あの名作、あの日本語をどう訳す? 日本文学を外国語に翻訳する7名の翻訳者のインタビュー集『日本文学の翻訳者たち』――金原瑞人さん「あとがき」公開
記事:平凡社
記事:平凡社
2022年の初め、デジタルブランディングスタジオ「IN FOCUS」を通じて、国際交流基金から「日本文学翻訳家インタビュー」(当時仮称) のインタビュアーの依頼が来た。日本の作品を海外に翻訳している人たちを広く日本に紹介するという企画だった。
資料に挙がっている翻訳者6名の訳書一覧を見て、びっくりした。
・竹森ジニーさん(英語)
『コンビニ人間』(村田沙耶香) 、『模倣犯』(宮部みゆき) 、『小さいおうち』(中島京子)
・パトリック・オノレさん(フランス語)
『蹴りたい背中』(綿矢りさ) 、『ベルカ、吠えないのか?』(古川日出男) 、『パンク侍、斬られて候』(町田康)
・黃碧君さん(台湾華語〔中国語正体字/繁体字〕)
『舟を編む』(三浦しをん) 、『妄想気分』(小川洋子) 、『春の庭』(柴崎友香)
・ムティター・パーニッチさん(タイ語)
『1Q84』(村上春樹) 、『献灯使』(多和田葉子) 、『裏ヴァージョン』(松浦理英子)
・リュック・ヴァンホーテさん(オランダ語)
『セヴンティーン』(大江健三郎) 、『ダンス・ダンス・ダンス』(村上春樹) 、『地球星人』(村田沙耶香)
・カティア・カッシングさん(ドイツ語)
『ヘヴン』(川上未映子) 、『赤目四十八瀧心中未遂』(車谷長吉) 、『レイクサイド』(東野圭吾)
ここに挙げたのはほんの一例で、漱石、鷗外、太宰、川端、安部公房など、明治〜昭和の作家の作品も数多く含まれている。バリエーションが豊かな一方、『コンビニ人間』『献灯使』『春の庭』などの現代作品は複数の方が訳している。
こんな翻訳者にインタビューできるというのは願ってもないことで、早速打ち合わせが始まった。まだ新型コロナが収まっていなかったため、撮影はZoomを使うことになった。予行演習が2、30分。後日、1時間ちょっとのインタビューを行い、それを編集して、1人につき15分弱の動画を作成するという段取りだ。あらかじめ、それぞれの方にご自分の訳書のなかから好きな作品を挙げてもらい、それを読むのも楽しく、その作品について話し合うのも楽しく、あっという間の1時間だった……のだが、現在 YouTube で観られる動画はエッセンスだけを抽出した形になっているため、その場の雰囲気は伝わりにくく、途中の雑談も抜けているし、なにより翻訳者の熱い語りが途中で切れてしまっているところが多い。
残念だなあと思っていたところ、平凡社の編集さんから「これを本にしませんか」というご提案をいただいた。断る理由はない。
というわけで、こんな本ができあがった。
ただ、残念なことにカティア・カッシングさんのインタビュー動画では、ぼくの声がすべて収録できていなかったらしく、この章だけは、カッシングさんの答えから自分の質問を想像して復元する形になってしまった。少しぎくしゃくした印象の部分があるかもしれない。
また、この本を作るにあたって、ぜひ韓国語の翻訳者の方にも参加してほしいということになり、クォン・ナミさんに追加インタビューをお願いすることになった。クォン・ナミさんの希望で、対面ではなくメールでのやりとりになったのだが、送ってくださったQ&A原稿を読んでみると、完璧な日本語でじつにすばらしい答えが書かれている。ぼくの出番はなくなり、いただいた原稿をそのまま使わせていただくことになった。それにしても、こんなに素敵な日本語を書ける海外の日本文学翻訳者には会ったことがない……というか、クォン・ナミさんにもまだ直接お会いしたことはないのだった。
クォン・ナミさんの『ひとりだから楽しい仕事――日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活』(藤田麗子訳、平凡社) は、じつに味わい深いエッセイ集なのだが、日本語でももっとエッセイをたくさん書いてほしい。
まず、竹森ジニーさん。スペイン語やカタルーニャ語の作品を英語に翻訳するうち、日本語作品まで翻訳するようになったという、本好きで語学の天才を絵に描いたような方だ。日本語翻訳を始めたころ、鏡花や露伴を訳していて、鏡花について「印象派の画家のような存在です。絵具ではなく、言葉で描く画家ですね」とさっくりまとめてみせるところなど、ほれぼれしながら聞いていた。そのうえ現代作家の話になると、『コンビニ人間』は「本当に楽しかった作品ですね」という答えが返ってくる。コンビニで必ず耳にする「いらっしゃいませ」を英語でどう訳すかという話も実に面白かった。
