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多田ヒロシさんの絵本「ねずみさんのながいパン」 家族みんなで食べるごはんはおいしい

文:澤田聡子、写真: 斉藤順子

絵本の最後のシーンがパッと思い浮かんだ

——1960年代から絵本作家として活躍し、『おんなじ おんなじ』や『りんごがドスーン』など、ユーモアあふれる絵本を手がけてきた多田ヒロシさん。ロングセラーとなった名作の数々は世代を超えて読み継がれ、「親子二代で愛読している」という読者も少なくない。2000年にこぐま社から出版され、版を重ねる『ねずみさんのながいパン』も、そんな作品の一つ。ながーいフランスパンを持って、とっとことっとこ走るねずみさん。途中で出合う動物たちは、みんな家族そろってお食事中。さて、ねずみさんの向かう先は……? 動物たちのカラフルな食事風景に、子どもたちの歓声が上がる楽しい絵本だ。

『ねずみさんのながいパン』(こぐま社)より

 昔と比べると現代は、毎日のように家族で食卓を囲むことは少なくなっていますよね。絵本を作った当時も、家族がバラバラに食事する「個食」が社会問題になっていて。こぐま社の担当編集者から、「家族みんなでごはんを食べるとおいしいね、と感じられるような絵本はどうでしょう」ということで、そういう特集をしたテレビの録画を資料として渡されたんです。それが『ねずみさんのながいパン』を作ることになったきっかけですね。

 どうして主役をねずみさんにしようと思ったのか、自分でも思い出せないんだけど(笑)。大きな動物よりも動きがうまく表現できるし、小さいねずみさんと長いパンの対比が面白かったからかな。ねずみさんが大家族であるということもありますね。出てくる動物は子どもたちが好きなぞうさんをはじめ、きりんさん、ライオンさん、うさぎさん……うさぎとねずみは多産だからね、ページが進むごとに家族の人数が増えていくような構成になっています。

 絵本の構想を練っていて、初めにポンと頭に浮かんだのは最後のページ。ねずみさんの家族の団らんシーンです。長い楕円のテーブルに長いパン、ずらりと食卓を囲むねずみさん一家。これがどうしても描きたかった。鋭い子はすぐに気付くんだけど、よく絵を見ると、テーブルに着いてない子ねずみがいるんですよ。トイレに行っていて席に着くのが遅れたんですね(笑)。お父さんとお母さんがいて、大勢のきょうだいと赤ちゃんもいて……この絵のイメージが最初にあって、そこからストーリーを考えました。

 「絵本に出てくる食べ物がみんなおいしそう」ってよく言われるんだけど、食べることが大好きだからじゃないかな。フリーの仕事ということもあって、毎日家族3人そろって食事していましたしね。絵本に出てくるメニューはわが家の食卓によく登場していたものもあります。今も息子一家と月に1回食事会をしたり、旅行に行ったり……孫も入れて5人だから大家族とは言えないんだけど、みんなでワイワイ美味しいものを食べるのは楽しいですね。

大事なことは繰り返し読みたくなる“安心感”

——動物たちの家の造形がそれぞれを模した建物になっているのも面白い。「一体誰のおうちかな?」とワクワクしながら、子どもと一緒にページをめくる楽しさがある。

『ねずみさんのながいパン』(こぐま社)より

 漫画家だから、物語としての起承転結はもちろん、やっぱり「絵」もいろいろ工夫したくなる。「誰のおうち?」とまず思わせて、次のページを開くと「あ、やっぱりぞうさんのおうちだったか!」と、ホッとする。「思った通りだったな」という安堵感がないと子どもは喜ばないんですよね。そのページがあると安心するから、繰り返し読みたくなる……絵本ってそういうことも大事なんじゃないかなと思います。

 この絵本が出版された当時、佐藤さん(こぐま社の創業者、佐藤英和さん)の息子さんが職員をされている岩手県の障がい者施設に絵本の出版記念で行ったんです。その施設ではパンも作っていてね、イベントの当日に絵本に出てくるようなながーいパンを2本、形が崩れないように樋に乗せて車の上に積んで持ってきてくれたんですよ。まさか、樋に乗っているのがパンだと思わないから(笑)、びっくりしましたね。

 子どもたちと一緒にゲームしたり、絵本にサインしたりして、イベントの最後にそのパンをみんなで分けて食べようって言っていたんだけど……そこにいた犬がおいしそうなにおいに我慢できなくて、最初に食べちゃった(笑)。そんな楽しい思い出もあります。

