1. じんぶん堂TOP
  2. 歴史・社会
  3. 「パレスチナ/イスラエル問題の根っこにあるものは? ──植民地主義問題として考える」早尾貴紀×中井亜佐子 ②

「パレスチナ/イスラエル問題の根っこにあるものは? ──植民地主義問題として考える」早尾貴紀×中井亜佐子 ②

記事:平凡社

それぞれの著作を手にする中井亜佐子さん(左)と早尾貴紀さん(右) 三鷹・UNITÉにて
それぞれの著作を手にする中井亜佐子さん(左)と早尾貴紀さん(右) 三鷹・UNITÉにて

『イスラエルについて知っておきたい30のこと』(早尾貴紀著、平凡社刊)
『イスラエルについて知っておきたい30のこと』(早尾貴紀著、平凡社刊)

《①はこちらから》

西洋の普遍主義は西洋中心主義

中井亜佐子:ご著書の中で、ドイツの著名な哲学者ユルゲン・ハーバーマスが23年11月にイスラエル支持の声明を出したことに対するハミッド・ダバシ(*)の批判的エッセーにも触れて、西洋の普遍的な哲学とされるもの自体が、根本的に西洋中心主義なんだという議論もされています。

早尾貴紀:はい。僕は学部生のころは文学部哲学科哲学専攻だったのですが、そのときの哲学科には「哲学専攻」「インド哲学」「中国哲学」「日本思想」がありました。哲学専攻が扱うのはヨーロッパ哲学ですが、「ヨーロッパ哲学」とは言わない。まるで普遍的な哲学であるかのような位置づけです。 

 ヨーロッパには、ハンナ・アーレント(1906-1975)やマルティン・ブーバー(1878-1965)他多くのユダヤ系哲学者がいましたが、シオニズムが台頭してくると、その人たちはヨーロッパ人なのか、それともユダヤナショナリスト、シオニストになっていくのか。さらにシオニストとなってパレスチナに入植したとき、彼らは先住パレスチナ人との共存共生をどうするのかを問われました。

 そういう引き裂かれた状態の中に投げ込まれた哲学者たちがいて、その中で思想形成をしていることが哲学科では全く触れられません。そういうことに不満があって、のちにシオニズム運動の歴史的拠点でもあったヘブライ大学で研究することになりました。

 ダバシは、カントやヘーゲルなど、近代哲学の王様ともいうような人が展開した理性の哲学は、ヨーロッパ近代の理性を前提としていて、カントもヘーゲルも植民地主義者だと指摘しています。実際、カントは「ニグロに理性はない」と書き、ヘーゲルは「アフリカは暗黒大陸である」と書いています。

 そして〈10.7〉以降も、普遍性と言われるものがヨーロッパの優越を暗黙の前提としていて、ヨーロッパ人だけが特権的な理性を持っているのだという思想は、いろいろな形で出ています。ネタニヤフ首相やイスラエルの大統領が「ガザ攻撃は西欧文明を守る戦争なのだから欧米諸国はイスラエルを支援せよ」と繰り返し発言していることはもっとも分かりやすい例です。

 中井さんはこのようなある種の普遍主義に関して、どのようにお考えですか。

中井:ハーバーマスの場合、ヨーロッパの価値観が無批判に前提として受け入れられていて、その土台の上に理論が構築されているように思います。それに対して、例えば、ユダヤ系の思想家でクィア理論の先駆者として知られるジュディス・バトラーの場合は、普遍性というのは、おそらく「今、ここ」にあるものではない。つまり「今、ここ」は、すべての人びとが対等な立場で討議なんかできる状況ではまったくない、徹底的に不平等で格差があり、非常に暴力的な世界だという認識がまずあります。そのうえで、『非暴力の力』(2020年、日本版2022年、青土社)のバトラーの言葉を借りれば「規範的な主張」として、普遍性を志向する必要がある。そこに到達はできないのだけれども「あるべき姿」として、普遍性を想像し続けなくてはならないのだろうと理解しています。

