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トランプ大統領を創った男たち ロイ・コーンとスティーヴ・バノン 

記事:白水社

民主主義の「カオス」がわかる衝撃作! ピーター・ベイカー+スーザン・グラッサー著『ぶち壊し屋 トランプがいたホワイトハウス2017-2021』上下巻(伊藤真訳、白水社刊)は、混乱に満ちた始まりから暴力的な結末に至る4年間のすべてを網羅したノンフィクション。第一次トランプ政権の内情を詳細に描く決定版。
民主主義の「カオス」がわかる衝撃作! ピーター・ベイカー+スーザン・グラッサー著『ぶち壊し屋 トランプがいたホワイトハウス2017-2021』上下巻(伊藤真訳、白水社刊)は、混乱に満ちた始まりから暴力的な結末に至る4年間のすべてを網羅したノンフィクション。第一次トランプ政権の内情を詳細に描く決定版。

【映画『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』60秒予告】

 

 

人気取り主義者のポピュリズム

 トランプがホワイトハウスに持ち込んだ世界観は、民主党か共和党かを問わず、最近の大統領たちのそれときっぱりと決別するものだった。それはトランプの中で1980年代から少しも変わらないもので、イデオロギーというよりもむしろ固定観念と言うべきだろう。すなわちアメリカが──同盟国にしろ敵対的な国にしろ──外国によって欺かれてきたとの確信だ。トランプの語りによれば、これまでの歴代大統領たちはみな、アメリカを二流国家へと転落させてきた間抜けどもなのだった。そしてトランプはウラジーミル・プーチンや習近平といった強権的な指導者を称賛した。しかし、ロナルド・レーガンが使用したスローガンを頂戴して「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」とは言うものの、それをどう実現するかについては大した計画もなかった。

ドナルド・トランプ(Donald John Trump、1946─)[photo: Daniel Torok]
ドナルド・トランプ(Donald John Trump、1946─)[photo: Daniel Torok]

 トランプ政権の首席イデオロギー担当官を自称したスティーヴ・バノンら顧問たちは、アメリカ初の億万長者大統領であるトランプを、あろうことか、アメリカ初の人民主義者ポピュリストの大統領とされるアンドリュー・ジャクソン〔第7代大統領。1829─37年在任〕の後継者だと主張した。そして「オールド・ヒッコリー」の愛称で知られる〔軍人としての頑強な性格からこのクルミ科の硬質の木材の名で呼ばれた〕ジャクソンの肖像画をオーバル・オフィスに飾ることや、テネシー州のジャクソンの旧邸宅を訪れることをトランプに勧めた。しかし、この対比には無理があった──ジャクソンは叩き上げで、判事、将軍、そして上院議員としてはるかに経験豊富で、しかもそもそもトランプはポピュリズムの支持者などではなかったのだ。バノンが最初にトランプにポピュリズムを教え込もうとしたとき、トランプは意味もわからずこの言葉に飛びついた。「『人気取り主義者ポピュラリスト』か。なるほど、そいつは私のことだ」と、勝手な用語を作り出して言ったという。バノンが「違う、『人民主義者ポピュリスト』だ」と訂正してもトランプには馬耳東風。「そうさ、ポピュラリストだ。私はポピュラリストなのだ」とトランプは言った。バノンは歴史からさらに別の類例も持ち出した。大統領選への出馬表明のためにトランプ・タワーのエスカレーターを降りてくるトランプの姿をひと目見て、見事に演出された凄腕の実力者といったイメージに、バノンは「ヒトラーそのものだ」と思ったという。ちなみにバノンは褒め言葉としてそう言ったのだ。

〖「第1章 ワン、ツー、ツイート」27-28頁〗

 

 

「アプレンティス」の政治手法

 トランプ政権ではほぼ全員が互いを信用していないことが明らかになっていった。だがそれにはそれなりの理由があった。「誰もが噓をついていましたからね。いつもです。それにほぼ何ごとに関しても」と、政権発足時にホワイトハウスにいたある補佐官は回想する。バノンもまた、「第2週目ぐらい以降、本当に醜い事態になっていったのです」と、あるときインタビューに答えている。政権スタッフの多くはその醜さを当のバノンのせいにしたが、バノンだけの責任ではなかった。ライバル派閥の内情をリークしたり、同僚を密かに盗聴したり、シグナルやテレグラムなどの暗号化された通信アプリを使った密かなメッセージのやりとりをしたりといったことが、すぐに蔓延したのだ。それをある閣僚は、「トランプ政権ではどんどん人を裏切らないと、気づいたときには自分がまんまと裏切られていたという羽目になるんですよ」と表現した。

