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マルクスがのこした「幻の書」 『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』

記事:白水社

ロシアの強権体質は、どこからくるのか? カール・マルクス著『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』(白水社刊)は、クリミア戦争下構想され、数奇な運命を辿った幻の書。マルクスによるロシア通史「近代ロシアの根源について」、「ロシアの海洋進出と文明化の意味」を収録。
ロシアの強権体質は、どこからくるのか? カール・マルクス著『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』(白水社刊)は、クリミア戦争下構想され、数奇な運命を辿った幻の書。マルクスによるロシア通史「近代ロシアの根源について」、「ロシアの海洋進出と文明化の意味」を収録。

 なぜ、この著作が長く入手困難であったのかは、マルクスの本文を読んでもらえば、すぐ理解していただけると思われるが、とりわけ本文に充ちている反ロシア的な描写の問題がある。それが20世紀社会主義の最高指導者スターリンの神経を逆なでして、マルクス・エンゲルス全集にさえ採録されなかった理由でもあるといわれている。すなわち、本書の存在は、マルクス・エンゲルスなど社会主義文献の収集者であり解説者であったリャザノフには既に知られており、そこからすれば当然全集に収録されてしかるべきものであった。また、そうでなければ全集と銘打ってはならないはずであった。さらに、20世紀中葉以降、西欧各国で出版が続いた後においても、社会主義諸国では、単行本としてすら発表されることはなかった。だが、再度本文を仔細に読んでいただければ、マルクスの反露感情に見えるものは、決してロシア人そのものに対してではなく、その国家が有している専制主義に対してであったことがわかるはずである。それゆえ、その後、専制国家ロシアに対し絶望的なほど厳しく苛酷な闘いを挑んだナロードニキ、とりわけ人民の意志派に対し、マルクスは、ナロードニキの思想に対し大いに批判的であったとしても、その活動への共感や支持を惜しまなかったのである。

 「科学的社会主義」の創始者として、マルクスが資本主義を主要な敵として、その理論的解明に生涯を傾けたことは周知の事実であるが、だが、マルクスは資本主義を積極的に止揚せんとしていたのであり、単なる唾棄や廃棄の対象としたのではなかった。それに対し、マルクスが最も憎んでいたものこそ、専制主義であった。

denkmal von karl marx in berlin, deutschland[original photo: ArTo – stock.adobe.com]
denkmal von karl marx in berlin, deutschland[original photo: ArTo – stock.adobe.com]

 1850年代、資本主義研究を続けていたマルクスは、資本の文明化作用を阻むアジア的社会の研究から、東洋的専制主義を発見する。本書が発表されたのは、1856年であった。つまり、クリミア戦争の終結の年である。1853年、マルクスがインド論を含む時事問題に関する記事を、アメリカの『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』紙に寄稿していたと同じ時期、クリミア戦争が勃発する。クリミア戦争は、19世紀最大の戦争であり、死者(多くの傷病死者を含む)は、おおよそ、ロシア50万人、フランス10万人、イギリス2万人であった。ロシア軍において、上官たちは「わずかな手柄を立てるために膨大な数の兵士の命を惜し気もなく犠牲にし……、農民出身の兵士の安全など気にもかけなかった」(ファイジズ2015)という点において現在と全く同様であった。それに対し、フランス軍においては市民革命後、軍隊内の体罰は禁止されており、「戦場で規律と能力を維持するためには小規模な戦闘単位が決定的に重要な役割を果たすという原則」(前掲書)を確立しつつあった。この両軍の相違は、現在のロシア・ウクライナ戦争にもほぼ体現されている。

オーランドー・ファイジズ著『クリミア戦争 上・下』[新装版](白水社刊)。19世紀の「世界大戦」の全貌を初めてまとめた戦史。露・英・仏・トルコの地政学と文化から戦闘まで活写した決定版。
オーランドー・ファイジズ著『クリミア戦争 上・下』[新装版](白水社刊)。19世紀の「世界大戦」の全貌を初めてまとめた戦史。露・英・仏・トルコの地政学と文化から戦闘まで活写した決定版。

