【恩田陸 最新長編小説『spring』刊行記念】連載直前インタビュー
記事:筑摩書房
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──とうとう始まりますね、バレエ小説「spring」の連載が。
恩田 私たち、いったい何年取材をしてきたんでしょう?
――思い返してみたのですが、2014年に「バレエをテーマとした小説を書きませんか」とご提案をいたしました。場所は、新橋の洋風おでん屋で(笑)。依頼した私自身がもともとバレエを踊るのが好きで、新潮社さんの短編集『私と踊って』の表題作(ピナ・バウシュをモデルとした短編小説)を拝読した瞬間に、ぜひ執筆をお願いしたいと思ったんです。
恩田 すると、私が全幕もののクラシック・バレエを観るようになって6年になったということですね。それまではコンテンポラリー作品しか観ていませんでしたから。
──企画をお持ちした時に、たしかちょうど英国ロイヤルバレエ団の「不思議の国のアリス」をBSでご覧になった、というお話をうかがった気がします。
恩田 そうそう、クラシック・バレエもテレビなどで観てはいたんですけれど、生で観るのはコンテンポラリーばかりだったんです。
──恩田さんといえば、依頼の時点で既に『チョコレートコスモス』(角川文庫)、『ブラザー・サン シスター・ムーン』(河出文庫)など、演劇や音楽といったパフォーミングアーツをテーマとする作品が読者の皆さんに愛されていました。直木賞と本屋大賞をW受賞した『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎文庫)も当時はまだ連載中でしたが、「バレエ小説を書いてみよう」と決断されたのは──
恩田 「私と踊って」を書くのが、とても面白かったんですよね。それまでにも芸術系の作品というか、演劇、音楽、といったテーマで小説を書いていましたので、じゃあ次はダンスだろうか、と。
──「私と踊って」を拝読した時は「恩田さんご自身も踊られる方なのかな」と感じたのですが、実は違いました。
恩田 私は自分では踊らないですね。もともと子供の頃からバレエ漫画は読んでいて、山岸凉子先生の不朽の名作『アラベスク』『テレプシコーラ』、最近だったら『絢爛たるグランドセーヌ』(著 Cuvie・秋田書店刊)や『ダンス・ダンス・ダンスール』(著 ジョージ朝倉・小学館刊)なども読んでいますが、自分自身はフォークダンスもまともにできない。手と足がいっしょに動くタイプです(笑)。
──連載のタイトル「spring」の由来を教えていただけますか。
恩田 まずひとつは「春」です。クラシック・バレエにとってもコンテンポラリーにとっても「春の祭典」(ニジンスキー振付、ストラヴィンスキー作曲・1913年初演)は重要な作品だと感じていて、そのタイトルから。それと、春は人が外に出ていって踊りたくなるような季節じゃないかな、とも。「spring」という単語は面白く、季節を表す以外にもたとえば「泉」や「バネ」といった意味が複数あります。この英単語が持ついくつかの意味を各章のタイトルに据えながら、物語をつなげるようにして書いていきたいと考えています。
──そういえば、早い段階からタイトルは決定していましたよね。金森穣さん率いるNoism(新潟市を本拠地とする日本初の公共劇場専属舞踊団)の公演を観に、新潟へ行った帰りの新幹線で「決まった」と宣言されたのを覚えています。
恩田 タイトルが決まらないと書き出せないんですよ。金森穣さんといえば、取材でうかがったおはなしが印象的でした。ご自身が踊っている時のことや、振り付けや作品の組み立てをしていらっしゃる時の感覚は「言語化することができない」とおっしゃっていたんですよね。金森さんはとってもトークが上手で、非常にかしこい方なのに、そんな方でも「言語化できない」。「じゃあ小説書けないじゃん!」と思ったのをよく覚えています。そして現在に至る、と(笑)。
──取材として、たくさんの公演やダンサーを観ましたね。Noismもですし、英国ロイヤルバレエ、パリ・オペラ座、ボリショイ・バレエ、ハンブルク・バレエ、シュツットガルト・バレエ、シディ・ラルビ・シェルカウイ作品、マシュー・ボーンのニュー・アドベンチャーズ、シルヴィ・ギエムさんの引退公演、日本を代表するダンサーである堀内元さんや吉田都さんと対談をさせていただいたこともありました。バレエとは異なりますがリバーダンス等も観ましたし、コンクールやコレオグラファー向けのコンテストも……と挙げればきりがないくらいです。
