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『傷を愛せるか』の原点、宮地尚子『傷のあわい』を読む

記事:筑摩書房

傷を抱えて生きる全ての人に。
傷を抱えて生きる全ての人に。

『傷のあわい』文庫版まえがき

 傷のあわいってなんだろう。
 あわいとは、ふたつのものが交わったり、重なったりしている領域のことを言う。たとえば、淡水と海水の混じる汽水域。家の内とも外ともつかない縁側。空間だけではない。時間にも用いられる。たとえば明け方や夕暮れ時。夜と朝の、もしくは昼と夜のどちらともつかない時間帯。夕闇がせまる時間帯は逢魔時(おうまがとき)ともいう。魔に遭遇するかもしれない、あいまいな時間。
 あわいを漢字で書けば「間」になるが、「あいだ」とは微妙に異なる意味合いを持つ。どちらでもありどちらでもない。どちらの要素も混じり合い、にじみ合っている。
 感情でいえば、とまどい、迷い、ためらい、せめぎ合い。新しい人との出会いにとまどう。近づくべきか離れるべきかに迷う。次のステップを踏むことをためらう。好奇心と不安がせめぎ合う。

 どちらでもありどちらでもない境界領域(リミナリティともいう)は、すっきりと分類したいデジタル脳を困らせる。好きなのか嫌いなのか、正しいのか間違っているのか、きれいなのか汚いのか、別れたのか別れていないのか、人ははっきりさせたがる。まさに白黒つけたがる。
 宙ぶらりんのまま、次の段階に進めないのは、もどかしいし、落ち着かない。生と死のあわい。子どもと大人のあわい。亡くなったかどうかわからない存在は不気味だし、法的責任を負えるのかどうかの判断は曖昧で、文化や時代によっても変わる。だからどっちつかずの存在や状態に対して、タブー意識がもたらされることもしばしばだ。日本人なのかそうではないのか、味方なのか敵なのか、仲間なのかよそ者なのか、はっきりしない人たちに対しての危険視や排除がおきることも少なくない。
 そして、あわいはずっとは続かない。引っ越しの最中。移動する飛行機や電車の中。仮住まい。この一過性は、おぼつかなさをもたらす。変化の真っ只中にいると、変化はわかりにくい。渦中にいると、自分が渦の中にいると気づかないことも多い。それでも、自分がいつまでもここに留まれないことだけはわかる。次の居場所を探さなければいけない。

 では、傷のあわいとはなにか。傷と傷でないものとのあわい。傷といわれるものの中でのさまざまな濃淡や微妙な変化。後になってあざができていることに気づいたり、逆に傷痕が薄くなって見えなくなることもある。じわっと痛みが増してきたり、忘れてしまっているはずなのに苦しさやいたたまれなさが突然おそってくることもある。
 傷なのか、傷ではないのかといった線引きは難しい。そして本書に登場する人たちの経験を「傷」という言葉でくくってしまうのは、なんだかもったいないし、失礼だとも思う。傷ついてはいるかもしれないけれど、その周辺にはせつなさ、寂しさ、後ろめたさ、喜び、希望など、さまざまな心の動きがあり、そしてひたむきさがある。そもそも傷について書いたつもりは私にはなかった。一生懸命に生きている人たちの姿をただ描写し、伝えたかった。心の傷つきをめぐる文章が多いのはたしかだが、私が精神科医だからあたりまえなのかもしれない。
 本書は、『異文化を生きる』というタイトルで二〇〇二年に出版された。私にとっては初めての単著である。デビュー作には、その人のその後の作品の全ての要素が含まれているとどこかで聞いたことがあるが、確かにそうなのかもしれない。私の研究や執筆活動の原点であることはまちがいない。若書きだなと思うし、とくに「はじめに」は、力みすぎていて恥ずかしい気もする。ちょっとした言葉遣いに、自分の中の偏見があらわれていると思うところもある。けれどもそれらを含めて貴重な記録だと言えるのかもしれない。ベースになったのは一九九〇年前後、ボストン滞在中に出会った人々との対話や交流である。まだインターネットもスマートフォンもなかった時代である。けれども、人間の悩みや人間関係の葛藤というものはそれほど変わっていないように思う。

「はじめに」に書いたように、出会った人々の「物語化」を試みているが、そのことへの躊躇も正直なところ感じている。物語にすることでそれぞれの人を単純化してしまっていないか、私の解釈を押し付けてはいないかが気になる。ただ、結末は時間に開かれている。人生には結末などない。結末のように見えても、そこからも人生は続く。死というものがあるが、その後でさえも物語は紡がれていく。
「あとがき」にあるように、この本には幾つもの時間が重層して流れている。それぞれの読者にさまざまな方向で過去と現在のあわいを味わっていただけたら、そして現在と未来のあわいを思い描いていただけたら、幸いである。

 文庫化にあたって、『傷を愛せるか』に引き続き、編集は永田士郎さん、装丁は加藤賢一さん、加筆修正に関しては松村美穂さん・金井聡さん・森美緒さんに大変お世話になった。記して感謝したい。

二〇二五年三月
宮地尚子

宮地尚子『傷のあわい』(ちくま文庫)
宮地尚子『傷のあわい』(ちくま文庫)

『傷のあわい』目次

文庫版まえがき
はじめに

孤独の物語
アメリカン・ドリーム
移民候補生
リミナリティ
PTSD(前編)
PTSD(後編)
ステレオタイプ
恋愛と結婚
邦人援護
二〇歳の人生落伍者
謎の女
パレスチナ
レクイエム
GOOD BYE=THANK YOU

あとがき
解説 ひとりひとりの顔が見える  奈倉有里

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