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われわれはなぜホラーを楽しんでしまうのか?——エドマンド・バーク『崇高と美の起源』

記事:平凡社

バークの美学から強い影響を受けたと言われる19世紀イギリスのロマン派画家ウィリアム・ターナーの「ミノタウルス号の難破」(1810年ごろ、カルースト・グルベンキアン博物館蔵)
バークの美学から強い影響を受けたと言われる19世紀イギリスのロマン派画家ウィリアム・ターナーの「ミノタウルス号の難破」(1810年ごろ、カルースト・グルベンキアン博物館蔵)

2024年4月5日刊、平凡社ライブラリー『崇高と美の起源』(エドマンド・バーク著、大河内昌訳)
2024年4月5日刊、平凡社ライブラリー『崇高と美の起源』(エドマンド・バーク著、大河内昌訳)

「崇高」は「美」とはちがうもの

 どんな学問分野にも基本図書というものが存在しますが、本書『崇高と美の起源』は「美学」という学問の基本中の基本文献です。この本がこれまでコンパクトサイズで刊行されていなかったことが驚きですが、これからロングセラーとなっていくことを願っています。

 そもそも美学とはなんでしょうか。本書の解説を執筆した美学研究者の井奥陽子さんは、昨年上梓した『近代美学入門』(ちくま新書)の冒頭でこのように定義しています。「美学とは、美や芸術や感性についての哲学です」。本書『崇高と美の起源』においては、「美」はもちろんのこと、「感性」が重要になってきます。著者のエドマンド・バークは、「崇高さ」は恐怖や緊張をもたらし、「美」は心地よさをもたらすとしています。崇高も美も、まさに「感性」=心の動きを生み出すわけです。そしてバークは、それまで美の一部だと思われてきた「崇高」を、「美」と対置するものとして区別しました。なんだったら崇高のほうが美よりもえらい、くらいの感じで並べたのです。

 では、そもそも「崇高だ」とか「美しい」という感情は、どんなものから生まれるのでしょうか。バークは次のようなものから崇高や美がもたらされるとしています。崇高:恐ろしいもの、曖昧なもの、力を持つもの、全面的に欠如したもの、広大なもの、無限を感じさせるもの、困難なもの、壮麗なもの、暗く陰鬱なもの、大音量、唐突なもの、動物の叫び声、苦味、身体的苦痛など。美:小さいもの、なめらかなもの、徐々に変化するもの、繊細なもの、おだやかな色彩など。納得行くものもあれば、「?」となるものもあるかもしれません。実際にバークがどんなものを実例として挙げているかは、ぜひ本書をお読みください。

ホラーが楽しいのは「安全だから」

 ここで考えたいのは、われわれはなぜホラーを楽しいと思うのか(と書きつつ、実は私はホラーが苦手……)、という問題です。これにはいろんな説明があると思いますが、バーク的な解釈をすれば、ホラーというのは一種の「崇高さ」を感じさせるエンターテインメントなのだろうと思います。彼は次のように述べています。「恐怖が直接的な身体の破壊につながらない場合、それらは悦びを生み出すことができる。それは快ではなくある種の悦ばしい恐怖、恐怖の色合いを帯びたある種の平静さであり、……その対象が崇高なのである。その最高度のものを私は驚愕と呼ぶ」。映画でも小説でもマンガでもいいですが、驚きをともなわないホラーというのは、おそらく存在しないでしょう。そしてここで重要なのは、バークが「恐怖が直接的な身体の破壊につながらない場合」と述べていることです。ホラー小説だけではありません、ジェットコースターもお化け屋敷も、あるいはテレビ番組やYouTubeも、言われてみれば当たり前のことですが「自分の身に危険がおよばない」からこそ楽しめるわけです。バークは、今につながるエンタメの真髄を、18世紀なかばに書かれたこの本ですでに看破していたと言えるかもしれません。

文/岸本洋和(平凡社編集部)

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