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夏目漱石はいったいどんな乗り物で旅をしていたのか? 文豪の生涯から近代交通の発展を読む

記事:平凡社

夏目漱石(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)
夏目漱石(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)

旅の記録からわかる漱石の意外な素顔とは

 最近は、夏目漱石没後一〇〇年、生誕一五〇年、明治維新一五〇年と、いくつかの節目があって、漱石と明治を回顧する機運が高まっている。漱石を日本文学の最高峰と見なす人は多いであろうが、今は「漱石も明治も遠くなりにけり」で、時代的にちょっと風化しているのではないかと懸念する。戦前は、玄関脇に一間だけ設けられた洋間の書棚に「漱石全集」や「日本文学全集」が並ぶのは、ちょっとしたインテリ家庭の原風景ともいえた。中学時代に「せめて漱石全集くらいは常識として読んでおきなさい」と親からいわれて、娯楽が乏しく、パソコンもない時代だったから、半ば義務的にそれらを読んだもので、私も例外ではない。しかし中学生の私には難しく、おもしろくもなく、有名な小説だけはなんとか読み終えて、やっと義務を果たしたと安堵したものである。その後、社会人となってからは、忙しさをいいわけとして、読書するにも、ノンフィクションものを優先して文学書からは遠ざかっていた。近時、近代史や鉄道史に関心を抱き、ついにそれに入れ込むようになった私であるが、改めて漱石を読んでみると、中学時代の印象とは全く異次元の世界が見えてくる。小説類はもちろん心を動かされるが、むしろその他の「日記」「断片」「講演録」「随筆」「書簡集」などを読むと別の角度から新鮮なものが見えてきてより興味深い。

2022年11月15日発売、平凡社新書『旅する漱石と近代交通』(小島英俊著)
2022年11月15日発売、平凡社新書『旅する漱石と近代交通』(小島英俊著)

 そして漱石をいろいろ調べてゆくと、漱石は単なる文豪ではなく、ある意味では科学者でありかつマルチな思想家であり、天才といっても決して過言でないように思われてきた。学生時代の漱石は何でもできる秀才で、文系よりむしろ理系の方がよくできた。職業も最初は医者や建築家志望であった事実からもわかるように、漱石のものの見方や考え方は合理的で客観的である。それと同時にその味つけとして情緒をとても重視しており、洒脱、諧謔、ユーモアのセンスにも恵まれてうまくオブラートに包んでいる。だから漱石の文章は、理屈っぽさや、くどさを感じさせない。こういう作家は日本ではほかにいないし、世界的に見ても極めて稀であろう。

 もう一つ、漱石というと、胃弱でいつも書斎に閉じこもっていた人のように思われがちであるが、本来は活動的で、人付き合いがよく、旅好きであったのだ。私は漱石の旅行記録を通して、その行動や時代背景を見てゆきたいと発想し、いろいろ調査・分析してきたが、紆余曲折を経て、ようやく陽の目を見たしだいである。私はこれまでにも鉄道史や漱石に関連する書籍を二、三上梓しているが、本書の執筆で漱石を見る新しい角度が加わったという喜びを感じている。

漱石も乗っていた明治から大正にかけての路面電車はひどい混雑だった
漱石も乗っていた明治から大正にかけての路面電車はひどい混雑だった

 一八六七年に生まれ、一九一六年に没するまでの約半世紀にわたる漱石の時代は、ちょうど日本の開国から近代国家へと発展するのと時間をともにしている。国内では鉄道の開通、蒸気船の就航、馬車や人力車の普及、路面電車の普及、汽車旅の高速化・快適化、自転車の普及、自動車の出現といった交通手段の発展だけでなく、飛行機の曲芸飛行や飛行船まで現れた。また世界の都ロンドンへの二年間の留学期間中は文学だけでなく、世界最高の文化や科学にも接し、当時の日本にはないいろいろな乗り物にも乗っている。親友・中村是公の誘いで廻った満韓旅行も、乗り物も含め漱石の見聞を深めている。

 テーマが決まっても、どういう順序・構成で文章を書くかはいつも悩むところであるが、やはり漱石の人生の流れ、時代順にしたがって書くことにした。そうすると、一般的な乗り物の進歩だけでなく、漱石の立身出世と乗り物の選択が絡んでくるという個別事情も見えてくる。いずれにせよ、私は「書は読んで楽しくわかりやすくあるべき」と念じているので、堅苦しい文章は廃し、写真、図絵、地図などを多用して、ヴィジュアルにしたつもりである。

『旅する漱石と近代交通』目次

第一章 活発に旅した学生時代
第二章 松山時代・熊本時代の旅行
第三章 憧れの欧州航路
第四章 ロンドン留学時代
第五章 満韓ところどころ
第六章 漱石と人力車・馬車・自転車
第七章 路面電車と郊外電車
第八章 漱石先生の汽車旅
第九章 漱石と乗り物・縦横無尽

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