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批評/批判の運命とアナーキーの諸問題――『批評と生きること』『アナーキーのこと』をめぐって(前編)──片岡大右×吉琛佳×前川真行

記事:晶文社

『批評と生きること』および『アナーキーのこと』書影
『批評と生きること』および『アナーキーのこと』書影

『図書新聞』の終刊と日本の書評文化

前川 司会を務めます前川です。今日は、片岡大右さんの『批評と生きること』、そして片岡さんが訳されたデュピュイ=デリ&トマ・デリ『アナーキーのこと』をめぐって、片岡さんと共に、あるいは片岡さんを囲んで、公開シンポジウムを開催し、議論していきたいと思っています。

会場風景(前川真行さん)
会場風景(前川真行さん)

 私が最初に片岡さんのお名前を知ったのは、フランスの作家シャトーブリアンの研究書(片岡大右『隠遁者、野生人、蛮人――反文明的形象の系譜と近代』知泉書館、2012年)を通してでした。著者のことを何も知らずに偶然本屋で見つけたのですが、この本が非常に印象的で、片岡という名前が残りました。一見すると普通の研究書のように見えるのですけれども、もう本の全体から、普通の研究書を自分は書きたくないんだという著者の自己主張が感じられる、そういう本だったというのが最初の印象です。

 それからしばらくして、私が翻訳したロベール・カステル『社会問題の変容』(ナカニシヤ出版、2012年)の書評がある学術誌に載りまして、それをたまたま見たんですね。非常に素晴らしい書評で、これはよく分かっているひとだと感心しながら読みました。最初は、あのシャトーブリアンの研究書の著者と同一人物だとは気づいていなかったのですが、ある時に両者が一致します。できればいつか会ってお話しをしたいと思っていたのですが、一昨年くらいに願いが叶いまして、こうして、同じ席に座るようになりました。

 先日、『図書新聞』の終刊が伝えられました。私は、一方では、学者という職業柄、片岡さんにはもっとまとまった本を書かずにいるのはもったいないと、ついそういうことを言ってしまうのですけれども、その一方、先ほど触れたカステルの書評もそうですが、片岡さんは非常に優れた書評家であるとも思っています。日本では残念ながら、書評が、書物を離れて、あるいは広告を離れて、それ自体として、ひとつのテクストとしてシェアされるということがなかなかない。だから日本には書評の文化はないと思ってきたのですが、そんな状況のなかでも、片岡さんはきっちり書評というものを書いてくれているひとだと思います。『批評と生きること』という著作は、実は書評集という側面も持っていまして、書評の文化ということで言うと、これほど立派な書評集もない。少なくとも私自身としてはそう思っています。

 それでは、あまり長々と紹介を続けるわけにはいきませんので、このあたりで片岡さんにバトンタッチして、論題提供をしていただきたいと思います。

会場風景(片岡大右さん)
会場風景(片岡大右さん)

片岡 感動的なご紹介をありがとうございました。私は18世紀末から19世紀前半にかけてのフランス文学・思想の研究者として博士論文を書きましたが、ご指摘の通り、そこではかなり自由な書き方をしています。その後に機会を得て、大学の内外で、狭義の専門にとらわれず、様々な対象について文章を書くようになりました。そうしたなかで、先ほど言及してくださったように、カステルの『社会問題の変容』について書評を依頼されるようなこともあったわけです(『唯物論研究年誌』第18号、2013年)。これは原著自体が非常に重要な著作ですけれども、日本語版について特筆すべきはその訳文の素晴らしさでして、原著者の議論の細かなところまで、翻訳を通してちゃんと追っていくことができる、というのは、当たり前のようでいて実はそうではない。私のほうでも、前川さんという研究者についてよく存じ上げずに翻訳を読んで、これは大変な知的力量のひとだな、という鮮やかな印象を受けた次第です。なお、カステルの原著は1995年に出ているのですが、これはフランスの歴史においてひとつの画期と言える年に当たっておりまして、この点についてはのちに取り上げることにします。

 書評文化ということで申し上げますと、日本の新聞・雑誌の書評はそもそも分量が短すぎる、ということがありますね。もちろん、限られた字数で巧みに要約を提示したり、味わい深い文章を展開したりと、見事な仕事をする書評者もいるわけですから、それはそれでひとつの文化だとも言えますけれども、やはり短いものばかりでは限界がある。その点、『図書新聞』や『週刊読書人』のような書評紙は比較的長い書評を載せてくれる媒体です。私の場合、特に前者には1万字前後のものを何度も載せてもらいました。『批評と生きること』は様々な媒体に掲載された文章をまとめたものですが、『図書新聞』を初出とするものがいくつもありまして、その点で私は、同紙にほんとうに多くを負っています。

