メアリ・シェリーのフェミニズムについて 小川公代さん(上智大学教授)
記事:白水社
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『フランケンシュタイン』といえば〝メアリ・シェリー〞と即座に結びつく人はどれほどいるだろうか。そもそも、この小説が女性作家によって書かれた小説であること、ましてや18歳の少女が手がけた作品であることは、一般読者にはあまり知られていないのではないか。20世紀の多くの文芸批評家たちは、革新的な作家としてのメアリ・シェリーを忘却の彼方に追いやってきた。『フランケンシュタイン』といえば〝怪物〞というイメージが先行して、長いこと作者自身の政治思想や彼女のフェミニズムは語られてこなかったのだ。
【Frankenstein | Official Trailer | National Theatre Live】
しかし、過去30年間でこのような批評の潮流は激変した。メアリ・シェリーの伝記作家や文学研究者たちが、歴史的に過小評価されてきた彼女を再評価することに多くの時間と労力を捧げてきたからだ。メアリ・シェリーの作品や著作を丹念に論じることで、小説家としての独創性、政治思想家としての真摯な態度を知らしめてきた。また、彼女が、母親で最初期のフェミニストでもあるメアリ・ウルストンクラフトから多大な影響を受けていたことを浮かび上がらせてきた。[中略]
本書は、2022年にオックスフォード大学出版局から刊行されたVSIシリーズの『メアリ・シェリー Mary Shelley』の邦訳であるが、これらの過去数十年の研究の蓄積が反映された作品論と伝記的情報が見事に融合された入門書である。アメリカ人の著者シャーロット・ゴードンは、エンディコット大学の栄誉教授であり、作家でもある。彼女は、メアリ・ウルストンクラフトとメアリ・シェリーの数奇な人生を描いた著書、『ロマンティック・アウトローズ Romantic Outlaws』(2015年)で全米批評家協会賞ノンフィクション部門を受賞した。本書では、広く誤解されてきたメアリ・シェリーの生きざまや思想について問題提起することに主眼をおいている。
【Romantic Outlaws: The Extraordinary Lives of Mary Wollstonecraft & Mary Shelley】
歴史的に黙殺されてきたこのゴシック作家メアリ・シェリーが、現在、驚くべきことに、エンターテイメントの世界において旋風を巻き起こしている。ニック・ディア脚本の『フランケンシュタイン』(ベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラー主演)が2011年に初演され、その映像作品が日本でも上映されたため、大きな話題となった。ハイファ・アル=マンスール監督による伝記映画『メアリの総て Mary Shelley』(2017年公開)では、『フランケンシュタイン』の誕生秘話をめぐるメアリ・シェリーの伝記的エピソードが注目を集めた)。アル=マンスール監督は、彼女がいかに母親のウルストンクラフトの本を何度も読み返していたかを描き、その影響力を強調している。それによって、彼女がバイロン卿や夫パーシーとともに才能を発揮し、その小説も革新性に満ちていたことを表現した。
【Mary Shelley - Official Trailer I HD I IFC Films】
日本では今年公開され、話題を呼んでいるアラスター・グレイ原作の映画化作品『哀れなるものたち Poor Things』(2023年公開)では、メアリ・シェリーの自由奔放な生き方が、そして母親ウルストンクラフトのフェミニズムが華々しく返り咲いた。この映画は、ヨルゴス・ランティモス監督のディレクションとエマ・ストーンの真に迫る演技によって、好奇心旺盛で自由奔放なベラ・バクスターという強烈なキャラクターが生み出された。
【POOR THINGS | Official Teaser | Searchlight Pictures】
ベラは、家父長的な社会では女性には許されないさまざまなタブーを破っているが、そのうちのひとつが彼女も経験する男性顔負けの冒険である。小説、映画のいずれにおいても、ベラがさまざまな地域を旅することによって見聞を広めることが前景化されているが、この冒険は、メアリ・シェリーとのちに夫となるロマン派詩人のパーシー・シェリーが駆け落ちして、ヨーロッパ大陸を旅した経験を映し出している。ベラもメアリ・シェリーも、一般通念で考えられていた「女らしさ」という性規範を乗り越え、フランスや北欧にまで旅をしたウルストンクラフトの冒険心や自由主義の影響を大いに受けている。[中略]
20世紀の文学研究は、メアリ・シェリーとウルストンクラフトの母娘を結びつけるというより、二人を対極に位置する存在として捉えてきた。長いこと看過されてきたメアリ・シェリーの功績について、ゴードンは次のように指摘している。
……メアリ・シェリーが公に発表している言葉や、文学におけるその改革的な試みの奥深さや広がりにもかかわらず、また小説でも女性の権利を擁護していたにもかかわらず、最近までほとんどの読者は、ウルストンクラフトが彼女の娘に与えた影響の大きさを把握しきれていなかったのである。このような見過ごしはメアリ・シェリーの人生や作品に関する誤解から生じ、またそれと同時に、彼女の人生や作品に関するさらなる誤解を生み出すことにもつながった。メアリ・シェリーを保守的である、あるいは、もっと酷い場合には偽善的であると評価した批評家らは、母と娘を対極に位置する存在として捉えていた。(本文22〜23ページ)
