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なぜ私たちは今もスマホを握りしめて録画し続けるのか――『ガザの光――炎の中から届く声』より

記事:明石書店

© Malak Mattar.
© Malak Mattar.

なぜ私たちは今もスマホを握りしめて録画し続けるのか
アスマア・アブー・メジェド



 空から落ちてくるイスラエルのミサイルから逃げる人、お隣さんの破壊された家の瓦礫のそばで砲撃に囲まれている人。そんな状況にいる人々がなぜスマホを持って、身の回りの恐ろしい光景を録画するのだろうか(これはソーシャルメディアでよく見かける質問だが、このような質問をする人はパレスチナ人の苦しみをまったく理解していない)。

 私はこの文章を、そのような質問をする人たちではなく、私たちのために書いている。

 私たちが必死でスマホを握っているのは、物語を自分たちのものとして生かし続けるためだ。そしてそのためには、私たちの経験を記録することがひじょうに重要であることを身をもって学んだからだ。私たちの物語、その闘いと苦しみ、七〇年以上も続けられてきた私たちに対する残虐行為が、消し去られている。イスラエル人ジャーナリストのハガール・シェザフは、イスラエル国防省が歴史的文書を公の記録から組織的に削除していることを明らかにした。それらの文書は、パレスチナ人の殺害、村の破壊、ある地域に暮らすパレスチナ人をすべて追放した複数の事例などについて書かれたものだ。これはイスラエルの、つねに自分たちに都合よく歴史を書き換えようとする試みの一部である。だからこそ私たちはスマホをしっかり握って記録するのだ。

 私たちは記録する。「客観性」とやらを持っているとされる西洋メディアが、パレスチナ人を無価値あるいは人間以下のものとして描くことに抵抗するために。私たちの名前もまともに言えない彼らが、私たちの物語をまともに語ることはできない。私たちはつねに、テロリストや暴力的な人間、あるいは抽象的で実態のない数字として描かれる。私たちはつねに自分たちの人間性を証明するよう求められる。そうすることで初めて、メディアが数秒の放送時間を割いてくれるというわけだ。

 だから、私たちは彼らのためではなく、自分たちのために録画し、記録を残す。私たちは、正義を求めるためにはまず謝らなければならないと、メディアによって組織的に洗脳されてきた。自由と平等を求める声を上げるために、後ろめたさを感じる必要などあるはずはないのに。

 私たちは携帯をしっかり握って録画を続ける。私たちの涙を。父を亡くし、母を亡くし、姉妹を亡くし、兄弟を亡くし、子どもを亡くした私たちの、その叫びを。私たちの苦しみ、命がけの逃走と身を切られるような恐怖を。そしてアメリカ政府が愛を込めて送り込むF―35のミサイルが、耳をつんざくような死の音とともに家を揺らす中、子どもたちを落ち着かせようとする私たちの無力感を。

 私たちは携帯をしっかり握って録画を続ける。破壊された家の瓦礫の下敷きになりながらなお生き延びようとする母親との悲痛な会話を。愛する人の墓の前で、泣きながら別れを告げる自分たちの声を。強くあろうとしながら、耐えきれず声を震わせ、目に涙を滲ませる自分たちを。

 私たちは記録しなければならないのだ。どうか生き延びることができますようにという祈りを。そして爆撃の後に子どもたちが、おもちゃが無事だったことや、ペットがまだ生きていたと喜ぶ様子を。自分たちの強さと弱さ、指導者への不満、沈黙する世界への怒りを。煙と血、失った家、標的となったオリーブの木、そして盗まれた生活を。私たちがどれだけ年老いたか、そして与えた分の愛情が返ってこなくても、それでもなお人生を愛し続けていることを。

 私たちは記録する。未来の世代に、本当に起きたことを伝えるために。私たちはここに立ち、自分たちの権利を要求し、そのために闘い、そして殲滅されたのだと知らせるために。他の誰かに対して自分たちの人間性を主張するためではなく、未来の世代に、私たちは誰だったのか、そして何をしたのかを覚えておいてもらうために。私たちの存在を消し去ろうとするすべての試みに気をつけなさいと、伝えるために。

 私たちは記録する。この恐ろしい悲劇を終わらせてほしいという人類への懇願を。私たちのカメラには収まりきらないその願いを。

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