子育ては発見の連続! とにかく面白かった

—— “元祖イクメン”と言ってもいいほど、子育てを楽しんでいた多田さん。一人息子のタダサトシさんも現在、絵本作家として活躍している。

 息子は小さいころから虫の絵ばかり描いていてね、「三つ子の魂百まで」と言うけれど、今も昆虫の絵本を描いています。特に絵を教えたことはないんだけど、僕がテーブルの上に置いていた下描きの裏に、虫の絵を何枚も黙々と描いているの。「集中しすぎてもうじき熱出すぞ」って言っていると、いつの間にか顔が真っ赤になっていて……知恵熱を出したりしていましたね。

 息子が1歳半くらいのころかな。家で仕事していると、ベビーサークルの中から「ぺぺってね」って言うんです。なんとなく「絵を描きたいの?」って聞いてみたら「うん」ってうなずくんですよ。絵の具を付けた筆を渡してやったら、なんだか分からないけど絵を描くのね。それで、息子が言う「ぺぺっ」は、筆の動きを表しているんだな、と分かったんです。そのときの絵は今も大切に取ってあります。

 当時は東京の四ツ谷に住んでいて、新宿御苑まで歩いて5分くらい。いつも息子を遊びに連れて行っていました。御苑は昆虫のメッカだから、虫好きの息子は大喜び。捕ったギンヤンマを網の中で触らせたら、「羽根が焼き海苔みたい」だって(笑)。子どもって面白い表現するなあって思いましたよ。夏休みは必ず家族で伊豆高原に行ってカブトムシやクワガタを捕ったり。そんな体験を息子は毎日、絵日記に描いていました。もしかしたら、これが彼の絵本作家としての原点かもしれないね。

 フリーランスで時間があったということもあるけど、新宿御苑には毎日のように遊びに連れて行っていたし、お風呂に入れたり、寝かしつけなんかも僕が担当していました。当時はそんな父親は少なかったから、珍しかったかもしれない。息子に絵本を読んでやって、さあ寝ようというタイミングで、仲良くしていた絵本作家仲間の太田大八さんや長新太さんから「飲みに行こう」ってお誘いの電話がかかってくるから、「ハイ! きょうはおしまい!」って(笑)。息子を寝かせてから、新宿に飲みに行っていました。今振り返っても、子育ては本当に面白かったね。

絵を描いているときが今も一番楽しい

——武蔵野美術大学在学中に週刊誌で漫画家デビュー。漫画家として活躍しながらも、美大の卒業制作は絵本作品だったという。

 19歳のとき、「週刊漫画TIMES」に絵を持ち込んだら一発で決まってね。僕の絵が表紙を飾ったんです。サラリーマンの初任給が1万3000円くらいのころ、表紙1枚で1万2000円くらいもらっていましたからね、急に羽振りがよくなった(笑)。ほかにも、石ノ森章太郎や赤塚不二夫が描いていた「漫画少年」でも描いていました。トキワ荘の人たちとは同時代ですね。

 漫画を描く一方で、絵本も描き始めるようになりました。美大の卒業制作は絵本作品だったしね。日本の絵本業界はちょうど黎明期で、外国絵本の翻訳や民話などの昔ばなしはあったけど、創作絵本はまだまだ数が少なかった。洋書が置いてある銀座のイエナ書店で絵本を買い集めて参考にしていました。

 当時、漫画家の団体「漫画集団」の会員で絵本を手がけている作家を集めて、「漫画家の絵本の会」を作っていたんですよ。メンバーは長新太さん、馬場のぼるさん、手塚治虫さん、やなせたかしさん、柳原良平さん、永島慎二さんなど総勢10名(のち1名脱退)。毎年地方を回って展覧会をしてね、30年くらい続けました。

 あるとき、その展覧会で20歳くらいの女の子が「サインしてください」って『ふたりの王さま』を持ってきたんです。「子どものころから何回も繰り返し読んでボロボロになっちゃったから、新しいのを買ったんです」って本を差し出してくれてね、すごくうれしかった。子ども時代に何度も読んだ絵本って、大人になってもずっと心に残っているんですよね。絵本の良さって、読みたいときにいつでも読めるし、アレンジして読んだっていいし、大人になっても読める——どんなふうにも楽しめる多面性じゃないかな。

 今でも絵を描いているときが一番楽しい。描いているうちに、どんどん話が自由に広がっていって……なんでこんなふうに描けるんだろう?って、自分でも不思議に思うことがある(笑)。絵本を描くのは、映画をひとりで作るようなもの。シナリオ、監督、撮影、演出……それを全部、自分で自由にできるのが絵本作りの醍醐味だと思います。

 いつももやもやした絵本のアイデアが頭の片隅にあって、機が熟すとそれがすっと形になって降りてくる。イメージが降りたらバッとつかんで一気に描く。なんだか魔術みたいだね。今、描いてみたいのはうんと小さい赤ちゃん向けの絵本。どこまで続けられるか分からないけど、作りたい絵本はまだたくさんありますね。