マリーズ・コンデの少女時代をふりかえる 『心は泣いたり笑ったり』(白水社)
記事:白水社
記事:白水社
毎年秋になると世界のメディアをにぎわすノーベル文学賞の受賞者発表が、2018年は見送りになった。原因は選考委員のセクハラ問題だ。そのときスウェーデンの市民団体が、即座に、1年かぎりの「ニュー・アカデミー文学賞」を創設、その受賞者がマリーズ・コンデだった。長く関節炎を患ってきたマリーズは病を押して車椅子で授賞式に参加した。それから7年が過ぎようとする2024年4月2日、マリーズ・コンデは「数々の悲嘆と失敗と言語を絶する苦悩、そして遅まきながらやってきた幸せが長く連なる人生」と本書に記した生涯の幕を閉じた。享年90歳。
【À l'Affiche Planète afro : hommage à l’écrivaine Maryse Condé • FRANCE 24】
この本はその作家マリーズ・コンデが少女時代を回想して書いた作品である。原著の出版は1999年、65歳のときだ。
マリーズが生まれたのは1934年2月11日、カリブ海小アンティール諸島に浮かぶグアドループである。当時はまだフランス領で、のちにフランス海外県となるグアドループの、成功した裕福な黒人家庭の末子として生まれている。家族ではクレオール語(西アフリカの言語とフランス語の混成語)を使わなかったこと、仮面をつけた人々が街を踊り歩くカーニヴァルのこと、親友イヴリーズのこと、散歩に行った公園で白人少女から受けた差別体験、乳母マボ・ジュリの死、あっけなく破れた初恋、ガールスカウトの惨憺たる遠出、親戚の家で目にした衝撃的なお産の場面など、少女マリーズの目に映り脳裏に焼きついたさまざまな光景が、この島の雰囲気が匂い立つような文章でつづられている。さらに、大学へ入るためにパリへ旅立ち、大学入試の準備期間と大学へ入学した直後の出来事が加わる。
回想記ではなく「回想して書いた作品」としたのはいささかわけがある。扉に引用されたプルーストのことばにもあるように、成人してから幼年期や青春期を回想して書くものは、記憶そのもののフィクション化にほかならない。意識的にであれ無意識にであれ、何を書き、何を書かないかを選択するのは書き手自身だからだ。「過去そのもの」と「過去という名のもとに思い出されるもの」は決定的に異なることを、この作家もまた強く認識しているのだ。そのことをまず確認しておきたい。まして、話は少女マリーズが生まれたときにまで遡る。本人が記憶しているのは当然、周囲の人から何度も聞かされて記憶のなかで上書きされた「お話」なのだから。
そう、この本はお話がいっぱいなのだ。
マリーズが生まれたとき母はすでに43歳、父は63歳。20歳も年齢の離れた姉エミリアを筆頭に7人の姉と兄が(さらに異母兄が2人)いた。すぐ上の兄サンドリノの影響を受けて反抗的な態度をとるおませなおチビさんぶりには思わずクスリとなるが、なんといっても瞠目するのは、わずか10歳で母親のことを劇に描いて、45分も延々と一人芝居を演じる場面だ。誕生祝いの劇だったのに当の母親は途中で涙を浮かべて2階へあがってしまった。「真実を言ってはいけないのだ。絶対に。自分が愛する人には、絶対に」と気づいたときはすでに手遅れ。後にインタビューでも語っているように、これがマリーズ・コンデの作家としての出発点になったのだという。[中略]
訳者が黒人女性作家の小説や詩に衝撃を受け、いつかその作品を翻訳したいと思うようになったきっかけは、藤本和子が編集した7巻からなる「北米黒人女性作家選」(1981─ 82年)との出会いだった。トニ・モリスンの『青い眼がほしい』、公民権運動を闘った人たちを描いたアリス・ウォーカーの『メリディアン』、詩人で劇作家のヌトザケ・シャンゲの『死ぬことを考えた黒い女たちのために』、文化人類学者ゾラ・ニール・ハーストンとルシール・クリフトンの『語りつぐ』、ミシェル・ウォレスの『強き性、お前の名は』、エリーズ・サザランドの『獅子よ、藁を食め』、メアリ・ヘレン・ワシントン編『真夜中の鳥たち』から成るこの選集は、日本語のなかに集団としてのアフリカン・アメリカンの作品群を、ある時代を切り取り投げ込んで、まったく新たな視野を開く仕事だった。各巻に津島佑子、森崎和江、石牟礼道子、矢島翠、ヤマグチフミコ(深沢夏衣)、堀場清子といった日本語で書く作家たちのエッセイが付され、より広く立体的な読書空間で作品群が響き合うよう工夫されていた。場所を日本に並行移動させながら、読者の視線を太平洋の向こうへ引き寄せ、環大西洋的な視点を獲得できる足場を準備しようとしていた。多くの作品には藤本自身の緻密な解説がついていた。この思想的先駆性に、当時の日本社会は追いつけなかった。ほぼ同時期に出版された藤本和子の北米黒人女性への聞き書き集『塩を食う女たち』や『ブルースだってただの唄』が、このところ相次いで復刊され、新たな読者と出会っている。ようやく時代が追いついたということだろうか。
そしていま、フランス語で書くアフリカン・ディアスポラの作家の作品を復刊し、そこに接続することの意味を考える。マリーズ・コンデは国境や言語によってバラバラになった人たちの共通体験を、環大西洋的な位置から、ポリフォニックなことばで物語ることができる作家だ。その立ち位置が、さまざまな理由で人々が未曾有の規模で移動し移り住む時代に人々の軌跡を照らし出す。マリーズ・コンデはそんな予兆を感じさせる作家である。
アフリカへ向かった英語圏作家のトラベローグと比較してみるといい。たとえば、セントキッツから幼いころ英国へ渡って作家になったキャリル・フィリップスが西アフリカと米国南部へ赴いて書いた『大西洋の音 The Atlantic Sound』(2000年、未訳)、あるいは、最近邦訳紹介された米国のアフリカン・アメリカン文化の研究者、サイディヤ・ハートマンがガーナへ旅して書いた『母を失うこと 大西洋奴隷航路をたどる旅』(2006年)。コンデは1950年代末という驚くほど早い時期に、人生そのものを賭けて西アフリカへ渡っていることがわかるだろう。
そんな作家マリーズ・コンデを形成する母胎となった原風景が、この17章の薄い本にはぎっしり詰まっている。彼女の作品群を理解するための手がかりもたくさんある。それでいてあまくほろ苦い、心にしみるエピソードは、ひとりの人間が自分の少女時代をもう一度訪れるトラベローグとしてピュアに楽しめる。この作品は米国在住の作家がフランス語で書いたすぐれた作品にあたえられるマルグリット・ユルスナール賞を受賞した。
くぼたのぞみ
【マリーズ・コンデ『心は泣いたり笑ったり』(白水社)所収「さよならマリーズ、いつかまた──訳者あとがきに代えて」より抜粋紹介】
【Hommage national à Maryse Condé.】