映画という「賭け」の蠱惑に突き動かされ 『砂の器 映画の魔性 ――監督野村芳太郎と松本清張映画』著者寄稿
記事:筑摩書房

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『砂の器』といえばメディアでも松本清張さんの代表作としてよく挙げられる一作ですが、これは多分に1974年公開の松竹映画版の好評を受けてのことであって、ちゃんと清張さんの著作をいろいろと読んでいるファンならば、この長大なる原作をあえて「清張さんのベスト」には選ばないような気がします。というのも、あの60年安保闘争とずばり重なる時期に読売新聞夕刊に1年以上も連載されていた小説『砂の器』は、当時凄まじく多忙な人気作家であった清張さんが、あれこれ行き当たりばったりで物語とアイディアを広げまくったあげく軸が見え難くなってしまった感が大いにあるのです。
私も評論家である以前に1960年代の高度成長期の親の本棚に常備されていた清張さんの本を片っ端から読んで以来の長い清張ファンなのですが、やはり清張さんの作品は出世作の『或る「小倉日記」伝』に始まって短篇中篇のほうが着眼の面白さと主題のつかまえ方がシンプルに噛み合って深く心に残るものがありました。そのゆえに、実は映画化が目覚ましく成功した原作も『張込み』、『黒い画集』所収の「証言」「天城越え」、『影の車』こと「潜在光景」など例外なく短篇中篇でした。映画の作り手が、それらのシンプルな清張さんのたくらみを映画の図太い「核」として、存分に映像的な解釈を施せたことが成功の理由だと思います。
そしてすでにこうした清張さんの短篇中篇を料理して映画の傑作を作った実績がある脚本の橋本忍さん、監督の野村芳太郎さんをもってしても、『砂の器』という凄まじく長いうえに人物も大勢にわたり、アイディアと展開もあちこちに飛びまくる原作には確固たる「核」が見えて来ず、ある時ついに橋本さんは原作にならって脚本化することを断念し、もはや独自の大胆な着想で原作のあれこれを活かしながら全く「別物」の物語をこしらえてしまいました。これが映画版『砂の器』で、戦後派の文化人のエゴや皮相さを痛烈に皮肉ったブラックな味わいの原作に対して、なんたることか映画版は観客たちの日本的な心性に訴えかけて涙腺を爆撃しまくる壮麗なメロドラマに「転生」してしまったのでした。
そもそも原作では人間の「宿命」などについては何ひとつ描かれておらず、これは脚本の橋本忍さんがわずか数行に過ぎない親子の遍路の旅の描写からひねり出した、ほとんど「奇想」に近い思いつきでした。さらに原作ではいけすかない前衛音楽作家であった主人公の和賀英良を、映画ではひじょうにわかりやすく劇的でロマンティックなセミクラシックの作曲家に「改変」し、観客は彼が作曲し指揮するフルオーケストラの組曲「宿命」の調べに呑み込まれながら、彼の抗い難い「宿命」をまことに気の毒に思って涙をふり絞られるのでした。
この和賀英良の人間像は原作でも哀れな人物として描かれつつ、決して同情と憐憫の対象とはみなされておらず、そこに清張さんの人間観察のシャープさを感じるわけですが、映画は旗幟鮮明に和賀を悲劇の人として振り切って描き込み、そこが大衆の熱烈な支持を受けることとなりました。もっともこうした橋本脚本による原作の大胆なる「改変」「翻案」には無理もつきまとうわけですが、そこは野村芳太郎監督が細心な演出の技法をもって巧みにやり過ごしているのです。
そんな理屈に合わない難点も多く、またこの「改変」によって四季のロケーションや音楽の開発、コンサートの実演など、製作費もかかればリスクも大きく膨らんだ映画版『砂の器』という企画に、橋本忍と野村芳太郎という日本映画きっての大ベテランたちがなぜここまでのめって行ったのか。それは今もって大いなる謎なのですが、おそらく長年にわたって規格品としての商業映画を上々に作り出してきたこの二人の名匠が、ここまで仕上がりが見えず危うさに満ちた企画に「賭け」の魅力を感じてしまったからではないか。すなわち、映画づくり本来のギャンブル性、いわば「映画の魔性」にとらわれてしまったがゆえの営為だったのではないかと思われてなりません。
公開から半世紀を経て、野村芳太郎監督が遺された厖大な現場資料と首っ引きになりながら、そんな「推理」を裏付けようと試みたのが本書なのです。
序章 『砂の器』という映画の魔性
第一章 『砂の器』の脚本と演出
・原作から脚本へ ――橋本忍の「奇抜」
・野村芳太郎監督の横顔 ――野村芳樹インタビュー
・脚本から映像へ ――野村芳太郎の「緻密」
第二章 『砂の器』の音楽
・ピアノ協奏曲「宿命」の創造 ――和田薫インタビュー
・「宿命」はいかに撮影されたか ──佐々木真インタビュー
第三章 『砂の器』の演技
・「泣かせ」を極めた子役の陰陽 ――春田和秀インタビュー
・大作映画ヒロインとしての華 ――島田陽子インタビュー
第四章 『砂の器』の宣伝・興行
・宣伝から公開へ ――興行戦略の再検証
第五章 『砂の器』の影響
・中国の観客・作り手への影響 ――劉文兵インタビュー
・新世代への影響 ――中川龍太郎インタビュー