1. じんぶん堂TOP
  2. 文化・芸術
  3. 文豪は絵に何を見たのか──ホンダ・アキノ『夏目漱石 美術を見る眼』

文豪は絵に何を見たのか──ホンダ・アキノ『夏目漱石 美術を見る眼』

記事:平凡社

『夏目漱石 美術を見る眼』(ホンダ・アキノ著、平凡社)。カバーの絵画作品は、漱石が「あの人は天才と思ひます」と称賛した青木繁による《運命》(明治37年 東京国立近代美術館蔵)。
『夏目漱石 美術を見る眼』(ホンダ・アキノ著、平凡社)。カバーの絵画作品は、漱石が「あの人は天才と思ひます」と称賛した青木繁による《運命》(明治37年 東京国立近代美術館蔵)。

「自己を表現する」とはどういうことか

「芸術は自己の表現に始つて、自己の表現に終るものである」

 これは夏目漱石が書きのこした唯一の美術展覧会評「文展と芸術」の冒頭におかれた言葉である。一読、ふむ、それはそうもいえるだろう、と特に疑問を抱くことなく済ませてしまいそうになる。しかし、待てよ、と続く漱石のやたらと熱をおびた芸術論を読み、ひとたび立ち止まって思いをめぐらせれば、コトはそう簡単ではない気もしてくる。そもそも「自己」とはなんなのだろう。それを「表現する」とは具体的にどういうことなのか。いや、表現するような自己が、たとえば自分にはあるのだろうか……そんなふうに考えはじめると、途端に言葉につまってしまった。

 中学生のとき、学校の図書館で借りてきた『吾輩は猫である』に、思えば不思議なほど熱中した。もしかしたら児童向けのダイジェスト版だったか、所どころに挿まれた剽軽な挿絵も記憶に残っている。読むといっても、古今東西にわたる多彩な蘊蓄は文字を目で追うだけで、社会への鋭い風刺もまったく理解していなかった。それでも文章の小気味いいリズムや、吉本と欽ちゃんとドリフをベースに大阪で育った自分の笑いの基準とはまったく異質のユーモアを発見したのは新鮮な驚きであった。たとえば、苦沙弥先生が日記を書いているのを猫が描写する、

 寒月と、根津、上野、池の端、神田辺を散歩。池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着をきて羽根をついていた。衣装は美しいが顔は頗るまずい。何となくうちの猫に似ていた。
 何も顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。

というくだりが私のツボにはまり、繰り返し読んでは一人でにやにやしていた。ただし続く「吾輩だって喜多床へ行って顔さえ剃ってもらやあ、そんなに人間と異った所はありゃあしない。人間はこう自惚れているから困る」と、猫が冷やかに人間を評する眼に感じ入ることは一切なかった。

なぜ漱石作品は現代の日本人を魅了するのか

その後は順番に漱石の小説を手に取ったが、素直に面白がっていられたのは次に読んだ『坊っちゃん』『三四郎』ぐらいまでだった。『それから』『門』になると、不勉強な中学生には十分に楽しめなかった。癇癪もちで家族や下女に不機嫌をぶつけたりした素顔を知って、眉をひそめたりもした。それでも高校、大学へと進むうちに漱石の小説をほぼ通読し、以後は何年かに一度ずつ読み返した。とくに社会に出てからは、行き詰まったり迷ったりしたとき、なぜか「漱石にかえる」ということを繰り返してきた。するときまって気力が回復した。気づけば何十年もそんなことをしている。そのかん、さまざまな作家に凝ったものだが、たいてい一時的な熱中で終わるのに、漱石に関しては「終わらない」。何度も戻っていく。いったいなぜ私は漱石から離れられないのか。もしかしたら、多くの人がそのようなことをしていて、とりたてて疑問を感じていないだけかもしれない。ただ読みたいから読む。それで十分ではないか。