スティーヴ・バノン(Stephen Kevin Bannon、1953─)[photo: Gage Skidmore – CC BY-SA 2.0]
スティーヴ・バノン(Stephen Kevin Bannon、1953─)[photo: Gage Skidmore – CC BY-SA 2.0]

 このような混乱は偶然の産物ではなかった。それは何十年も前からトランプのビジネス手法であったし、テレビのリアリティ・ショー「アプレンティス」〔The Apprentice:見習い生〕でもトランプが説いていたものだ。2004年に同番組シリーズを売り込む中でトランプは、「人の世は残忍な場所だ。ジャングルと少しも変わりやしない」と述べた。トランプの政治手法は野放しの弱肉強食型で、まさに万人の万人に対する闘争であり、その経営スタイルは教科書どおりの分断統治だった。トランプは政権を従来どおりのやり方で構成することを拒み、内部抗争を踏み台にし、結果的に自分が唯一の権威ある決定者となるように仕向けたのだった。政権内のいざこざに巻き込まれた経験を持つある政権幹部は証言する──「トランプは一致団結をめざすようなチームを率いるつもりはありませんでした。内紛や内輪揉め、つかみ合いの喧嘩を防ごうともしませんでした。まるで出演者たちが熾烈に競い合う『アプレンティス』めいた世界でしたよ。トランプは配下の連中が張り合い、互いに抗争することを好んだのです。要するにトランプの歓心を買うための競争です」。

 こうして出現したのがスタッフ間に絶えざる不安を醸成する不安定な大統領だった。トランプは確かに忠誠は至高の価値を持つと言ったが、それはトランプに対する、、、、忠誠であって、決してトランプから、、期待できるものではなかったのだ。当時トランプに雇われたばかりだった政権幹部の言葉を借りれば、トランプは惚れた女の子がデートを約束してくれるまでしぶとく迫る10代の少年のようなもので、しかもデートに行った瞬間からその子の欠点しか見えなくなり、どうやって別れようかと考え始めるようなタイプだった。プリーバス首席補佐官も同僚たちに、「大統領が好むのは次の2種類の人間だ──自分のためにかつて働いていた、、、、、、、、人たちと、自分のためにこれから働く予定の、、、、、、、、、人たちだ」と述べている。

〖「第2章 素人集団」46-47頁〗

 

 

ロイ・コーンという指南役

 トランプが法と公正というものをどう見ていたかを理解するには、トランプのロイ・コーンとの関係を理解する必要がある。コーンは悪名高い赤狩り屋からニューヨークの喧嘩腰のフィクサーに転身した男だ。没後30年以上を経てもなお、コーンはトランプに強烈な影響力を及ぼしていた。トランプはコーンの死後も指南役メンターとして仰ぎ、ビジネスでも政治でも一切容赦しないコーンの姿勢は、大統領になったトランプの姿勢をも決定づけることになった。トランプはどんな法律家を評価するときも、記憶の中のコーンを基準に比較した。トランプのために進んでどこまでも戦い抜く気概があるかどうか。そしていずれの法律家たちも、なんらかの点でコーンには及ばないとトランプは判断したのだった。こうして「おれのロイ・コーンはどこにいるんだ?」はトランプがしきりに口にする呪文のようになったのである。

