いちばん身近なアートと出会いなおす――『えほん思考』菊池良・特別コラム
記事:晶文社

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「想像力は知識よりも重要である。」──アルバート・アインシュタイン
現代の複雑で変化の速い社会において、従来の問題解決手法だけでは通用しない場面が増えてきている。そんな中、アート思考は柔軟な発想や創造的な解決策を生み出す力として注目されてきた。アルバート・アインシュタインの言葉が示すように、創造的な思考が未来を切り開く鍵である。
しかしながら、美術館に通うだけがアートではない。私たちは忘れてしまっている。すごく身近に"手に取れるアート"があることを。
とても身近にある"手に取れるアート"──それが絵本だ。
大判でフルカラー、すべて作家の描き下ろし。このような贅沢なアート作品が大量生産されて、誰でも所有できるというのは驚くべきことだ。
私たちは知識や先入観で世界を切り分けてしまう。例えば、色や形、動物や物体をすぐにカテゴリに分け、既存の枠組みで理解しようとしてしまう。しかし、絵本はその前の、未分化の状態を楽しむものである。答えや解釈を急ぐことなく、形のない何かを感じ取ることで、自由な思考と創造を促してくれる。
絵本は、意味を追い求めることなく、まずは感じることから創造が始まる。文字や絵が引き起こす感覚的な刺激に身を任せ、私たちは言葉や形に捉えられない何かを絵本によって感じ取ることができるのだ。そのとき、私たちの思考は限界を超えた場所に浮かび、素粒子となって宇宙を漂うような感覚に包まれる。
しかしながら、多くの人にとって絵本は「自分は対象年齢ではない」と捉えられ、絵本の持つ独自の世界観や感覚を、まだ十全に体験したことがない人が少なくない。
そこで長新太の『ゴムあたまポンたろう』について考えてみたい。
長新太は1927年生まれの絵本作家だ。マンガ家としてキャリアをスタートさせたあと、絵本作家へと転身した。マンガ家としての経験を活かし、独特のユーモアと自由な発想を絵本に込めた。その作品数は膨大にあり、多くのクリエイターが彼をリスペクトしている。
彼の描く作品は「ナンセンス」というジャンルに分類される。ナンセンス──つまり意味を持たないということである。
ナンセンスの系譜をたどれば、19世紀イギリスの詩人エドワード・リアや、『不思議の国のアリス』のルイス・キャロルといった作家に行き着く。彼らの作品もまた、言葉遊びや不条理な展開によって、読者に「常識を揺さぶる体験」をもたらした。長新太の絵本は、その最新型である。彼の絵本は形式やルールにとらわれず、無限の解釈を可能にする作品ばかりだ。
『ゴムあたまポンたろう』は頭がゴムでできている少年が主人公である。彼の頭がポンと叩かれると、彼はボールのようにどこまでも飛んでいってしまう。山や木に当たってバウンドし、どこまでも飛翔する。驚くべきことに、物語はそれだけである。
しかし、このシンプルな構造が、私たちに無限の解釈を生み出し、思考を広げる力を持っている。
ナンセンスとは思考の枠組みを破壊する装置だ。私たちは頭がゴムでないことを知っている。人間がボールのように飛んでいかないことを知っている。どこまでもバウントしないことを知っている。
この思考の枠組みを乗り越えるために、私たちは長新太を読むべきだ。
読書大陸はあらかた開拓されてしまったように見える。しかし、実は足もとに最もエキサイティングな場所が残っていたのではないだろうか。大人たちが見過ごしてしまっている足もとに。
残念ながら、絵本を読む大人は少数派と言わざるを得ない。絵本の魅力は、まだまだ語り尽くせていない。いや、語り尽くせないのかもしれない。ここに大きな可能性がある。
絵本は最初の秘境であり、最後の秘境である。
遊びや想像力が世界を豊かにしれくれることを、私たちは知っている。絵本を読む大人が多数派になったとき、世界の見方は大きく変わってしまうだろう。
変革は常に予期せぬ場所から訪れる。秩序を越え、型破りな道を切り開け。私たちはもはや枠に収まることを拒むべきだ。今こそ、自由な発想と創造が新しい世界を生み出すときだ。動け、考えろ、創れ。
そう、そのために、"絵本"から始めるのだ。