しかし、である。過去に大岡昇平、江藤淳、吉本隆明、柄谷行人などなど、漱石に取り組んだ著名な作家や評論家も数多い。みまわせば今なおさまざまなメディアで漱石の引用を目にする。漱石に関する本の出版もあとを絶たない。近年は伝記や学習漫画のような路線ではなく、漱石や周辺の人物を素材にフィクションをまじえたコミックも登場してよく読まれているようだ。生誕〇年や没後〇年といった記念の年でなくても、漱石はいつでもどこかに引っぱり出され、それを受容する日本人がいる。高校教科書に採用されている『こころ』や『坊っちゃん』は岩波文庫で売り上げ上位の常連で、各々139刷、125刷(2024年11月現在。新潮文庫『こころ』は2020年時点で累計発行部数が750万部)を数えるという。漱石の作品が途絶えることなく読まれ続けていることにあらためて驚かされる。

「漱石文学は現代文学である」と半藤一利さんが書いていた。「現代人が直面している不安や焦燥や幻滅の原因をさぐるヒントが、漱石を読むことでつかめるかもしれないのである」と。まさしくそれは漱石文学を読むありがたみであろう。ただ、もっと深いところで日本人は漱石に魅せられ、離れられないような感じがするのである。どうしてだろう。

私はその大勢の一人にすぎない。けれど、であるならば──と、ふと思ったのだ。漱石を知ることは、自分を知ることであり、ひいては現代の日本人を知ることではないかと。

新聞で独自の芸術論を綴った漱石

そこで、美術という面から漱石に向き合ったのがこの本である。きっかけは、前に『二人の美術記者 井上靖と司馬遼太郎』を書いたとき、そういえば漱石が新聞に美術展評を書いていた、と思い出したことに遡る。明治40年、40歳のときに教員を辞めて朝日新聞に入社した漱石は、小説だけでなく折にふれて美術に関する記事を紙面に綴った。「門外漢として」と前置きし、自由で忖度のない持論を堂々と展開するさまは、一種痛快だ。そこで先の本でもいささか強引に横道にそれ、漱石独自の仏教美術論についてページを割いた。ほどなく、思いもよらず漱石について話す機会を頂いたので、「“美術記者”としての漱石」とテーマを決め、横道を掘り下げはじめた。同時代の美術への眼差しから漱石の言葉に分け入っていくうちにどんどん深入りした。そこにはさまざまな発見が待っていた。

新聞は専門的な美術雑誌とは異なり、美術愛好家でない、また必ずしも漱石ファンでない明治・大正の一般市民を対象としている。その媒体で当代のアートシーンに切り込んだ漱石の美術眼は何を物語るのか。そこで鍵となるのが、あの「芸術は自己の表現に始つて、自己の表現に終るものである」という言葉である。

本書ではこの言葉を念頭におきながら、漱石がおもに同時代の美術にどのように対峙したのかを追った。そこからは芸術にとどまらない、漱石の生きる姿勢が浮き彫りになり、さらには漱石をこえて、私たちがこれからを生きていく指針までがみえてきたのである。

(『夏目漱石 美術を見る眼』「はじめに」より)

『夏目漱石 美術を見る眼』目次

はじめに

Ⅰ 漱石の美術遍歴と美術批評の背景
一 子ども時代から積み重ねた美術体験
二 小説にあらわれた美術
三 教師をやめて新聞社員となる
四 過渡期にあった明治~大正の日本美術界

Ⅱ 同時代の美術を見る眼
一 独自の着眼点と向き合い方
二 「文展と芸術」
三 「素人と黒人」について
四 津田青楓君は「ぢゞむさい」
五 西洋美術と同時代の日本美術へのまなざしの違い
六 芸術批評が浮き彫りにした“生きる姿勢”

Ⅲ 「自己の表現」とは何か
一 絵筆をとる漱石
二 「自己の表現」再考

おわりに

あとがき
関連年表
主な参考文献

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