働き暮らしている。

 日本に移住した外国出身者は日本語の母語話者と話すためだけでなく、非母語話者同士のコミュニケーションのためにも日本語をつかっている。IT企業のオフィスや整備工場のフロアなど仕事の場、多国籍出身者が集住する地域の場、そして母語の異なる外国人同士が国際結婚した家庭の場で、非母語話者同士が日本語をつかう風景が日常になっている。

 「リンガフランカとしての日本語」使用は教育現場で特に顕著だ。

 日本語学校や大学にはアジア、欧州、北南米からなど母語の異なる学習者が集まっており、日本語は英語とともに彼女彼らのコミュニケーションを担っている。現在、日本には30万人を超える留学生がいるが(独立行政法人日本学生支援機構2019年度調査)、その大半は日本語をつかって科学や工学を学び、また日本語自体を勉強しており、教室で、または教室を出た後も外国出身者同士で日本語をつかっている。

 彼女彼らが日本語をつかう理由として、お互いの母語でない言葉を選ぶことによって平等な立場を示すこと、日本の生活に馴染むために英語ではなくわざわざ積極的に日本語を選ぶこと、などが指摘されている。

 日本語がリンガフランカとしてつかわれていく一方、母語話者だけが正しい日本語を話すという規範意識が教育現場には依然として存在しており、学習者を日本や日本人へ同化させようとする日本事情教育や、母語話者・非母語話者のあいだに権力関係があると指摘されている。

 母語話者だけが正しい日本文化や日本語教育を体現するという考え方は母語話者主義と呼ばれており、非母語話者の豊かな言語活動を軽視する姿勢が問題視されている。

 2065年には日本に住む外国出身者数が1000万人を越え、日本の全住民の12%に達するとの予測があるが、日本語が非母語話者同士のリンガフランカとしてつかわれていくなか、日本語に関わる規範意識はどのように変化していくのだろうか。

 本書では国内外の教育現場で母語話者主義がどのように構築されているのかを分析するとともに、非母語話者が生み出す多言語環境を取り込む実践を、オーストラリア、香港、日本での具体例から探った。

様々な文化言語背景を持つ学生が日本語を学んでいる。(豪州メルボルン大学にて。写真提供:中根育子氏)
様々な文化言語背景を持つ学生が日本語を学んでいる。(豪州メルボルン大学にて。写真提供:中根育子氏)

「リンガフランカとしての英語」と多言語主義

 世界で最もつかわれているリンガフランカは英語だが、近年のリンガフランカとしての英語研究は、これまでの研究が英語だけに焦点を当てていたことを反省し、話者の多言語実践に注目するようになっている。

 英語やフランス語といったそれぞれの言語に確固とした境界が実は存在しておらず、話者は多言語リソースを統括して駆使することが分かって来ている。

 最近の研究では、多言語話者が様々な言語を統合しコミュニケーションシステムとしてつかう過程(translanguaging)、コミュニケーションの目的を果たすため状況に応じて言語を切り替える複言語能力(plurilingualism)、文化、歴史、政治の境界を越えた創造的な言語実践(metrolingualism)が着目されている。この考え方に基づいたマルティリンガフランカとしての英語研究(English as a Multilingua Franca)は、英語だけしか話せない単言語話者の発話も対象としている。たとえ英語単言語話者であっても、状況に応じて馴染みのない多言語リソースを即興的に活用することができれば、「マルティリンガフランカとしての英語」をつかっていると考えられている。

 上記の研究成果を「リンガフランカとしての日本語」に当てはめると、日本語非母語話者は自分の母語と日本語を行き来しているだけでなく、状況と相手に応じて英単語をまじえたり、身振り手振り表情を駆使したりして、多言語レパートリーを即興的につかっていると言える。また非母語話者がつかう日本語を変種として研究対象にするだけではなく、非母語話者と母語話者が多言語環境に身をおきながら成し遂げる意味交渉にこそ目を向けるべきなのだろう。

 一方、日本語しか話せない日本人が、母語話者規範に縛られずに話し相手の外国語を即興的に活用してより良いコミュニケーションがとれるのかどうか。この点こそ、多言語・多文化共生社会の構築に資する研究課題となるだろう。

コロナ禍のなかの多文化共生社会

 本書各章では日本、オーストラリア、デンマーク、香港で言語教育にたずさわる研究者が、それぞれの地域の言語環境に合わせて日本語がどのように教えられているか、話されているかを分析した。

 オーストラリアの大学や中学校で外国語として日本語を学ぶ学生、香港で継承語として学ぶ子供たち、日本の大学の留学生やイスラム教施設マスジドを運営する人々など、世界各地で多様な目的で日本語を学ぶ人々が対象である。

 現在、2019年末から始まった新型コロナウイルス感染症の影響で外国への旅行、留学、インターンシップが極めて難しくなっている。この状況のなかで、外国語学習者が多言語に触れられる環境をどう創造していくのか、そのためにオンラインツールなど情報技術をどう駆使するのか、言語を教える教師にこれまで以上の工夫が求められている。

コロナ禍のもとで、オンラインツールを駆使した言語教育が模索されている。(同上)
コロナ禍のもとで、オンラインツールを駆使した言語教育が模索されている。(同上)

 また留学生を含めた外国出身者は帰国することが難しくなり、物理的に、そして心理的に孤立しやすい環境におかれている。

 感染症対策には正確な現地情報が欠かせないが、テレビやTwitterなどマスメディア・ソーシャルメディアの双方で情報が過剰になる中、デマを見抜き自分に必要な情報を選び取る事が困難になっている。

 専門家の言葉をどう信じるべきなのか、友達や家族に健康に関する情報をどう伝えるべきなのか、食料品や消毒薬をどのくらい買ってよいのか、どのような用事なら外出が許されるのか、マスクをいつ外して良いのか。常に微妙な社会的判断が求められる。

 いままで気にも留めなかった日々の営みが、判断を誤れば自分だけでなく周囲の人々に影響が及んでしまう緊張感に包まれている。この状況は誰にとっても重圧に間違いないが、日本語という外国語で情報を摂取している外国出身者にとっては更なる不安となって圧しかかっているだろう。

 このような苦境にあるいまこそ、社会全体としての多言語・多文化共生への取り組みが問われる。

 日本では外国出身者への日本語教育が第一の課題として挙げられるが、外国出身者が自身の母語で市民生活を営み社会参加できる途も模索されるべきであり、行政サービスができるだけ多言語で提供されることが望ましい。

 また企業においても、英語や中国語のように話者数が多く市場価値がある言語だけを能力として認めるのではなく、話者数の少ない言語話者も社内のコミュニケーションを豊かにし多言語・多文化共生を促していると正当に評価されるべきだ。

 日本語をリンガフランカとして捉え、母語話者主義に疑問を投げかけることによって、さまざまな言語への興味が促進され、多文化を尊重する社会へと繋がる。

 コロナ禍のような苦境でこそ、誰もが自己の言語やアイデンティティを尊重し、言語不安に陥ることなく暮らせるよう、私たちの日本語に対する意識を変えて行くことが求められる。

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