メアリ・シェリー自身は、ウルストンクラフトのフェミニズムの教義に忠実に生き、自由を摑みとろうとしていたにもかかわらず、彼女の保守性ばかりが注目されてしまった。それは、『フランケンシュタイン』に描かれる女性キャラクターたちが無力な犠牲者として描かれていること、またメアリ・シェリーの力量を低く見積ったパーシー・シェリーの友人、エドワード・トレローニーの手厳しい批評に起因していた。後世の研究者たちがトレローニーの評価を無批判に受け入れていたのだ。
ゴードンが本書でも説明しているとおり、メアリ・シェリーが保守的であると誤解されてきたのは、彼女の息子パーシー・フローレンスの妻(メアリの義理の娘)であるジェイン・シェリーがそういうフィクションを喧伝したからである。彼女はメアリ・シェリーの手紙を燃やしたり、彼女の日記を破り捨てたりして、外聞の悪い過去を秘匿することによって、保守的なヴィクトリア朝時代の人びとにできるかぎり受け入れられるよう力を尽くした。その結果、フェミニストとしてのメアリ・シェリーは影を潜めてしまった。
これほど誤解されてきたメアリ・シェリーの名誉を回復し、『メアリの総て』や『哀れなるものたち』といった伝記映画やアダプテーション映画が脚光を浴びるまでになる文化的土壌の準備をしてきたのは、先述したとおり、2、30年間にわたる研究の蓄積であるということを忘れてはならない。彼ら、彼女たちの研究のおかげで、私たちは、メアリ・シェリーという作家が『フランケンシュタイン』以外にも、8つの長篇小説、そして50以上の短篇やエッセイを出版し、夫パーシーによる数多くの詩や散文も編集・編纂したという輝かしい功績があることを知るまでになった。
そういう意味でも、本書の第5章と第6章は白眉である。たしかに、『フランケンシュタイン』に登場するエリザベスやジュスティーヌは、ヴィクター・フランケンシュタインという科学者に創造されたクリーチャーに死に至らしめられ、抵抗できない無力な女性たちというイメージが支配的ではある。しかし、1823年に刊行された『ヴァルパーガ』のヒロイン、ユーサネイジアのなかに、メアリ・シェリーは希望を見いだしている。暴君カストルッチョは、ヴィクター・フランケンシュタインのように、はかりしれない野望を抱き、帝国を強固にするために愛する者たちを傷つける指導者だが、ユーサネイジアはいかに彼の暴政に立ち向かうべきかを、ケア、思いやり、配慮という非暴力の実践によって抵抗している。
このような非暴力のエンパワメントは、メアリ・シェリー独自のフェミニズムの実践を端的に表してもいるだろう。たしかにメアリ・シェリーは、ウルストンクラフトのように政治パンフレットを刊行して女性の権利を擁護しなかったかもしれない。しかし、小説のなかでは男性の暴虐、暴力に抗する女性を描き、実人生においても、女性の友人たちのために尽力した。また、彼女は、男女関係なく人を助けるという活動を続けたのだ。亡き夫パーシーの文学的な遺産を確固たるものにするためにも身を削ったが、彼の作品集の完全版を編纂する過程では、自分たちのラディカル性を抑制する工夫までした。メアリ・シェリーは、世間の人びとに自分の夫を詩人として認めてもらうためには、彼の急進的な思想に触れないほうがよいことを理解していた。19世紀の時代の要請が、メアリ・シェリーに、過去の語り直しについて慎重にさせていたのだ。
メアリ・シェリーが作家として備えている高い教養や、彼女の叛逆的な性質に注目しながら再評価する本書は、『フランケンシュタイン』のアダプテーション映画や彼女の伝記映画が続々と話題を呼んでいる一連の流れのなかにあると考えてよいだろう。多岐にわたるテーマを扱ったいくつものメアリ・シェリーの作品や散文について、その伝記的な背景を絡めて論じる画期的な1冊となっている。[中略]
19世紀から20世紀を通して忘却されてきたメアリ・シェリーという作家がどのようにして誤解されてきたのかを、その歴史的・伝記的な背景とともに考えることで、すべての女性に共通するであろう問題──つまり母、娘、妻たちが父や夫の陰で見えなくされてきたという問題──が浮かび上がる。また、母と娘の関係も一筋縄ではいかない。母ウルストンクラフトに強烈な憧れの念を抱きつつも、時代がそれを許さなかった。しかしメアリ・シェリーは、母とは異なる方法で弱きものたちの代弁者となり、困っている人たちのケアを引き受ける人間となった。
訳者も幸運なことに、ケア精神に溢れた両親に恵まれた。メアリ・シェリーのように〝自由〞を探求することを励ましてくれた父と母に心から感謝している。ケアの価値を再評価したメアリ・シェリー研究ともいえる本書を通して、〈『フランケンシュタイン』の作者〉としてだけでない彼女の魅力を知っていただけるなら幸いである。
小川公代
【シャーロット・ゴードン著『メアリ・シェリー:『フランケンシュタイン』から〈共感の共同体〉へ』(白水社)所収「訳者解説──見えなくされてきたメアリ・シェリー」より抜粋】
【フェイクニュースによって隠蔽された真実を暴く痛快な伝記——『メアリ・シェリー』訳者・小川公代さん インタビュー】