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恐怖と幻想に彩られたゴシック・ミステリー 恩田陸さん「夜明けの花園」インタビュー

恩田陸さん=種子貴之撮影

少女マンガで出会ったゴシックロマンの世界

――『夜明けの花園』は「理瀬」シリーズ初の短編集。理瀬やヨハンなどおなじみのキャラクターが主役を務める6編を収めています。

 シリーズが始まって25年くらい経ちますし、このあたりで記念となる短編集を作りたいというお話を講談社さんからいただいて、ぜひとお返事しました。すでに他の短編集に収められていた作品もあるんですが、それらも再録して「理瀬」シリーズの短編が一冊で読めるという形にしました。

――作品世界を象徴するような『夜明けの花園』というタイトルは、どのように決まったのですか。

「理瀬」シリーズでは、以前から植物をタイトルに使っているんです。『麦の海に沈む果実』の果実、『黄昏の百合の骨』の百合、『薔薇のなかの蛇』の薔薇というように。これは理瀬のもつ美しさや神秘的な部分を、植物のイメージに当てはめているんですが、それらを束ねるものとして「花園」という言葉はぴったりかなと。「夜明け」は仄暗さと明るさが入り交じる時間帯ですし、これも理瀬の人生にふさわしいと思って組み合わせました。

――「理瀬」シリーズは1997年の『三月は深き紅の淵を』で予告的なシーンが描かれた後、2000年の長編『麦の海に沈む果実』で本格的に幕を開けます。湿地帯の丘に建つ全寮制の学園で、謎めいた事件が次々に起こるという本格的なゴシック・ミステリーでした。

 昔からゴシックロマン風の物語が大好きで、自分もやりたいと思って始めたのが「理瀬」シリーズなんですよね。ゴシックロマンを好きになったのは、少女マンガからの影響。子供の頃読んでいた『花とゆめ』に、「怪奇とロマン ゴシック・シリーズ」という企画があって、“ゴシックロマンというのは大きなお屋敷が出てきて、女の子が怖い目に遭う話です”というような説明が書いてあった(笑)。自分が好きなものはゴシックロマンっていうんだと初めて知って、その強烈な刷り込みがいまでも続いている感じです。

――元修道院の古い校舎、複雑な事情を抱えた生徒たち、あちこちで囁かれる噂……。学園内に漂う異様なムードが、転入生である理瀬を戸惑わせます。

 わたしの親が転勤族だったので、子供時代は転校をくり返していたんです。転校生を続けていると、クラス内のグループ構成を素早く把握できるようになったり、新参者の知恵がいろいろ身についてくるんですけど(笑)、それでも子供にとって突然学校が変わるのは恐怖で、初登校日は不安でしょうがなかった。そういう経験が、作品に反映されているところはあると思います。

――作中でこの学園は「檻」と表現されています。学校という空間の特異性は、デビュー作『六番目の小夜子』以来一貫している、恩田作品のテーマですね。

 やっぱり特殊な環境だと思うんですよね。1クラス全員が同い年なんていう環境は、学校以外どこにもないじゃないですか。考えてみるとこんなに不自然な場所はない。閉鎖的で完結した空間ですから、それだけに噂や物語が醸成しやすいという側面もあると思います。まあ、「理瀬」シリーズの学園は極端ですけどね。陸の孤島だし、生徒はいなくなるし、事件が起こっても警察は来ないし。

――初登場時ははかなげな印象だった理瀬も、シリーズが進むにつれてたくましく成長していきます。その過程も読みどころですね。

 ゴシックロマンではヒロインがお城やお屋敷に足を踏み入れて、さんざん怖い目に遭うわけですが、これって女性が結婚し、新しい環境や価値観に入っていくことのメタファーであるなと最近気がついたんです。その中で自分を見つめ直したり、成長したりする。名前のない女性が主人公の、ダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』なんてその典型ですよね。このシリーズも女性の成長譚という側面があったんだ、と今にしてあらためて思います。