 トランプを除き、近年の大統領でコーンのような人物を受け入れようとする者はいないだろう。身体の引き締まったやせ型で、いつ見ても日焼けしており、半ば閉じたようなまぶたの下の目は血走っていることも多く、鼻には古傷がある。コーンはその実態どおり、マフィアまがいの弁護士そのものといった風貌だった。「爬虫類のよう」に冷血で卑劣だと表現されることも多かったコーンは、税徴収官、検察官、判事、取締官、それに市民的自由の尊重を主張する連中に対して傲然と反抗することを歓びとした。若き検察官時代には、ジュリアスとエセルのローゼンバーグ夫妻をスパイ犯として電気椅子送りとするのに尽力し〔夫妻は原爆開発にからみソ連のスパイとして1950年に逮捕され、53年に処刑〕、続いてジョセフ・マッカーシーの赤狩りの調査委員会の尋問官として全米に悪名を轟かした。やがてマッカーシーが議会の譴責決議により失脚すると、コーンはニューヨーク州の弁護士に転身。腐敗した政治家、ギャングのボス、カトリックの枢機卿から、殺人未遂で起訴されたクラウス・フォン・ビューロー〔妻の殺害未遂で有罪となった事件がマスコミで話題となるが、2審で逆転無罪〕、ニューヨーク・ヤンキースのオーナーのジョージ・スタインブレナー、そして若き不動産開発業者として名をなしつつあったドナルド・トランプまで、クライアントのためなら何でも勝ち取る男となったのである。

ロイ・コーン(Roy Marcus Cohn、1927─1986)[photo: Bernard Gotfryd]
ロイ・コーン(Roy Marcus Cohn、1927─1986)[photo: Bernard Gotfryd]

 トランプの弁によれば、コーンと初めて知り合ったのは1973年。アパートの賃貸契約で人種差別があったとしてトランプ一族の企業が司法省に起訴された直後のことだという(その不動産会社では黒人の入居希望者に対し、「有色人種(colored)」の「C」という記号を密かに付けていた)〔主として黒人を意味する〕。2人は著名人ら富裕層を顧客とするニューヨーク・イーストサイドの会員制ナイトスポット、「ル・クラブ」の薄暗がりの中で互いに紹介され、トランプが訴訟について助言を求めた。すると「地獄に堕ちろと伝えて、法廷で戦え」とコーンが勧めたのをトランプは記憶しているという。

 そしてトランプはまったくそのとおりにした……コーンを弁護士に立てて。コーンは1億ドルの対抗訴訟を起こしたが、連邦裁判所から「時間と紙資源の無駄」として即座に退けられた。そしてずるずると長引いた戦いの末に、トランプはより多くの黒人の入居希望者を受け入れるとの同意判決に署名させられた。トランプはそれを勝利に見せかけようとしたものの、司法省はこの判決を「これまで成立した中で最も広範な影響を持ち得るもの」としたのだった。

 コーンはその後も多くの厄介な訴訟でトランプの弁護士を務めた。旧コモドア・ホテルの改装では、40年間で4億1000万ドル〔約850億円〕の減税という前例のない厚遇をせしめた(しかもその決定を出した役人をその後に雇用した)。さらにトランプ・タワーの建設には(ギャングが牛耳るセメント業界に話をつけた上で)2250万ドル〔約49.5億円〕の免税措置を勝ち取った。トランプがアメリカン・フットボールのユナイテッド・ステイツ・フットボール・リーグ(USFL)に属するニュージャージー州のチームを買収すると〔ニュージャージー・ジェネラルズ〕、コーンはNFLに対して反トラスト法違反だとして訴訟を起こした。この滑稽な戦いは結局は裏目に出てUSFLを崩壊させてしまったのだった。このような調子でコーンはトランプのあらゆる事業でアドバイザー役となり、最初の結婚の際にはトランプを説得してけちな婚前契約までまとめさせ、披露宴では事実上の司会者まで務めたのである。

ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウン5番街に建つトランプ・タワー[photo: Michael Vadon – CC BY-SA 2.0]
ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウン5番街に建つトランプ・タワー[photo: Michael Vadon – CC BY-SA 2.0]

 コーンは当時を代表する派手で人脈豊富な人物だった。ニューヨークとコネティカット州グリニッジの邸宅を行き来し、ロールスロイスを乗り回し、実に似つかわしく「反逆号ディファイアンス」と名づけたヨットでセーリングを楽しんだ。あまりに熱心に税回避に努めたおかげで、内国歳入庁は20年連続で監査に入り、コーンが死去した時点でも700万ドル〔12億円弱〕の訴訟が係争中だった。コーンは巨大な矛盾の塊でもあった。「反ユダヤ主義者のユダヤ人で、同性愛者を嫌悪する同性愛者。猛烈な秘密主義者でありながら貪欲に誰とでも交わる」と、ジャーナリストのマイケル・クルーズは描写する。複数回にわたり贈賄、共謀、銀行詐欺で告発されたが、3件の裁判で無罪となった。やがてコーンはクライアントに噓をついて騙したとして、弁護士資格を剝奪された。このような人物だっただけに、普通の人間ならばつき合うのをためらうところだ。だがトランプは違った。