恩田 本当にたくさんですね。取材については、舞台をみればみるほど「どう書けばいいのか」がわからなくなっていきました。「書けそうだな」と思う瞬間と「やっぱり書けない」と思う瞬間の繰り返し。同時に、取材をしたことでクラシック・バレエの面白さにも気が付きました。それと、コンテンポラリーについては「つまらないと寝てしまう」ということもわかって(笑)。コンテって「超面白い」作品と「超つまんない」作品と、はっきりわかれるところがありますよね。
──2019年夏に来日した「NDT」(ネザーランド・ダンス・シアター)は素晴らしかったですね。
恩田 あの公演は本当によかったです。踊っているダンサー自身も、コレオグラファー志向の方々が多いんじゃないかと感じました。「振り付ける」という行為には個人的にとても興味があって、本作ではそのあたりも書いていきたいと考えています。「踊ること」「振り付けること」とはどういう行為なのか。
──主人公がどんなキャラクターになるかは、もう決まりましたか。
恩田 男性ダンサーです。特定のモデルとなるダンサーがいるわけではなく、いまはまだ顔がはっきりと見えていないんですが……ただ、もう名前は決まっています。「萬 春」です。一万の春で「よろず・はる」。
──主人公も「spring」なんですね。どんな子が生まれるのか楽しみですが、春君は、踊るだけではなく振り付けもするのでしょうか?
恩田 そうですね。まだわからないですが、どこかのタイミングで振り付けをする彼も書くのだろう、という予感はします。
──『歩道橋シネマ』(新潮社・2019年刊)に収録されている短編「皇居前広場の回転」や「春の祭典」にも、男性ダンサーが登場していますね。『蜜蜂と遠雷』のスピンオフ『祝祭と予感』でも、ピアニスト・風間塵の姉が実はバレエダンサーだということが明かされます。彼らが登場する可能性もありますか?
恩田 うーん、出てくることもあるかもしれない。エピソードとして加える可能性はありますね。
──『チョコレートコスモス』や『蜜蜂と遠雷』ではオーディションやコンクールを書きたいという動機があった、とおっしゃっていましたが「spring」についてはどうでしょう?
恩田 今回は、そういった順位を争うような物語とはちょっと違う感じにしたいな、と思っています。
―─ダンサー同士が「王子の座」を争ったりはせず?
恩田 ツィスカリーゼ校長(ワガノワ・バレエ・アカデミー現校長)みたいな人が出てきたり?(笑)
それはそれで面白いんですけど、1人のダンサーにとって「踊る」とはどういうことなんだろう、「踊りたい」とはどういう感情なのか、ダンサーとはどういう存在なのか、といった問いにより焦点をあてて描きたいです。どういう時に人は「踊りたい」と思うのか、「踊れるようになる」とはどういうことなのか。
たとえばレッスンを観てみても、「踊りになっている」人って、最初から踊りになっていると思うんですよ。テクニックがあってとても上手なのだけれど「踊りになっていない」人がいる一方で、技術的には拙くとも「踊りになっている」人がいる。ダンサーの魅力とか、存在感というのにも色々あると思いつつ……。
私は日本舞踊も観るんですが、日舞の先生も「うまい踊りより、いい踊りを目指しなさい」とおっしゃるんですよね。京舞井上流の家元・人間国宝の井上八千代さんは、先代のお弟子さんにこんな風に言われたんだそうです。「先代はスッと前を見ただけで千里先まで見えている感じがしたけれど、あなたが見てるのはせいぜい数メートル先だ」、と……。深い、ですよね。そういった踊ることの深みも、書いていきたいと考えています。
──第一線でご活躍されているプロのダンサーの方からも、「スタイルもいいし、美人だし、技術的にはすごく上手なはずなのに、なぜか見ていてつまらないダンサーもいる」というお話は聞きましたね。
恩田 その一方で、基礎もとても大事です。公演はもちろん、いくつかタイプの異なるコンクールを観に行って感じたのですが、クラシック・バレエの基礎を持たないダンサーのコンテンポラリーって全然よくないことが多かったんです。振り付けにしても、何をやっているのかがわからなかったり、何を表現したいのかが伝わらなかったりするんです。クラシック・バレエがベースにある人たちが踊るものは、どれだけ若いダンサーだとしても面白く感じました。まずは「型」がないと、崩すこともできない。クラシックという「型」が踊れなければ、コンテンポラリーを踊ることは難しいのだな、とつくづく思います。
そういったことを考えていくと、ダンサーの「個性」「魅力」って不思議ですね。世界で活躍される方というのはどんな分野でも、タフさというか、素朴さ、純粋さというものを持っているというのは感じます。そういったある種……愚直とも言える独特の強さをお持ちだな、と。
──ちなみに、恩田さんはどんなダンサー、どんなダンスがお好きですか?