ブレイディみかこ『THIS IS JAPAN』の書評「緊縮の中枢からガラパゴスへの旅」(『批評と生きること』所収)が掲載された『図書新聞』1面(2016年11月26日号)
ブレイディみかこ『THIS IS JAPAN』の書評「緊縮の中枢からガラパゴスへの旅」(『批評と生きること』所収)が掲載された『図書新聞』1面(2016年11月26日号)

「破壊者の黒い夢」と「理想主義者の青い夢」

片岡 さて、その『批評と生きること』は2023年の冬に出た本ですが、その後、今年2025年の夏に私は、『アナーキーのこと』という翻訳書を上梓しました。今日はその両者をつなぐ問題系について、まずは私のほうから若干のことをお話ししたいと考えています。

 批判というものは、社会全体の構造ないし秩序を総体的に問いなおすことを促すのですけれども、ここには一定の危うさがある。グレーバーが指摘しているように、若きマルクスが目指したような「容赦なき批判」は、私たちが生きている現実そのものを全体として間違ったもののように感じさせ、全面的な転覆や破壊なしには何も変えることができないかのような信念を生みかねない。グレーバーはこれをマルクス主義を念頭に述べているわけですが、同じことはアナキズムについても言える。じっさいアナキズムは、19世紀末に一連のテロルと結びつけられて、以後の政治的想像力のうちに暴力の神話を定着させることになりました。

デヴィッド・グレーバー David Graeber speaks at Maagdenhuis Amsterdam,  2015-03-07 ©Guido van Nispen/CC BY 2.0
デヴィッド・グレーバー David Graeber speaks at Maagdenhuis Amsterdam, 2015-03-07 ©Guido van Nispen/CC BY 2.0

 今日のアナキズム再評価はこうした点を迂回してなされているように思います。だからたとえば、最近出たアレックス・プリチャード『アナキズム』の日本語版(小田透訳、白水社、2025年)の帯を見ますと「破壊の根強い神話に抗して」と書かれている。そうした再評価のあり方は、一面ではまったくもっともなことだと思うのですけれども、神話には神話の現実性があるのですし、それにまた、銀行のガラスを破壊するようなことは、日本の外のアナキストは今でもやっているわけですね。そういう行為の評価をめぐっては、『アナーキーのこと』の親子は意見がわかれていて、私は父デリ氏の懐疑的な見解に近いですけれども、ともあれ、そうした行為の背景にあるのも、既存の秩序や体制への根本的な否定の意志であることはたしかです。

 あらゆる支配から解放された自由な社会の展望と表裏一体になって、既存の秩序の全面的な破壊への意志が現れるという点で、アナキズムは批判的精神の容赦ない展開のひとつの帰結ということができる。先ほども示唆したように、グレーバーなどはむしろこうした批判の容赦なさから距離を取るためにアナキズムを持ち出すのですから、アナキズムとひと言で言ってもその内実は様々でありえます。しかし歴史的に見るなら、批評あるいは批判の両義性というか、それを徹底的に貫いた場合に行き当たるかもしれない困難を体現しているのがアナキズムであるという一面を無視するわけにはいかないでしょう。

 『アナーキーのこと』で言及される研究書に、ユリ・アイゼンツヴァイク『アナキズムをめぐる虚構』(原著2001年、未邦訳)という本があります。フランスでは1890年代初頭にテロが相次いで起こり、それと結びつけられたアナキズムがにわかに大衆規模の注目を集めました。アイゼンツヴァイクによれば、こうしてアナキズムは「西洋の政治的想像力の主要な一要素とは言わずとも、少なくともそこに様々なかたちで常時姿を見せる一要素」となったのだといいます(じっさいアイゼンツヴァイクは同書で折に触れ、1970年代の新左翼によるテロを引き合いに出している)。