――過去のインタビューでは、理瀬は理想の女性だとお答えになっていますね。

 理想ですねえ。強くて、美しくて、頭がいい。最近は強くなりすぎてほとんど無敵になっていますが(笑)。それでも理瀬には強くあってほしいと思います。

恩田陸さん=種子貴之撮影

無意識的に書いた部分に埋め込まれていた手がかり

――『夜明けの花園』の第1話「水晶の夜、翡翠の朝」は、童謡に見立てた連続傷害事件を描いたミステリー。学園内で紙人形を使った奇妙なゲームが流行っていて、という設定は都市伝説ホラー風で魅力的でした。

 噂や都市伝説が好きなので、これまでもよく登場させてきました。わたしは「口裂け女」をリアルタイムで体験した世代なんですが、あの流行は異常でしたよ。ある日突然、わっと学校中に噂が広まって、先生が集団下校を命じるような大騒ぎになった。噂の発信源は岐阜県だったそうですが、ネットもない時代によくあれだけ全国に広まりましたよね。さっき言ったように、学校ってこの手の都市伝説が広まりやすい下地があるんじゃないでしょうね。

――この短編は、理瀬と深い縁で結ばれたヨハンが主人公。彼もまた、途中で大きくイメージが変化したキャラクターです。

 邪悪ですよねえ。最初は天使のようだったのに、近年どんどん悪くなる。書いていた楽しいのは善人より悪人ですから、邪悪なヨハンを書くのはとても楽しいです。このシリーズはひどい人ばかりなので、誰を書いていても楽しいんですけど(笑)。

――第2話「麦の海に浮かぶ檻」も、怪奇幻想小説風のアイデアが用いられたミステリー。学園のある人物の過去を描いたものですが、この人物を取り上げたのはなぜですか。

 学園の過去を書こうと思ったら、必然的にあの人の話になったという流れです。どうしてあんな振る舞いをするようになったのか考えているうちに、この話が浮かんできました。毒にまつわる作中のエピソードは突飛なようですけど、似たことはヨーロッパ貴族の間で実際に行われていたとも言いますよね。

――キャラクターを登場させる際には、履歴を詳しく決めておくのでしょうか。

 ほとんど過去は決めずに書いています。作中で喋らせているうちに、少しずつ人となりや背景が見えてくる、という感じですね。無意識的に書いている部分が多いんですが、スピンオフのために読み返してみると、意外と手がかりが埋め込まれている。そこを深く掘り返していくというやり方です。

――第3話「睡蓮」は小学生時代の理瀬が主人公。『黄昏の百合の骨』に登場する長崎の洋館が舞台になっていますが、こちらの短編の方が執筆時期は早いですね。

『黄昏の百合の骨』の主要な要素がすでに出てきていますよね。これも無意識のなせるわざというか、綱渡りがうまくいったというか(笑)。従兄の亘に対する理瀬の思いが描かれるのは、もともと恋愛小説のアンソロジーに書いた短編だったからですね。

――第4話「丘をゆく船」は書き下ろしで、現時点でのシリーズ最新作。黎二と麗子という『麦の海に沈む果実』でもひときわ印象的だった生徒たちの過去を描いたスピンオフでした。

 スピンオフを書くにあたって、どのキャラクターが読みたいか、編集部の皆さんにアンケートを取ったんです。麗子が読みたいという声があったので、彼女と黎二の関係をもう少し掘り下げてみました。『麦の海に沈む果実』の中に、黎二の部屋に絵が飾ってあるという描写があって、その絵はどういう絵なんだろうというところから生まれた短編です。これも後付けなんですが、うまく繋がりました。

――第5話「月蝕」は学園を卒業した男子生徒・聖が、アメリカの大学に入学するまでの期間に起こった事件を描いています。

 聖はこのシリーズの中では、比較的まともなキャラクターですね。彼のスピンオフを読みたいという声もあったので、アメリカの大学に入学するまでの期間に巻き込まれた事件を書いてみました。人間不信になっても仕方ないくらい、大変な目に遭わせてしまいましたけど(笑)。ちょうど執筆前にとても珍しい月蝕があって、その一部始終を眺めていたことが、作品のイメージのもとになりました。

――最終話「絵のない絵本」は成人した理瀬が、某国のホテルでテロに巻き込まれるという話。シリーズ前作『薔薇のなかの蛇』同様、スパイもののテイストが強いです。

 当初は学園ものだったのに、それがなぜだかこんな風に。スパイものやエスピオナージュは昔から好きだったので、それをやってみたという感じですね。ゴシック小説やスパイものを正面切って書くのは難しいところがあるんですが、このシリーズなら書くことができる。そういう器になっているんだと思います。

――ではこの先もさらに変化する可能性が?