パトリック・オノレさんも語学の天才的な要素が強く、日本語を学ぶことにした理由は、日本語が「フランス人にとってまだ珍しい外国語」だったかららしい。ただ、新聞や雑誌はなんとか読めたものの、文学作品は「書かれている言葉の意味はわかっても、自分の中に入ってこなかった」という。それがある日、駅前の書店に入り、ふと手に取った本の最初のページを読んだ瞬間、「突然頭の中に入ってきた」。その本が、なんと『ドグラ・マグラ』! 新井薬師の豆腐屋の話の次がこれだから、いったい次は何が出てくるのかとおどおどしていたら、綿矢りさの『蹴りたい背中』『インストール』、それから『ベルカ、吠えないのか?』『馬たちよ、それでも光は無垢で』など、ぼくの大好きな古川日出男の作品が続いた。まいったなあ、という感じのインタビューだった。
黃碧君さんは、日本の作品を台湾の読者に向けて翻訳する一方、台湾の作品を日本に紹介する仕事もしていて、台湾と日本の作家の交流イベントなども企画している。じつはぼくは以前から台湾文学や台湾映画が好きで、台湾作品の紹介者であり翻訳者でもあった天野健太郎さんとも多少の付き合いがあり、黃さんとはついあれこれ話しこんでしまった。今回のインタビューで、ぼくがこんなにしゃべっているのはこの章だけだと思う。また、黃さんがつげ義春の作品を訳すことになったいきさつも面白い。台湾オリジナルの作品集で、四巻本。その書影も載っていて、『柘植義春漫畫集――螺旋式、李先生一家』というタイトルも楽しい。
ムティター・パーニッチさんは、日本の大学で言語処理を専攻し、卒業後は自動翻訳ソフトの開発に携わり、やがてノンフィクション翻訳から文芸翻訳へとシフトしていく。とくに多和田葉子作品が大好きで、「多和田さんの作品で翻訳の〝マニア〞になったというか、そんな気がします」とのこと。日本の現代文学への造詣が深いと同時に、医療系と工学系の通訳の仕事もこなしていて、どちらも仕事として面白く楽しく、理想的な翻訳家兼通訳だという。そのうえ英語は、読むのも会話も堪能。英会話はまったくだめで、英語を読んで訳すことしかできないぼくには、うらやましくてしかたがない。
リュック・ヴァンホーテさんも一種の外国語オタクで、「みんなが勉強している言語は勉強したくない(中略) 。当時はまだ日本語を勉強する人はめったにいなかったので、日本語にしよう」というわけで日本語を学び、奨学金を得て日本に留学。さらに国際交流基金のフェローシップを得て博士課程へ進む。まさにエリート中のエリート……でありながら、博士論文では大江健三郎の初期作品を研究したという。理由は、「これは共感できる」と思ったから、というのがすごい。そして、雑誌には掲載されたものの右翼のテロ事件の影響で長く単行本に収録されなかった『政治少年死す』もオランダ語に訳してしまう。最近は日本の女性作家の作品を多く訳しており、村田沙耶香の『地球星人』については、このエンディングに関して「何も怖くない、どうしても書きたいものを書くんだという作家の決意を感じて、感動しました」と語る。
カティア・カッシングさんも典型的な外国語オタクで、できるだけ難しく、自分とまったく関わりのない言語がいいと思い、アラビア語や中国語も考えた末、「一番難しい」と言われていた日本語を学ぶことにしたという。一橋大学で書いた博士論文のテーマは「詩文、雑誌と文学における援助交際」。やがて清水義範や東野圭吾の作品を訳すようになり、ドイツで出版社を立ち上げ、翻訳出版に乗り出す。そんなカッシングさんのいち押しの作家が車谷長吉というところがうれしい。ぼくも車谷作品が好きなので、『赤目四十八瀧心中未遂』の話でつい盛り上がってしまった。また、最後のほうで語られるカッシングさんの文学観が秀逸で、この本のエンディングにぴったりの言葉だと思う。
日本のさまざまな文学作品を海外に紹介してくださっている7名の翻訳者が、それぞれの視点から語る日本文学。どうぞ、存分に楽しんでください。
はじめに
竹森ジニー(英語)
『コンビニ人間』の世界的ヒットに驚き
パトリック・オノレ(フランス語)
『ドグラ・マグラ』に導かれて
クォン・ナミ(韓国語)
星新一から朝井リョウまで、翻訳に明け暮れた35年
黃 碧君(台湾華語/中国語正体字・繁体字)
日本の作品を台湾へ、台湾の作品を日本へ
ムティター・パーニッチ(タイ語)
多和田葉子作品に出会って翻訳の「マニア」に
リュック・ヴァンホーテ(オランダ語)
大江健三郎作品に衝撃を受けた留学時代
カティア・カッシング(ドイツ語)
自ら立ち上げた出版社で、車谷長吉作品を翻訳出版
あとがき 金原瑞人