 フランスではこれらのテロを受け、1893年から94年にかけて「凶悪事法」と呼ばれる一連の立法がなされ、アナキズム思想を説くことそれ自体が罪となりました。「知識人」というカテゴリーの起源はフランスにおいて、ドレフュス事件(1894年)後の論争の過程で成立したものとされますが、アイゼンツヴァイクはそれにわずかに先立つこの凶悪事法に注目し、この法律がただ言葉のみによって人々の行為に影響を及ぼす著作家の法的責任を定めた点を強調して、知識人はドレフュス事件を待たずして、アナキストたちとともに誕生していたと説いています。

 言うまでもなく、アナキズムすなわちテロ、という理解には深刻な単純化が認められます。しかし当時、社会的現実総体に対するラディカルな拒絶に傾いていたのはアナキストだけではなく、芸術家、特に象徴派の詩人たちは多少とも爆弾テロに共感を寄せるか、少なくとも一定の距離を置きつつ強い関心を示していた。後者の例を取り上げるなら、詩人ステファヌ・マラルメは当時、既成秩序を炸裂させるべく投擲される爆弾と伝統的な詩的言語を解体する自らの詩作の親近性を感じながらも、ジャーナリストの質問に答えて、「私が知っている爆弾は書物だけです」とはぐらかしています。またエミール・ゾラはあるアナキスト活動家のテロ事件を受けて『フィガロ』紙の取材に応え、次のように述べています。

アナキストの夢がいつか消えてなくなるなどとは考えないことです。破壊者の黒い夢は、理想主義者の青い夢の傍らにつねにとどまるでしょう。両者はいずれも同じ欲求から生じているのです。これは悪が続く限り、つまり人類が続く限り、変わりようのない事実です。

 なかなか印象的なコメントですが、ここでゾラはアナキストのテロを一種の必然として理解しながらも、支持を表明しているわけではありません。彼は同じインタビューでアナキストを詩人になぞらえ、アナキズムを「永遠の黒いポエジー」とみなしていますけれども、彼の考える詩人とは、望むものをただちに実現できなければ気が済まない「非科学的」な精神の持ち主なのです(「子どもや女性と同じように」、と彼は述べている)。漸進的な発展を志向する「科学的精神」を自認するゾラとしては、アナキストの思いに一定の共感を示しながらも、その実践を受け入れるわけにはいかない、ということになります。

エミール・ゾラ
エミール・ゾラ

「社会問題」の行方

片岡 ゾラは小説『パリ』(1898年)でもアナキズムを構成要素としています。主人公の神父ピエールは、「社会問題と宗教問題は一体をなす」と信じていました。ここで「社会問題」というのは、社会の様々な問題を指す現代日本の感覚で理解してはいけなくて、近代産業社会の発展によってもたらされた新たな階級関係と、そこで深刻化する貧困といった事柄に関わっています。ピエールは当時の西欧におけるこの重大課題を伝統的な宗教の枠組みにおいて解決しようとするのですがうまくいかない。そんななか、彼の傍らに姿を現すのがアナキストのサルヴァです。失業中の機械工である彼は大ブルジョワの邸宅を標的に爆弾テロを敢行するのですが、その犠牲になるのは同じ労働者階級の帽子売りの少女ひとりだけです。この『パリ』では、カトリックの「慈愛」とアナキズムの暴力が、正義を実現するための間違ったアプローチとしてともに退けられて、科学の発展に支えられ労働の力を尊重する、社会主義志向のヒューマニズムが未来の道として提示されて終わる。これはもちろん、作者ゾラ自身の支持する道であったわけです。

 じっさい、伝統的宗教が社会統合の基盤たりえなくなったこの時代、「社会問題」の克服の方途としては、既成秩序の革命的転覆への志向性との緊張関係において、漸進的な改革の試みもまた模索されていました。社会国家あるいは福祉国家の構築というこの解決策は、20世紀において相対的な成功を収めたのち、1970年代以降に新たな困難に直面していく。いわゆる「新自由主義」の台頭と、それに対応するための批判の再活性化といったテーマについては、『批評と生きること』の第3部が扱っています。

 今日は、そこで焦点を当てた問題のひとつに、改めて注意を促しておきたい。それは伝統的な「社会問題」の回帰と、それに還元されえない多様な社会的問い――今日まさしく「多様性」の名のもとに語られている――の前景化の関係をめぐる問題です。