 どうなんでしょうか(笑)。長く売れているシリーズなので、こういう小説が好きな方は一定数いるんだろうなと実感しています。先のことは決めていませんが、機会があればシリーズを書き継いでいきたいですね。

恩田陸さん=種子貴之撮影

不条理なものこそ怖い

――恩田さんの作品はたとえミステリーや青春小説であっても、怖い場面がさりげなく差し挟まれますが、どうしてなのでしょうか。

 それはもう体質みたいなものですね。割り切れない部分、グレーゾーンを残しておきたいという気持ちがあって、ジャンルを問わずそういう場面を入れてしまいます。それに私たちの話題のほとんどは恐怖についてだと言われるくらい、恐怖というのは日常的で身近な感情ですよね。人間にとってコアな感情のひとつだと思いますし、その手触りを忘れずにいたい、常に関わりを持っていたいと思います。

――好きな作家としてスティーヴン・キングをあげておられますが、キングの影響は大きいですか。

 キングは好きですがホラーというより、エンタメとして楽しんできた感じです。面白いけどまったく怖いと思わない。読んでいて怖いのは、割り切れないものを描いた小説です。シャーロット・パーキンス・ギルマンの「黄色い壁紙」とか。ああいう説明されずに終わるタイプの小説が怖いですよね。

――では恩田さんが生きていて、怖いと感じるものは何でしょうか。

 怖いものはたくさんありますけど、やっぱり不条理なもの、理屈の通じない状況が怖いじゃないでしょうか。たとえば実体験だと、昔住んでいたアパートの隣に若いOLが住んでいて、ゴミ出しの時間によく一緒になったんです。ある朝、隣のドアが開いてお隣さんがゴミ袋を持って出てきたんですが、ちらっと見えたドアの向こうに、まだ2つほどゴミ袋が置かれているのが見えた。あれは出さないでいいのかな、と少し不思議に思ったんですね。

――その日にまとめて出せばいいわけですからね。

 で、後日アパートの大家さんと話をして、さらに妙なことが判明しました。ある日、大家さんが必要あってお隣さんの部屋に合鍵で入ったそうなんですが、室内には黒いゴミ袋がぎっしり積まれていたというんです。見た目はごく普通の若い女性で、とてもそんな部屋に住んでいるとは思えない。山積みのゴミ袋にはいったい何が入っていたのか。こういうわけの分からない出来事が、わたしにとっての恐怖の対象です。

――薄気味悪い話ですね。

 それとこれは以前エッセイに書いたんですが、電車に乗っていたら前に女性が座っていたんです。終点に着いてその女性が立ち上がると、大きな人形を抱きかかえているのが見えた。剥き出しの人形を小脇に抱きかかえて、電車を降りていったんですが、彼女のまわりだけ空気が異様で、見てはいけないものを見たという感じがしました。こういう感覚は瞬間的に通り抜けていくものなので、小説にするなら長編より短編に向いているんだろうなと思います。

――そうした得体の知れない感じ、不吉な予感のような手触りは、恩田作品の隠し味だと思います。怖いものが好きな読者にはそこがたまりません。新作の『夜明けの花園』にも、もちろんその味わいがありますね。

 そうですね。『夜明けの花園』はホラーではないと思いますが、不穏な感じは随所に漂っていると思います。ここから読んでもまったく問題ありませんので、ゴシックロマンがお好きな方はお手に取ってみてください。もし気に入ったら「理瀬」シリーズをさかのぼって読んでもらえると嬉しいです。