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心の多様性と豊かさをインコやオウムから知る

記事:春秋社

生活をともにするインコ・オウムは私たちに多様な行動や感情をみせてくれる
生活をともにするインコ・オウムは私たちに多様な行動や感情をみせてくれる

 人間は古くから、「心とはなにか」という問いと向き合い続けてきた。アリストテレスをはじめとする古代の哲学者にとっても、それは大きなテーマだった。生物の進化に目を向けたダーウィン以降、人間以外の生きものにも心があると考える者たちのあいだで、「心は進化の中でいつ生まれたのか」という問いも生じ、その探求は今も続いている。

 近年の研究で、心は脳に宿ること、そして高度に発達した脳には、知性と豊かな感情が生まれることが示唆された。だとしたら、「大小さまざまな生きものは、どんな心をもっているのか」という問いも生まれた。

 現在、多くの研究者が注目しているのが軟体動物のタコ。頭足類に分類される海の生きものだ。心をもつことがあるとしても、それは脊椎動物に限定されるだろうという大方の予想を覆す存在として、タコは一躍、脚光を浴びた。進化の中、いつどうやって心は生まれたのか知るための重要な示唆をくれる存在として関心が集まっている。

 人間の暮らしと接点のない野生の生きものの心を知ることは容易ではない。だが、家畜や愛玩動物ならば、野生のものに比べて調査、研究はしやすい。また、チンパンジーなど人間に近い霊長類はかねてより、遺伝子の分析とともに心の研究も行われてきた。そこから人間の進化についての情報が得られると考えられたためである。こうした人間以外の生きものの心と比較をすることで、より深く人間の心が理解できると考えられた。

期待が裏切られると、本気で怒ることも
期待が裏切られると、本気で怒ることも

インコやオウムの心を知る

 人間には、それぞれにちがった心があり、それが個性のちがいにも現われている。相手のことをより深く知りたいと思ったとき、そこで必要なコミュニケーションは、相手の心を理解する努力をすることから始まる。人間以外の生きものに対して理解を深めようと考えた際もおなじだ。

 ただし、生きものに関しては、その生きもの固有の脳の構造や行動のパターン、生理なども合わせて理解する必要がある。脳や体のつくり、同種や近い異種とどのようにコミュニケーションをしているのかなどの行動学的な理解がないと、その生きものの「心」が見えてこないからだ。どう進化して今の形状になったのか、ということも重要である。

 インコやオウムの祖先が小型の肉食恐竜だったことは周知の事実である。恐竜時代からすでに羽毛や翼の前身となる構造をもち、呼吸システムとしての気嚢をもっていた。多くの恐竜や翼竜が絶滅する以前に、鳥は地球上に誕生していて、今と近い暮らしを始めていた。七千万年以上にわたって、鳥は鳥として生き、種の分化を続けてきたのである。

 近代化された社会の中でインコやオウムが人間と生活をともにするようになって数百年。さらに、行動や脳構造が理解されて数十年。彼らは予想外の素顔を見せるようになった。インコやオウムの飼育者は、彼らの行動や感情の多様さに驚き、感動し、親近感をもつ。その心は人間に近い、自分に近いと感じると、さらなる関心が生まれ、どこまで近いのか、なぜ近いのか知りたくなる。

人間との暮らしになじむ鳥たち

 人間の家庭で暮らし始めたインコやオウムは、それまであった心の枷が外れたかのように、人間の家庭という領域が定めたルールの中で自由奔放に暮らし始める。もともと心の垣根が低い鳥も多いため、家庭内に好きな人間を見つけると、あっという間に人との暮らしに馴染んでいく。

 喜怒哀楽のうち、「悲しさ」という感情を本当にもつかどうかはまだはっきりしていない。だが、気に入らないことには怒り、してほしいことややりたいことを主張し、楽しいと感じられたら、幼い子どものような喜びの姿も見せる。そうした感情や感情からくる挙動は、野生時代から内に秘めていた資質だ。とくに楽しさやうれしさには貪欲で、より多くを求めるようになる。「楽」もしようとする。そのためには人間も便利に使う。

 野生の生きものは生きていくのに精いっぱいで、怒りや威嚇以外の感情をあまり見せない。今を生きて明日を迎えるためには、そうするしかないからだ。だが、脳が発達した生きもの――たとえばインコやオウム――は、あまり見せないだけで、さまざまな感情を内にもっている。体が大きいために少しだけ余裕のあるオーストラリアの白系オウムなどは、野生の中でも無邪気な姿を見せ、仲間との暮らしを楽しむ様子もかいま見える。

 安全・安心と「食」が保証された家庭で人と暮らすことで、多くのインコやオウムの心は自由になり、彼ら本来の「心」を見せてくれるようになる。人間と深くコミュニケートする姿も見る。人間と鳥の元々のコミュニケーションの方法が近く、意識のもちかたが近いせいもあって、どんな生きものよりもよく気持ちが伝わると確信する飼い主も多い。

恐いもの見たさと、確かめないと落ち着かない気持ち

 本来、インコやオウムは臆病で慎重である。だが、同時に強い好奇心も持ち合わせている。インコにとって恐いのは、自分を襲ったり傷つけたりする可能性のある生きものだ。窓の外にトビやカラスの姿を見つけただけで大騒ぎする。ほかにも恐いものは多くある。生物だけでなく、よくわからないものにも「恐怖」を感じて逃げ出すことがある。

 興味深いのは、恐怖の対象であるにもかかわらず、好奇心も抱いてしまう「もの」に対する態度だ。もちろん、特別怖がりの個体は見た瞬間に悲鳴を上げて逃げ出す。ケージの中にいてもパニックを起こして、ケガをするほど暴れることがある。だが、どうしてもそれが気になってしかたのないものもいる。そうした鳥は、少し離れた場所やものかげからこっそりその対象を見つめる。

本棚からこっそり観察中のオカメインコ
本棚からこっそり観察中のオカメインコ

 根底にあるのは、正体を見きわめたい気持ちだ。人間には「恐いもの見たさ」や「正体を見きわめるまで落ち着かない」、「思い出すと、気になって眠れない」ということがあるが、それに近い気持ちはインコやオウムにもある。

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