 とりわけ冷戦終焉後に、市場重視の経済秩序が再構築されていくなか、西側先進国においても経済的格差が拡大していき、それに伴って、先ほど述べた意味での「社会問題」、すなわち階級と貧困をめぐる問いの重要性が新たに浮上してきました。本日の冒頭に取り上げたカステル『社会問題の変容』が出た1995年は、フランスにおいては象徴的な年として記憶されています。フランスというと、デモやストが今でも盛んな国、というイメージがありますが、実は1980年代のミッテラン社会党政権成立以降、一種の逆説として、ストの件数は顕著に低下していた。労使は「社会的パートナー」として再定義され、「階級闘争」的な方向性は抑制されてきたわけです。しかしこの1995年、当時の保守政権の社会保障改革への反対を契機に、突如として1968年以後最大の公共部門のストが実現し、多くの市民が共感をもって迎えるという出来事が起こりました。この時期以降、フランスでは新自由主義的グローバリゼーションへの反対運動が高揚するとともに、中道化を深める社会党と一線を画した新たな左派勢力の形成が模索されていく。第3部の中心的論考で取り上げたリュック・ボルタンスキー&イヴ・シャペロ『資本主義の新たな精神』(原著1999年、三浦直希ほか訳、ナカニシヤ出版、2013年)は、まさにこの1995年のインパクトを受けて書かれた著作です。

フランス、ル・アーヴルでの反G8デモの風景(2011年) Anti-G8 demonstration in Le Havre, France, the week-end before the G8 summit in Deauville. By Guillaume Paumier - Own work, CC BY 3.0.
フランス、ル・アーヴルでの反G8デモの風景(2011年) Anti-G8 demonstration in Le Havre, France, the week-end before the G8 summit in Deauville. By Guillaume Paumier - Own work, CC BY 3.0.

 しかしこうした動きの一方で、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる、また人種やエスニシティをめぐる問いがますます浮上してきているということがあり、そうした問題と伝統的な「社会問題」をどう折り合わせるのかというのは、なかなか簡単ではないように思います。難しさがうかがえる一例として、ここでは、『批評と生きること』第3部の「はじめに」で触れたフランスの論争に改めて言及しておきましょう。

 日本でも『フランスという坩堝』(原著1988年、大中一彌ほか訳、法政大学出版局、2015年)という移民史研究の名著が翻訳されている、ジェラール・ノワリエルという歴史家がいます。彼は元共産党員で、移民労働者の労働運動に関わったり実際にアフリカに渡ったりといった経験を経て、階級問題にすべてを帰着させることの無理を悟ったという経歴のひとです。しかし『フランスという坩堝』の議論は、欧州出自のかつての移民労働者が差別に苦しみながらもやがてフランス社会に溶け込んでいったことを強調し、それによって、北アフリカ出自の移民たちの社会統合の困難、という当時の激しい論争的主題の熱を冷まそうとするもので、これはレイシズムの問題を軽視するわけではないものの、やはり階級の問いのほうを重視した議論という印象を受けます。

 こうしたノワリエルの論調に対して、近年、それは「カラー・ブラインド」な議論だ、つまり肌の色に基づくようなレイシズムの問題の深刻さを隠蔽する議論だという批判がなされているんですね。エリック・ファサンとディディエ・ファサンという兄弟の研究者が代表的ですが、彼らはアメリカ流の多文化主義の立場から、ノワリエルをフランスの伝統的な「共和主義」モデルを理想化するものだという批判を投げかけているわけです。それに対してノワリエルは、そうした批判者は、統合の困難を強調することによって問題をいたずらに深刻化し、意に反して排外主義者と同じ土俵に立つことになっていると反論しています。こういう論争を前にすると、私などはどちらの言い分も多少ともわかるので非常に悩ましい、という気持ちになるのですけれども、みなさんはいかがでしょうか。

フランスと日本、2つの1995年

片岡 ここで日本の文脈に視野を転じてみましょう。「新自由主義」の展開への対抗といった問題系は、1990年代以降の日本において、他の西側先進諸国と比べそれほど深く共有されてきませんでした。この点で、フランスと日本における1995年という年に注目するのは興味深いことでしょう。すでに見たように、この年はフランスにおいては「社会問題の回帰」の年として記憶されているのですけれども、日本では大震災とカルト教団によるテロ事件の年であり、あるいは村山談話の年でもある。要するに、自然災害と宗教問題、そしてポスト植民地主義的課題によって特徴づけられる年、ということです。どちらにおいても1995年は画期をなす年とされていますが――たとえば吉さんが中国語訳された柄谷行人『講演集成1995-2015 思想的地震』(ちくま学芸文庫、2017年)は、まさにこの転機の年以降の講演をまとめたものです――、このように意味合いが違っているわけです。

