日本の漢字文化史をより深く理解するために、必携の通史 ――『日本漢字全史』
記事:筑摩書房
記事:筑摩書房
字音で読まれる語を漢語といい、これには「思想・報道・旅行」のような中国から借用されたものがある一方、「哲学・国際・感性」など日本で作られたものもある。「大根」は字音でダイコンと読まれるが、「おおね」という和語(日本固有語)に漢字をあてて字音で読んだ語である。「仕舞う・六ヶ敷」などの、本来の意味とは無関係に音や訓を借りて表記した漢字を「あて字」というが、「大根」は字義と語義が合致しているから、あて字には相当しない。ただ、和語を基にしているので、字義に即して漢字をあてた表記ではある。
漢字本来の意味と無関係か否かという判断は実はかなり微妙なところがある。たとえば、「面倒」は「目だうな」に由来する。「だうな」とは〈物を浪費する〉意の接尾語で、「玉だうな」〈玉を無駄に浪費する〉、「手間だうな」などと用いられたもので、「めだうな」の「だ」の古い発音は鼻濁音[nda]であったから、その鼻音的要素が撥音となって「めんだうな」となり、「面倒な」と表記されたものである。「辛抱」はもと「心法」という仏教語に由来し、〈心の働き〉の意であった。これが〈心を修める法〉の意でも用いられ、さらに〈堪え忍ぶ〉〈がまんする〉の意に転じた。こうして、本来の漢字表記「心法」がその語義と乖離したため、新たに「辛抱(辛棒とも)」と書かれるようになった。このような表記の意味する「面が倒れる」「辛く抱く」は、その語義としっくりしているだろうか。
そもそも、漢字は中国から伝来し、その字義を介して言語の系統の異なる日本語を書き留めるために用いられた。ただ、風土的文化的に両者は異なっているため、語義が必ずしも釣り合うとは限らない。たとえば、漢字「山」に対する和語「やま」は意味が重なり合うが、「室」〈奥まった部屋が原義〉に対する「むろ」(岩屋にも言う)はやや意味がずれるようで、また、「鮎」〈原義はナマズ〉に対する「あゆ」になると、国訓とも呼ばれるように、その訓は漢字本来の意味と異なって日本独自のものである。このように、和語の意味を、中国語を表す漢字にあてはめるという用法には本質的に制約があり、そもそも意味が釣り合うことを前提とするには少し無理がある。
もう一つの「あて字」の使われ方に音を借りるというのがある。「野暮・丁度・馬鹿」の類いである。音を借りるというのは物理的であって、極めて合理的である。そこに問題があるとすれば、字形が複雑であるとか、字義がふさわしくないとかという場合に限られるであろう。志摩国(今の三重県)の地名「たふし」は古く「手節」(『万葉集』)と書かれたが、後に「塔志・答志」と書き改められたのは、「たふし」すなわち〈手首〉の字義が地名の由来としてよいか否かの判断を保留にしたためかもしれない。尾張国の郡名アユチは『日本書紀』に「吾湯市・年魚市」、『万葉集』に「年魚道」と書かれたが、和銅六年の官命によって好字二字に書き改められて「愛智」(『延喜式』)となった。アユに「愛」をあてるのは「愛甲」(阿由加波『和名類聚抄』)にも見え、音アイのイをヤ行音にあてる「拝志」(『出雲国風土記』)、イとユが相通する「勇礼」(以久例『和名類聚抄』)などの類例もある。これらの、音を借りて地名を表記する際には、字音を融通させて工夫を凝らす一方で、「智を愛する」という意味を複線的に生み出すような漢字のあて方に楽しみを見出していた面も看取される。それは、「不図」のように〈図らずも〉という意味と係わる「あて字」にも通じる。
こうしてみると、日本語における漢字は、和語に漢字をあてるという意味で文字通り《あて字》であり、そこに意味の濃淡が関与してはさまざまな意義づけがなされてきたと考えられるのである。
謝辞
はじめに 苦情を聴き取る
第一章 伝来――五世紀まで
1 日本最古の漢字使用
2 漢字の伝来
3 漢字伝来の背景
4 黎明期の漢文作成
第二章 受容――六~八世紀
1 訓の成立
2 大陸との往来
3 日本漢字音
4 万葉仮名
5 文章表記の進展
6 漢文理解の広がり
第三章 定着――九~一二世紀
1 唐との関係
2 漢語・漢文の浸透
3 漢文訓読の定着
4 漢字と仮名
5 和化の広がり
第四章 伸長――一三~一六世紀
1 日中関係と禅宗
2 漢文と漢文注釈
3 唐音と字音変化
4 和漢の混淆
5 書道と印刷
第五章 流通――一七世紀~一九世紀中頃
1 明清と近世日本
2 漢学と近世漢文
3 唐話と新漢語
4 漢字研究の諸相
5 出版と教育
第六章 発展――一九世紀中頃以降
1 漢語の増加
2 漢字の制限
3 活字と字体の整理
4 漢字と現代社会
参考文献
索引