 トランプは常にコーンを「親友」で「世界一の弁護士」だとした。トランプはコーンのあくどいやり方を称賛し、「敵に歯を剝いてくれる人間が必要なときは、ロイを呼べばいい」と言ったこともある。調査報道記者の故ウェイン・バレットは、父親のフレッド・トランプを除けばコーンこそがトランプの「キャリアの前半で最も影響力のあった人物だ」と書いている。「コーンはドナルド[・トランプ]の指南役メンターとなり、ビジネスでも私生活でもあらゆる重要な案件で常に助言者となった」というのだ。コーンはまた、「自身が支配する悪質なギブ・アンド・テイクの闇世界」へトランプを導いた。トランプの姪のメアリー・トランプによると、かつてトランプはコーンを動かして、姉のマリーアン・トランプを連邦裁判所判事に任命するようレーガン政権に働きかけたという。そしてマリーアンがコーンを怒らせるたびに、コーンはそのことを持ち出したそうだ。だがマリーアンは判事の職は自分の実力で勝ち取ったものだと断言し、「もう1回そんなことを言ったら、わよ」とコーンに言ったそうである。

マリーアン・トランプ(Maryanne Trump Barry、1937─2023)[photo: US Senate Judiciary Committee]
マリーアン・トランプ(Maryanne Trump Barry、1937─2023)[photo: US Senate Judiciary Committee]

 コーンは後天性免疫不全症候群(エイズ)を発症したとき、それを否定して肝臓癌だと言い張った。だが誰もが事実を知っていたから、トランプも知っており、トランプはコーンとの仕事の一部を取りやめた。「おれにこんな仕打ちをするなんて信じられない。ドナルドは冷血漢だ」とコーンは不満を吐露した。1986年、59歳で死去したロイ・コーンの葬儀にトランプは後方の席で参列し、弔辞を求められることはなかった。かつてコーンが主催したパーティーで、トランプは大勢の参加者たちに向かい、「ロイはめちゃくちゃひどい弁護士だ。彼の名前を出すだけでみんなビクついて、誰もおれに楯突こうとしなくなるんだ」と冗談を飛ばした。そんなコーンに比べれば、トランプが雇ったほかの弁護士たちはみな軟弱で、忠誠心に欠け、もの足りなかった。「トランプはロイ・コーンについて、連戦連勝で、彼は常に勝つんだと言っていた」と、ある補佐官は回想した。

 あるときホワイトハウスで、法律顧問のドン・マクガーンがトランプとの会話をメモ帳に書き取っているのを見て、トランプが憤激したことがある。「どうしてメモなんか取ってるんだ? 弁護士はメモなんか取らないものだぞ。これまでメモを取る弁護士なんか見たことがない」と問い詰めたのだ。

ドン・マクガーン(Donald Francis McGahn II、1968─)TITLE[photo: Gage Skidmore – CC BY-SA 2.0]
ドン・マクガーン(Donald Francis McGahn II、1968─)TITLE[photo: Gage Skidmore – CC BY-SA 2.0]

 これに対してマクガーンは、自分は「本当の弁護士」だからメモを取るのだと言った。するとトランプは、「たとえばロイ・コーンのように、おれは何人もの偉大な弁護士とつき合ってきたが、彼はメモなど取らなかったぞ」と述べた。

 マクガーンは何とも返事をしなかった。マクガーンの回想によれば、これが「ロイ・コーンの幽霊がオーバル・オフィスに現れた」最初の事例だったという 。

〖「第5章 ロイの亡霊」139-142頁〗

【ピーター・ベイカー+スーザン・グラッサー著『ぶち壊し屋(上) トランプがいたホワイトハウス 2017-2021』(伊藤真訳、白水社刊)より抜粋紹介】

 

『ぶち壊し屋 トランプがいたホワイトハウス 2017-2021』(白水社)目次
『ぶち壊し屋 トランプがいたホワイトハウス 2017-2021』(白水社)目次

 

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