柄谷行人『思想地震:柄谷行人演讲集1995-2015』吉琛佳訳、上海文芸出版社、2024年
柄谷行人『思想地震:柄谷行人演讲集1995-2015』吉琛佳訳、上海文芸出版社、2024年

 『批評と生きること』第4部のブレイディみかこ論で論じたように、日本において経済的不平等克服へ向けた取り組みがなかなか主題化されないことは問題であり、その点に日本の「遅れ」や、「ガラパゴス」的な特殊性を認めることもできるでしょう。しかし逆に、日本の状況のうちに、一種の逆説的な先進性と普遍性を見ることもできるかもしれません。つまり、先ほど触れたように、フランスであれ他の国であれ、「社会問題」の回帰に対応する政治的・社会的変革というものは、模索されはしたものの、決してうまくいっていない。その一方、気候危機やパンデミックのような地球環境それ自体の問題、宗教やアイデンティティの問題がますます問われるようになっている。そうしてみると、日本的例外と見えたものはむしろ、世界に共通の運命の先取りというか、徴候のような価値をもっているように思えなくもありません。なお、このあたりの難しさについては、『批評と生きること』第3部ではなく作品論を収めた第2部の中心的論考のひとつ、「多様性と階級をめぐる二重の困難」で、米国のドラマや映画を読み解きながら主題化しています。

 ちょっと今日は、現代における困難にばかり焦点を当てることになっているのですけれども、別に私は未来をまったく悲観している、というわけではありません。そのことは『批評と生きること』、特に第1部のグレーバー論や、第2部と第5部の作品論、芸術家論をお読みになれば了解していただけるでしょう。しかし前向きな話はこれから吉さんがしてくださるはずですので、このあたりで私の話は終わりにいたします。

困難をシェアする必要性

前川 ありがとうございました。『批評と生きること』は論集ですので、ここから一貫したパースペクティブをつかみ取るのは必ずしも容易ではない。今日のお話でそれがかなり見えてきたということはありますけれども、だからといって何か解決のようなものが提示されたわけではないので、カタルシスがあるわけではない。しかしまずは、今日のわれわれが抱えている、無力感というほどではないかもしれないけれども、一種の困難をシェアすることが必要で、そのためにはやはり、落ち着いて勉強することが重要だろうと感じた、というのが率直な思いです。ノワリエルをめぐる論争など、日本ではあまり取り上げられませんが、たしかに大事ですね。

片岡 そうですね。日本では「現代思想」と称される主として哲学系の論者がややバランスを欠いたかたちで紹介される一方、フランスの社会学や歴史学となると、研究者のサークルを越えたところで情報が共有されることがあまりない、という事情はあると思います。

前川 それでは次に、吉琛佳さんにお話しいただきます。ヴェーバーの議論を日本と中国がどのように受容したのかというのが本来のご専門ですが、柄谷行人などの中国語訳も行っていて、アカデミックなスタイルと批評のスタイルの両方にご関心がある。私のところに留学してきた中国人学生などをみても、最近の中国にはこうした若い世代が現れているのだな、という印象を受けています。日本の国内では、かつては大学の紀要と『現代思想』のような商業誌の区別が付かないような時代があり、その後に揺り戻しがあって、それはアカデミズムの側からすると正常化ということではあるのですけれども、私などからすると少し窮屈に感じられるところもある。そうしたなか、中国の若い世代にこうした傾向が見られるのは、非常におもしろいことだなと思っています。それではお願いします。

批評の運命と社会学

会場風景(吉琛佳さん)
会場風景(吉琛佳さん)

 本日のシンポジウムに参加する機会をいただき、とても光栄に思います。『批評と生きること』と『アナーキーのこと』という2冊、片岡さんによって世に送られたこの評論集と翻訳書は、社会学を学んできた私にとっても、なぜか強い共鳴を覚え、対話を交わしたいという衝動に駆られる著作でした。おそらくその理由は、『批評と生きること』の「序にかえて」においてすでに提示されているように、批評という営みが本来的に抱えもつ二重性の問題に一貫して自覚的である点にあります。そしてこのような二重性は社会学にも共通しています。こうした状況に関連して、片岡さんが近年、アナキズムを関心の中心に据えていることは、私自身の関心の変化とも深く響き合っています。そのため本日の報告では、まず、なぜ私が片岡さんのこれらの著作に強く共感を持ち、その問題意識が現代社会の諸症状の核心に切り込んでいると感じたのか、その理由についてお話ししたいと思います。

