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小川公代さん「ゴシックと身体」インタビュー 家父長制に抗った女性たちの“戦術”

小川公代さん=種子貴之撮影

家父長制に抗うための文学=ゴシック

――『ゴシックと身体 想像力と解放の英文学』は18世紀から19世紀にかけて流行したゴシックロマンスに新しい命を吹き込む試みですね。思わず膝を打つような記述の連続で、とても興味深く拝読しました。

 ありがとうございます。「新しい命を吹き込む」というボキャブラリーがすでにゴシック風で嬉しくなりますが(笑)、まさにそういうことを試みた本です。

――ゴシックロマンスといえば古城・牢獄・悪漢・幽霊などが登場する、奇怪で幻想的な物語ですが、ゴシックに惹かれた理由は。

 読み始めたのは10代の頃です。女性として社会で生きていくことに言いようのない不安があって、それがゴシック小説で描かれる世界と共鳴したんです。地方はどこもそうかもしれませんが、生まれ育った和歌山というのは抑圧的な土地で、女性は地元で結婚して、実家のそばで暮らすというのが当たり前の世界。当時のわたしはゴシックを読むことで家制度の呪縛を感じ取り、そこから逸脱する術を探っていたんでしょうね。

 当時ゴシックと併行してよく読んでいたのが寺山修司で、寺山も家父長制からの解放がテーマですから、それなりに切実な思いで本を読んでいたのだと思います。大学に入学し、フェミニストとして知られるメアリ・ウルストンクラフトがゴシック小説も書いていたことを知って、自分が追い求めるテーマが明確になりました。

――『フランケンシュタイン』を書いたメアリ・シェリーの母としても知られる人物ですね。この本はシェリーやウルストンクラフトについて論じた博士論文が元になっているとか。

 ウルストンクラフトの夫でシェリーの父であるウィリアム・ゴドウィンは急進思想家でしたが、彼もやはりゴシックを書いていますし、ゴシックは男女問わず当時家父長制に抗おうとしていたリベラルな人たちが活用したジャンルでした。この本はウルストンクラフト、ゴドウィン、シェリーについて論じた博士論文を中心に据えて、ゴシックの代表的な作家やテーマに関する文章をつけ足していきました。学生時代から数えると、完成まで30年もかかってしまいましたが、ゴシックについて言いたいことは網羅できたかなと思っています。

『ゴシックと身体』(松柏社)

名もなき女性たちの連帯が描かれる場

――ゴシックロマンスで特に思い入れのある作品は?

 修士論文のテーマにも選んだ『フランケンシュタイン』です。どうしてこんなに惹かれるのか一言では説明できませんが、メアリと夫のパーシー・シェリーと詩人のバイロン、バイロンの主治医のポリドーリ、それからメアリの義理の妹クレアの5人がスイスのディオダディ荘に滞在して、幽霊物語を競作したという成立事情がまず興味深いですよね。メアリは1831年に『フランケンシュタイン』の第3版を刊行するにあたって、1818年の初版にはない序文を書いているんですが、そこで『フランケンシュタイン』は頭に取り憑いた夢の物語がもとになっていて、衝動的に書きあげたものだと明かしています。でもにわかには信じがたい。なぜメアリがこんな序文を付け加えたかといえば、当時のヴィクトリア朝では家父長制的な価値観が支配的で、女性が才能を発揮すると批判に晒されるおそれがあったからです。それで自分の意志ではなく「無意識」がなせる業ですよと保険をかけている。女として生きるって大変だな! という思いを込めつつ、本書では当時の医学言説との関係を中心に『フランケンシュタイン』の創造性を論じてみました。

――ゴシックの〈身体性〉は本書の重要なテーマですね。ゴシックの世界では理性でコントロールできない何かが、登場人物を突き動かし、異常な行動に駆りたてていきます。

 その背後には当時の医科学思想があります。『フランケンシュタイン』では怪物を創造したヴィクターが、婚約者エリザベスに口づけすると、彼女は母親の遺体に姿を変え、うじ虫が這い回るという不気味な夢を見るんですよ。このような夢の描かれ方は、自分の意志ではコントロール不能なものとして夢を捉える、当時の医学言説を反映しています。かつてゴシックは反近代的でおどろおどろしいものだというイメージで語られがちでしたが、仔細に眺めてみると反近代どころか近代を超えて、現代まで到達している新しさを秘めているんです。

――冒頭の2章を割いて論じられているのが、『ユドルフォの謎』『イタリアの惨劇』などで知られる作家アン・ラドクリフ。ゴシック文学史上重要な作家ですが、現代の日本ではあまり読まれていないようです。

 どれも分厚いですからね(笑)。本書ではラドクリフにおける女性表象を、身体性に注目して読み解くことで、新しい価値を見出せるのではないかと思いました。ラドクリフのヒロインは感受性が鋭く、外的世界の影響を受けやすい。それは18世紀当時では否定的に捉えられることもありましたが、豊かな想像力は他者の苦しみや悪意を感知することを可能にしてもいます。それを象徴するのが、『ユドルフォの謎』で主人公エミリーが、塔に幽閉されることが決まった意地悪な叔母のために、突っ伏して救いを求めるシーン。読んでいると復讐すればいいのにと思うんですが(笑)、エミリーはそうしない。ここでは名もなき女性たちによる連帯が描かれています。

