エドゥアール・グリッサンら「フランコフォン文学」の作家たち 雑誌『ふらんす』(白水社)3月号より
記事:白水社

記事:白水社
エドゥアール・グリッサンの大著の邦訳、『カリブ海序説』(インスクリプト)が、昨年11月に(やっと?)刊行された。解説や「訳者あとがき」などまで含めると、760ページあまりにもなる分厚い一冊である。訳者は中村隆之、塚本昌則、そして私の三人。原著書の初版(Édouard Glissant, Le Discours antillais, Seuil)の刊行が1981年、翻訳の企画が最初に持ち上がったのは2000年前後だったはずなので、なんとも息の長い仕事ではあった。
ご存知の方も多いかと思うが、グリッサンはカリブ海のフランス語使用地域であるマルチニック島出身の詩人、小説家、思想家である。17世紀にフランスの植民地となったマルチニックは、1946年にフランス海外県となり、現在は仏領特別自治体(Collectivité territoriale unique, 略称CTU)という位置づけになっている。この本は、マルチニックの独立を視野に入れた活動家でもあったグリッサンが、かつての奴隷制の痕跡を刻み込まれた島の歴史、社会、文化、言語が抱える様々な問題に正面から立ち向かい、ヨーロッパ由来の多様な学知を援用、ないしは流用しつつそれらの問題を論じつくした、グリッサンの主著とも言ってよい一書だ。
【Edouard Glissant : penser la créolisation】
フランス語では、フランス本国以外のフランス語使用地域(フランス語圏)のことを「フランコフォニー francophonie」と言い、「フランス語を用いる」あるいは「フランス語圏の」を表す形容詞が「フランコフォンfrancophone」なので、フランス語で発信されるグリッサンのような書き手の作品も、ひとまず「フランコフォン文学littérature francophone」の範疇に含めることができるだろう。
こうした文学の発信地をざっとイメージしてみるならば、フランス本国に接するベルギー、スイス等のフランス語使用地域、あるいは、ケベックをはじめとするカナダ東部──それに、アルジェリア、モロッコ、チュニジアといった北アフリカ地域、セネガル、コートジボワール、コンゴ、ルワンダ等、西アフリカを中心とする地域、アフリカ東岸沖の島嶼であるマダガスカル、仏領レユニオン等、さらにはニューカレドニア、仏領ポリネシアなどの太平洋地域など、フランスの旧植民地だった地域を思い描くことができる。そして、とりわけ旧植民地の地域では、「フランス語で書くこと」は常に問題含みであった。植民地支配者の言語であるフランス語と植民地被支配者の言語である現地言語(多くの場合、文字化されざる言語)との葛藤的な状況が存在してきたからである。フランス語と、たとえば、北アフリカにおける口語アラビア語、いわゆるブラックアフリカにおけるアフリカ諸言語、ニューカレドニアにおけるメラネシア系諸言語、カリブ海地域におけるクレオール諸語との関係は、これらの地域から発信されている「フランコフォン文学」にそれぞれの形で陰影を与えている。
振り返ってみれば、ここまでのおよそ30年間、私はこうした「フランコフォン文学」に、主に翻訳というかたちでかかわってきた。そのごく初めのころの1996年の夏、「世界フランス語教授連盟」の大会の一環として、慶應義塾大学でフランコフォン文学を巡るシンポジウムが開催されていた。壇上にはモロッコの作家タハール・ベン゠ジェルーン、コンゴのアンリ・ロペス、マルチニックのラファエル・コンフィアン、ロシアからフランスに亡命した作家アンドレイ・マキーヌなど、それぞれ異なった背景を抱えながらフランス語で表現する文学者たちが並んでいた。登壇者たちの発言についてはもう記憶の彼方に消えてしまっているが、フランス語で発信される文学の多様性の一端が、作家たちの肉体とともに今ここに存在していることに、目を見張った覚えがある。
【Tahar Ben Jelloun, écrivain : "J’ai passé des mois à Casablanca"】
ポストコロニアル文学という言葉が広く流通し始めたのも、この頃だったろうか。当時、私はマルチニックの作家パトリック・シャモワゾーの小説『テキサコ』の邦訳に取り組んでおり、登壇者の一人で、シャモワゾーとともに「クレオール性」を主唱していたラファエル・コンフィアンを捕まえて、シャモワゾーのファックス番号などを教えてもらったのも覚えている。インターネットが普及するだいぶ前の話だ。
【ORSAY LIVE - Baudelaire jazz ! Patrick Chamoiseau - FR | Musée d’Orsay】
このころ以来、「フランコフォン文学」の数々の作品が、邦訳で読めるようになってきた。例えば、さきほどのタハール・ベン゠ジェルーン(邦訳では「ターハル」の表記もあり)はすでに十数冊が日本語に訳されているし、エドゥアール・グリッサンの著作も、『カリブ海序説』を含めて、12冊が邦訳されている。カリブ海に関しては、グリッサン以外にも、エメ・セゼール、マリーズ・コンデ、ラファエル・コンフィアンなどの作品も邦訳で読むことができるし、私自身も、シャモワゾー『テキサコ』(平凡社、1997)や、立花英裕との共編訳『月光浴──ハイチ短編集』(国書刊行会、2003)、また、グリッサン『憤死』(水声社、2020)などの翻訳に携わってきた。
【À l’Affiche Planète afro : hommage à l’écrivaine Maryse Condé • FRANCE 24】
「フランコフォン」という形容詞を「母語ないし第一言語ではないフランス語を用いる」というふうに広くとるなら、ロシアからの亡命作家アンドレイ・マキーヌの『フランスの遺言書』(星埜守之訳、水声社、2000)やアメリカ人作家のジョナサン・リテルの『慈しみの女神たち』(菅野昭正、篠田勝英、有田英也、星埜守之訳、集英社、2011)なども、この流れに入るのかもしれない。
【Andreï MAKINE : “La littérature peut-elle nous sauver du chaos”】
【雑誌『ふらんす』2025年3月号「世界のなかのフランス語」より一部紹介:続きは本誌で!】