 『批評と生きること』の冒頭では、批評という営みが有している二重の特質が分析されています。一方で、批評とは常に「何らかの全体的な構造の析出」と結びついており、「個々の事象の表面にとどまることなく、その基盤をなす大きな枠組みを露呈させること」である。しかし他方で、批評は単に構造の暴露にとどまることはできず、「希望の現実性」を探りあてること、すなわち「堅固なものに見える構造のそこここに余白や空隙を探り当て、人々が自律性を発揮することで新しい何かを生み出していけること」が求められる。この一節は、18〜19世紀初頭における批評誕生以来の位置づけを端的に示していると言えるでしょう。

 批評という営みは、近代的個人の存在状況の確立とともに生まれてきました。啓蒙精神は、人間に「未成熟の状態から脱すること」を要請し、自らの経験を理解し能動的に把握する主体となることを促した。そのためには、現状の全体構造を俯瞰的に把握するだけでなく、そうした理解に基づいて自立と解放の契機を見出すことが求められたのです。言い換えれば、近代的な存在状況そのものの内部には、現実と当為、現状認識と潜在的可能性をともに把握しようとする二重性が内在しています。批評とは、時代の状況を把握し価値判断を形成する営みとして、こうした近代的要請に応答してきたものです。そして、同様の環境の中から生まれたのが、社会学という近代的な学問にほかなりません。

 オーギュスト・コントの時代以来、社会学は啓蒙の精神を継承し、私たちが生きる社会生活を科学的に把握することによって、それをより良い方向へ導こうとする営みとして成立してきました。社会学という学問の誕生は、神権や王権といった観念的束縛を脱した人々が、自らの置かれた状況を理解しようとする要請に応えるものであったと言えます。全体の状況を包括的に把握しようとするこの要請こそが、社会学の基盤を成している。たとえば社会学者・奥井智之氏は『社会学の歴史』(東京大学出版会、2010年)の中で、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『ベルリン・天使の詩』に登場する天使のイメージを用いて、社会学者の特質を説明しています。すなわち天使には、人間がやっていることや心の中で思っていることが全部見えていて、彼らはそれを記録に残している。人間のほうからは見えないが、天使のほうからは人間が見えていて、ずっと人間を観察しているわけです。奥井氏によれば、このような人間社会の傍観者のような「天使的存在」こそ、社会学者の在り方そのものになります。

 しかし、社会学は社会的構造の観察と記録のみにとどまることはできません。なぜなら、社会学者は結局のところ、人間として社会生活に関わらざるをえない存在だからです。たとえば大澤真幸氏は、奥井氏の見解を批判し、社会学者には「人間として生きざるをえない」側面があることを指摘しています。大澤氏は次のように述べています――「社会学という知にとっての究極の課題は、目一杯天使でありつつ、完全に人間であることはいかにして可能か、にあるのだ〔…〕。人間世界に対する冷静な観察者でありながら、同時に人を愛することがいかにして可能か」(『社会学史』講談社現代新書、2019年)。社会学者は、徹底した傍観者や俯瞰者であることはできず、必然的に愛憎や価値関与を抱え、ある種の社会的局面の形成に関わらざるをえません。

映画『ベルリン・天使の詩』で天使が腰掛けて街を見下ろす、戦勝記念塔の女神像 Winged Victory detail © Ailura/CC BY-SA 3.0 AT
映画『ベルリン・天使の詩』で天使が腰掛けて街を見下ろす、戦勝記念塔の女神像 Winged Victory detail © Ailura/CC BY-SA 3.0 AT

 こうした「傍観者」と「参与者」のあいだで揺れ動く二重性とジレンマは、批評家のあり方とも深く重なり合っています。両者はいずれも、時代状況や時代精神を明らかにする俯瞰的な使命を担いながらも、同時に現実へと批判的に介入し、その形成に関与する存在なのです。また、片岡さんの著作で取り上げられる社会学者ピエール・ブルデューとリュック・ボルタンスキーの対立、さらにはボルタンスキー自身の前期と後期の間の態度転換――これは先ほど片岡さんが言及された「社会問題の回帰」に伴って生じたものですが――をめぐる議論も、まさにこの「傍観者」と「参与者」の間に生じる矛盾と緊張の中で展開されたものにほかなりません。したがって、同じく近代の所産である批評と社会学はいずれも、時代の状況を把握するという課題を担うと同時に、知的かつ倫理的な責任をも引き受けているのだと言えます。