――小川さんが一連の著作で紹介してきた〈ケアの倫理〉に通じる問題ですね。

 そうともいえます。虐待されるヒロインが登場するラドクリフの小説は、現代のフェミニズム的な観点から読むと保守的に見えるかもしれません。しかし誰もがシェリル・サンドバーグ(元フェイスブックCEO)のように社会的に自立してお金を稼いで、家事も育児もこなして、という生き方が選べるわけではありません。その陰には、ケア労働に従事している名もなき女性たちがたくさんいる。ゴシックはそんな女性たちの物語なんです。強烈な個を主張したウルストンクラフトにしても、未完の小説『女性の虐待』では幽閉されたヒロインと女性看守の心の友情を描いている。ゴシックは他者の苦しみに共感する、連帯の物語でもあることを知ってほしいと思います。

小川公代さん=種子貴之撮影

ヴァンパイアとして描かれた「新しい女」

――ラドクリフといえば、〈説明のつく超自然〉を描いたことでも知られていますね。幽霊かと思ったら実は人間、というパターンの物語には、ホラー好きとして正直拍子抜けさせられることもあります。

 幽霊が本物かどうかはそれほど重要じゃないんですよ。ラドクリフはエッセイの中で、シェイクスピアの『ハムレット』を取り上げながら、幽霊の存在の有無はどうでもいい、大切なのはどれだけ恐怖を掻き立てられ、想像力を刺激されたかなんだということを主張しています。『イタリアの惨劇』でもスパラトロという悪漢が、過去に犯した罪の意識から、死者の幻影に怯えている。ラドクリフの世界では、幽霊は想像力によってもたらされるもの。これもまた意識ではコントロールできない、身体の働きですよね。

――シェリダン・レ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』を題材に、ヴァンパイア(吸血鬼)をフェミニズム視点で読み解いた章も印象的でした。

 19世紀から20世紀にかけて、イギリスには封建的な因習を打破して、社会で地位を獲得しようとする「新しい女」が登場します。ヴァンパイアは当時生きづらさを感じていた女性たちを後押しするような存在である一方、男性側の抱いていた恐怖心の象徴でもありました。女性を家の中に閉じ込めておきたい男性たちにとって、カーミラのような自由な存在はさぞ不気味だったでしょう。壁を自由にすり抜けちゃうんですから(笑)。

――『吸血鬼カーミラ』は2019年に『カーミラ 魔性の客人』として映画化されています。小川さんはこの映画も「新しいヴァンパイア」として評価されていますね。

 エミリー・ハリス監督の『カーミラ』は、わたしが求めているゴシックを抽出してくれたような映画でした。原作では主人公のローラと吸血鬼少女のカーミラが友情で結ばれますが、映画はレズビアンの関係として表象し、二人の連帯の物語へと改変しています。しかもカーミラが吸血鬼として滅ぼされる原作とは違って、映画では家父長制を内面化した家庭教師のミス・フォンテーヌによって、カーミラは心臓を潰されてしまう。まさに現代のLGBTQへのバックラッシュそのもので、意義のある改変だったと思います。

――ゴシックとは家父長制や因習に抗う女性たちが選び取った“戦術”だった、というのが本書に通底する見方です。

 明確に言語化できたのはずっと後になってからですが、ゴシックはマイノリティが社会で声を上げるための巧妙な戦術でした。自分がゴシックに惹かれたのも、その部分が大きかったと思います。大きな声で主張するとバックラッシュに遭って潰されてしまうので、あくまでこっそりと巧妙に、家父長制や因習への違和感を表明する。ゴシックの作家たちは、後年それが読み解かれるのを期待していたんじゃないでしょうか。アン・ラドクリフのお墓に行って、「ちゃんと伝わりましたよ」と声をかけたいですね(笑)。

――本書を読んで、ゴシックロマンスに関心を抱く人も増えるかと思います。2020年代の今日、日本でゴシックを読むことにどんな意味があるとお考えですか。

 この令和の時代も、結構生きづらいと思うんですよね。家父長制的な価値観がまた強まってきて、規範から少しでも逸脱すると叩かれてしまう。これはメアリ・シェリーが『フランケンシュタイン』の第3版で夢の言い訳をしなければならなかった、ヴィクトリア朝時代のイギリスとよく似ている。当時恐怖を描いた物語として流行したゴシックは、名もなき人々の連帯の物語でもあり、そこからケアの倫理を読み解くこともできます。人間という小さな存在が、尊厳を持って生きるには、どこかで逸脱しなければならない。その背中を押してくれるのがゴシックです。あなたがおかしいと感じていることは、ゴシック小説にすでに書かれていますよと言いたいですね。