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ささやかな人生の危機と解放――斎藤真理子さん評『誰もが別れる一日』

記事:明石書店

『誰もが別れる一日』装丁写真(提供:K. CHAE)
『誰もが別れる一日』装丁写真(提供:K. CHAE)

さまざまな立場の人の、さまざまな危機を取り上げた短編集

 本を読んで胸がいっぱいになる瞬間が好きなら、この短編集はおすすめだ。二十代から六十代まで、さまざまな立場の人の物語が六編、キュッと詰まっている。「全年齢層対応型」の短編集と言ってもいいかもしれない。でも、読み手の年齢なんて関係ないのかもしれない。どんな年代の人が読んでも、違う世代の生活感情を思い切り知ることができる。それもこの本のいいところだ。一編ごとに、切なさもいたたまれなさも割り切れなさもいろいろ。そして、まだ形をとっていない希望もいろいろだ。

 例えば、ソウルで不安定な二人暮らしをしている若い姉妹を描いた「エートル」。満足な家にも住めないし、いい仕事も見つからない。でも、「もしかするとやりたいことに出会えるかもしれない」という淡い期待を抱いて、姉はベーカリー「エートル」でアルバイトをしている。ここのピザパンが大好きなのだが、袋詰めのときしかお目にかかれない。大学を出た後、名刺一枚作れず、履歴書に書くほどの経歴もないまま三十歳を迎えてしまった。

 そんな姉に対して妹は、「私はお姉ちゃんみたいにバイトで人生を無駄にせず、いつかちゃんとしたところに就職する」と宣言している。大学を休学し、昼間は弁護士事務所でアシスタントとして働きながら夜は公務員試験の受験勉強をしている。頑張り屋さんなのだ。

 クリスマスイブもクリスマス当日も仕事をしている二人。それほどつつましい暮らしなのに、さらに家賃の値上げに脅かされている。今の家に住みつづけるか、引っ越すか。それは「休む時間が減るか、休む空間が狭くなるか」の選択でしかなく、「どちらがより耐えがたいか、その選択は容易ではなかった」という。二人の大晦日は苦く、やるせなさがいっぱいだ。だが読んでいると、ここには書かれていない二人の未来までがうっすらと香ってくるようで、物語の余白に賭けたくなる。主人公たちをそっと応援したくなる。

 また、性売買を斡旋する客引きという最低の仕事に甘んじていた若い男性が、もしかしたら義父になっていたかもしれない男性の訃報に接してうっすらと転機を予感する「犬の日々」。平日に二人で休みを取ったのに少しも有効に活用できない共働きの夫婦を描く「休暇」。いずれも、韓国の現実を手堅くしっかりおさえ、なおかつ余韻が深い。

 就職難、住宅難、離婚、子育て、老後問題、借金、夫婦の危機。さまざまな危機を取り上げた短編集ともいえる。けれども、危機とはもしかしたら転機なのかもしれない。ここに登場する人たちはみな、過去と現在と未来が待ち合わせに失敗してしまったような日常を送りながら、ときどき途方にくれている。転機を迎えたときにそれが転機だとは気づかないから。そしてときには不穏で不安な結末のただ中に、読者を置き去りにしたりもする。

わかりそうでわからない、でもわかるところはすごくわかる

 筆者のソ・ユミは一九七五年生まれ。定評ある実力派の作家で、『誰もが別れる一日』は、長編『終わりの始まり』(金みんじょん訳、書肆侃侃房)に続く二冊目の邦訳だ。私もソ・ユミの短編を訳したことがあるが(「当面人間――しばらくの間、人間です」頭木弘樹編『イライラ文学館』毎日新聞社所収)、それは『誰もが別れる一日』とは違い、非現実的な設定のマジックリアリズム小説だった。ストレスのために体がごわごわに干からびてかけらが落ちはじめたり、またはぶよぶよにふやけてだんだん溶けてしまったり、そんな病気を患った人がどのようにして職場生活を送るかで悩みぬくという、かなり切ないお話である。設定はかけ離れているが、『誰もが別れる一日』の世界とさほど違わない。「自分、どうしてこうなっているんだ?」という困惑を描くという点では共通で、ほとんど段差を感じないのである。それはソ・ユミの卓越した表現力のおかげでもあるだろう。

 本書の最後に入っている「変わっていく」という作品は、その表現力を最大限に生かした小説だった。主人公は離婚して自分一人の生活を初めて手に入れた女性である。二人の子どもは立派に大きくなり、娘が初めての出産を控えている。ところがよりによって、母が高齢者施設に入るという日に、娘が一週間早く陣痛を迎えてしまった。二人の人生の一大事がこんなふうに重なるなんて。

 印象的な場面があった。出産を終え、赤ちゃんが女の子だとわかった娘が、母に向かって「お母さん……手術室で何を考えたかわかる? うちの娘もいつか子どもを産むかもしれない。痛いだろうな。それがとても悲しかった」と言うのだ。そんなこと、今から心配しなくていいよとなだめる母に、娘は続けて「私の友達は息子を産んですぐ軍隊に行くことが心配で泣いたんだって」と言う。

 こういうところを読むと、ああ、韓国だなあとしみじみ思う。息子を持つ韓国の母親の気持ちは、日本に生まれ育った私には実際のところわからない。「そうだよねえ」と「そうなんだろうなあ」との間でしばし宙吊りになる。これは、日本ととても似ていながらとても違う韓国の小説ならではの感覚だ。もしかしたら、こういうところが韓国文学を読む醍醐味なのかもしれない。わかりそうでわからない、でもわかるところはすごくわかる。そんなマーブル状の感情を堪能すること。

誰もがささやかな人生を生きており、それは悪いことではない

 「変わっていく」の主人公は、結婚してすぐに相手とは全く価値観が違うことに気づく。でも、子どもたちが大きくなるまでは離婚をがまんする。子育てがいちばん大変だった時期、彼女は友人たちと読書会をやることで一日一日を切り抜けた。本を読む主人公を夫は鼻で笑い、実母は「その年で本を読んでどうするつもりか」と嫌味を言った。だから家では、家族みんなが眠ってから読書した。

 離婚して一人暮らしになり、ありついた仕事はビルの清掃。仕事に慣れてから土曜日は文化センターに行き、世界の名作を読む講座を受講している。読みたい本を買い、誰の目も気にせず読む時間を堪能する。お茶を飲みながら、いい文章に出会ったらアンダーラインを引く。「そういうときは一瞬でもこの生活が完璧に近いと感じた」。

 何をしたというわけでもなく人生には、気づくとすでに転機がやってきていることがある。「変わっていく」の終盤に漂う静かな解放感はすばらしく、読んだこちらの気持ちにもすーっと広がりが生まれるようだった。

 くり返しになるが、本を読んで胸がいっぱいになる瞬間が好きなら、この短編集はいい。誰もがささやかな人生を生きており、それは悪いことではないと信じられるから。そして、この本を読む人は忘れずに、訳者あとがきも大切に読んでほしい。東京の金みんじょん、那覇の宮里綾羽、二つの都市に住む二人の訳者が書いた二つのあとがきは、何だか小説の続きのようにも思われた。

 ノーベル賞受賞でハン・ガンに注目が集まっているが、それだけではもったいない。韓国には面白い作家がたくさんいるのである。

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