恩田 そうですね……作品としては「アグレッシブなもの」でしょうか。ダンサーは……素晴らしいダンサーは大勢いますが、やっぱりNoismと金森穣さんは初めて観た時からずっと、本当にすごいと思っています。
──「spring」の企画立ち上げ当初にも、真っ先に金森さんのお名前を挙げられていました。
恩田 肉体のスピードが速い人が好きなんですよね。「動作が速い」のではなくて……人はそれぞれ「自分の身体の中のスピード」を持っていると思うんですけど、金森さんはそれがめっちゃくちゃに速い! 好きなダンサーはそういったタイプの方が多いです。ちょうど先日、英国ロイヤルバレエ作品の映画館上映を観てきたばかりなのですが、そちらに出演されていた平野亮一さんもいつもとても素晴らしいと感じますね。
現代のダンサーやダンサー志望の人たちは、求められるものが多くて大変だと他人事ながら思います。クラシックはできて当たり前、加えてさらにコンテンポラリーを踊る力も求められるし……。
──バレエには、非常に残酷な側面もありますよね。どれだけ豊かなイマジネーションを内面に秘めていたとしても、ダンサーはそれを「自分の身体」で表現するしかありませんし、身体を別人と取り替えることもできません。
恩田 年齢の問題も出てきますね。ダンサーとしての人生には限りがある。吉田都さんの引退公演を追ったドキュメンタリー番組で、吉田さんが「(引退公演を終えて)ほっとした」とおっしゃっていたのが心に残っています。いま、世界でトップクラスのパリ・オペラ座バレエ団が年金問題を巡ってストライキをしていますが、やはり年齢というのはそれだけ大きくかかわることなのだと思います。そして、残酷だからこその魅力もある。フィギュアスケートも好きでよく観るのですけれど、スケーターもまた年齢と身体の問題は避けて通れません。特に女子は、とても早い段階……10代からそういった問題に直面しなければならない。どちらも本当に厳しい世界ですよね。
── 一日たりとも、一瞬たりとも同じ身体で踊ることがないからこそ、ダンサーという存在に惹かれてしまいます。
恩田 「ダンスを観たい」と思ってしまう。私はもともとジャズのビッグバンドをやっていたんですが、ジャズのスタンダードナンバーにはミュージカル曲が多いんです。最初はあまりミュージカルは得意でなかったけれど、音楽をきっかけに観るようになって、そこからコンテンポラリー・ダンスにも興味を持って、さらにそこからクラシック・バレエも観るようになって──人間が踊っているのを観て「面白い」と感じるのはなぜなんだろう、と考えています。踊りを観ている人は一体何に対して快感を感じているのか。そのあたりも、作品で描けるとよいのですが。
──連載のスタートが本当に楽しみです。〆切も……近づいてまいりました。
恩田 まだ書ける気がしないんですけれども(笑)、がんばりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
(2020年1月某日 筑摩書房にて:編集部 砂金有美)
「ちくま」2020.3月号~2023.6月号の連載を経て、2024.3.22ついに刊行!