 しかし、ポストモダン以降、構造的に現状を把握し、その出口を探ろうとするような文学批評は、だんだんと姿を消してしまったように見えます。柄谷行人が2003年の講演「近代文学の終わり」で述べているように、文学はマイナーになってエンターテインメント化してしまい、もはや社会全体に関わる営みではなくなっています。それに呼応するように、批評の営みもまた、時代の症候を暴き出す使命を担うものではなくなり、業界向けのもの、あるいはサブカルチャーの内部で完結するような活動へと変化しました。批評はコンテンツの生産と高度に癒着し、社会批判としての価値を失ってしまったのです。もちろん、こうした現象は消費主義の興隆や、社会の脱政治化・価値の多元化といった時代的変化の結果にすぎないとも言えます。しかし、現状を把握し、自分自身を位置づけるという批評という営みを失うと、反省に基づいて形成される主体性そのものも、もはや成立しえなくなります。

 同様の変化は、社会学の領域にも生じています。今日の社会学においては、経験的・実証的な研究がかつてないほど盛んである一方で、一般理論の探究は明らかに停滞状態に陥っている。学問としての社会学はますます専門分化・制度化し、各分野のあいだには高い壁が築かれ、厳密な分業が進んでいます。誰もが「グランド・セオリーの不在」を嘆きながらも、今の時代において再び全体的な把握を試みようとする動きはほとんど見られません。おそらく、ニクラス・ルーマンがハーバーマスとの論争の中で述べたように、高度に機能分化した現代社会において、社会学はもはや社会全体を俯瞰するその位置を失い、自らが属するサブシステムと高度に癒着してしまったのでしょう。この意味で、社会学の運命は批評活動ときわめて類似しています。いずれも「全体の把握」を失い、単なる一人の参加者でしかないものへと変わりつつあります。だが、はたして私たちはこのような変化を当然の帰結として受け入れ、全体把握を失ったこの時代の状態に安住してよいのでしょうか。

 私自身、社会学を学び始めたのは、ヴェーバーやデュルケームといった古典を読んで、それが描き出す近代社会の状況が自分自身の生きる現実と深く関わっていることを強く感じ取ったからです。そこには、人々が自らの現状を明確に把握しようとするための手がかりが確かにありました。社会学が現代社会の状況を言語化し、対象化することによって、初めてオルタナティヴな可能性を構想し、現実を変えていくことができるのです。ところが実際に社会学の勉強を始めてみると、今日の社会学はもはやそのような全体的把握の視野を持つことが少なく、むしろ既成の社会状況の一部として機能してしまっている現実に気づかされることになりました。

マックス・ヴェーバー
マックス・ヴェーバー

 この意味において、片岡さんが批評の営みの中で鋭くアナキズムを導入し展開していることは、きわめて重要であり、非常に価値の高い試みです。近年、アナキズムをめぐる議論は学術においても社会文化においても異例の活発さを見せています。この現象は、まさに私たちの時代に共有されているある感覚の表れだと言えるでしょう。国家による個人への統制はすでに隅々にまで行き渡り、人々は相互扶助的な環境から切り離され、孤立させられ、他者への信頼を失い、支え合うこともできず、長く不安の中に置かれている。そして、安心を得るためのあらゆる行為がお金によって媒介されるようになっています。つまり、現存の資本主義国民国家体制が人間の存在を含むすべてをアトム化し、商品化していく過程の中で、社会の構成員が支え合いながら生きる力そのものが限界に達し、もはや持続不可能になっているわけです。

 アナキズムへの広範な関心は、まさにこのような状況の中で生まれたものでしょう。したがって、アナキズムに強い共感が寄せられているこの時代において、私たちはあらためて「批評とは何か」「社会学とは何か」を考え直す必要があります。ここで言いたいのは、アナキズム的批評やアナキズム的社会学を作るべきだということではありません。むしろ、現代の状況を再び全体的に把握しようとするためには、アナキズムの問題系を一つの時代的・文脈的契機として捉え直すことが不可欠だということです。

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