 マルクスの一連の『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』への寄稿は、主に西欧列強の動向、なかでもイギリス外交の動向とその現状分析が中心であった。マルクスは、クリミア戦争勃発後、軍事に詳しいエンゲルスの報道解説に触発されつつ、ロシアへの関心を深めていく。その中で、ウィットフォーゲル序文でも言及されているように、大英博物館において、18世紀の英露関係の外交文書を「発見」する(「1856年2月12日、マルクスからエンゲルスへの手紙」)。そこから、マルクスは従来のイギリス外交が、一貫して専制君主ツァーリのロシアが強大になることを助けてきたことを知る。

 ヨーロッパの革命運動にとってニコライ1世(在位1825~1855)のロシアは、保守反動の後ろ盾として、大陸の秩序維持にのぞみ、「ヨーロッパの憲兵」と称された。マルクスやエンゲルスにとっても、ハンガリー革命が1849年、ブダペストに派遣されたロシア軍によって鎮圧されたことは、記憶に新しいことであった。

Berlin-Mitte. Das Marx-Engels-Denkmal auf dem Marx-Engels-Forum. Die beiden Köpfe.[original photo: Manfred Brückels – CC BY-SA 3.0]
Berlin-Mitte. Das Marx-Engels-Denkmal auf dem Marx-Engels-Forum. Die beiden Köpfe.[original photo: Manfred Brückels – CC BY-SA 3.0]

 強大化したロシアが、さらに南方に手を伸ばし、古い専制国家オスマン帝国を圧倒し、バルカン諸国へ、黒海から地中海へ、あるいは中近東およびペルシアへとその支配と影響力を拡大させんとするに至って、慌てたイギリスは、日頃はライバルである列強フランスとはかり、オスマン朝を後押しし、その侵攻をクリミアで食い止めることに成功する。オスマン朝の衰退およびクリミア戦争におけるロシアの敗北により、西欧列強にとり専制主義は、彼らの東方進出にとって当面の脅威ではなくなったかもしれなかった。

 だが、ポーランドを含め、ロシア専制主義の圧制に苦しむ民衆の苦境になんらの変更はなかった。ロシア専制主義はヨーロッパの革命運動にとってばかりでなく、ヨーロッパの市民的な自由にとっても、脅威であったし、かつ依然として脅威であり続けていた。

 西欧列強はヨーロッパを舞台に様々な合従連衡を繰り広げてきた。イギリスは北欧諸国を牽制するためにロシアを、自らの外交的な利益のために利用してきた。その結果、ロシアの強大化に力を貸すことになった。専制国家は彼らから遠い限り、利用価値のある存在であった。だが、それはヨーロッパ諸国の市民的自由を犠牲にしてのことであるとマルクスは警鐘を鳴らしているのだ。そしてさらに、そのロシア的専制の起源に東洋的専制があること、それゆえ他のヨーロッパ諸国の独裁とは質的に異なるものであることを明らかにするものであった。[中略]

『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』(白水社)目次
『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』(白水社)目次

 そして、本書は、2022年、ロシアのウクライナ侵入によるロシア・ウクライナ戦争の勃発を契機として刊行される。プーチン政権の性格に関しては種々の議論がおこなわれており、権威主義的独裁やファシズム、あるいは帝政民主主義(中村逸郎)などによる規定も存在する。だが、ペレストロイカによる混乱とソ連の崩壊(ゴルバチョフ期)およびその後の民主化の挫折(エリツィン期)を受け20世紀末に登場したプーチンが20年余の時間をかけ、忍耐強く積み重ねてきた権力の集中が、議会や選挙といった近代的な装いにもかかわらず、いずれにせよ、ツァーリ専制(ロシア帝国)や書記長専制(ソ連)といった過去の専制体制の遺産、専制へと傾斜させるもの(専制の轍)に助けられ、かつ過去の国家的威信を回復するとの目的を目指して、それに助長されてきたことは間違いない。

 今回の戦争の直接の発端はやはり、プーチンのクリミア占領を欧米諸国が黙許したことにあろう。ウィットフォーゲル序文が述べているように、「西側の愚かな無関心な政策」が、ソ連とナチスによるポーランド分割を許し、戦後におけるソ連陣営による東欧の乗っ取りを可能にしたように、今世紀においてもなお、列強の黙許が、旧専制国家の再専制化を助け、その周辺諸国への横暴を可能にしているのである。

【カール・マルクス著『一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』(白水社)所収「解説」より】

 

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