 サイードは晩年に、一国家を二つの民族が共有する「バイナショナリズム」のビジョンを明確に打ち出していました。バイナショナリズムは客観的に考えると到底実現できない、理想主義的、普遍主義的な構想だと思います。それでも、サイードは彼岸にユートピアを構想するようなプロジェクトとして普遍性を目指していたのだろうか、と思います。 

 それは人文主義もそうだと思うんです。人文主義が掲げる理想も、今この現実の中で何ができるのかと問われると途方に暮れるのですが、もしかすると、そういう理想がどこかにないと私たちは生きていけないのかなという気もしています。早尾さんのお仕事を見ていると、もし私たちが人文主義的理想をなくしたら、誰もシオニズムが何であるかすら語れなくなるかもしれない、そんなふうに思います。

ハマースバッシングの背景にあるもの

早尾:ハマースの正式名称は「イスラーム抵抗運動」で、そのアラビア語の頭文字による略称がハマースです。ハマースは2006年のパレスチナ評議会選挙で、パレスチナ解放機構(PLO)を破って単独過半数の議席を獲得し、政権与党になりました。

 イスラーム抵抗運動であるハマースがこのように支持されるようになった経緯は詳しく触れることができませんが、これ以降、PLOのように従順ではなく、明確に西岸とガザでのパレスチナ国家独立を主張するハマースを絶対に容認できないイスラエルは、ハマースをガザに閉じ込めたうえで、ガザ地区への苛烈な攻撃を繰り返し行うようになりました。

 この状況は2003年にサイードが亡くなった後のことではありますが、さきほどお話のあったサイードの「バイナショナリズム」は、「世俗的・民主的パレスチナ」という理念のもとで語られていました。つまり宗教に依らない、すべての住民が平等性を持った民主的パレスチナということです。

 現在、日本社会だけでなく、世界でもハマースを「イスラーム原理主義組織」と呼び、ハマースというだけでバッシングをする、排除するようなゆがみがあります。そのことを考えたとき、世俗性とか民主主義というものが、まだなおヨーロッパ中心的なものの見方になっているのではないか。そういう目でパレスチナが見られていて、だから「パレスチナはダメなのだ」、「ハマースはダメなのだ」、という言説を強化してしまっている面があるのではないかと思うのです。そのあたりを中井さんはどんなふうにお考えですか。

中井:パレスチナの文脈ではないのですが、2000年代にロンドンでも交通機関への同時多発攻撃があったことなどから、イギリスでイスラモフォビア(イスラーム嫌悪)が強くなり、ムスリム(イスラーム教徒)バッシングが強かった時期があります。とくにムスリム女性がヒジャブを着用することについて、イスラームが女性の人権を抑圧しているなどとかなり批判されました。

 けれども、イスラームとフェミニズムは矛盾しないし、ムスリムでありながらフェミニストでもありうる、むしろ宗教コミュニティがイギリスのマジョリティ社会に抵抗する力を担っているということを、当時実感しました。ですから、宗教の力はおそらくもっと評価してもいいと思います。

 早尾さんはご近著『パレスチナ、イスラエル、そして日本のわたしたち』(皓星社、2025年)で、近年のイスラエルのピンク・ウォッシングに触れていらっしゃいますよね。「イスラエルは性的マイノリティの権利を尊重しているがハマースなりムスリムなりは性的マイノリティを弾圧している」という言説によって、イスラエルが自分たちを正当化するようなことが行われています。イスラームは家父長制的で、女性を抑圧しているともよく言われてきましたね。しかし、宗教がそうした言説に対する抵抗の原動力になる可能性があるということも、すごく感じています。

早尾:そうですね。「性的マイノリティの権利が最も尊重されているのがイスラエルで、最も弾圧されているのがアラブであり、ハマース、イスラームは保守的で家父長的なんだ」という言説が蔓延していく。

 けれども、現実には植民地宗主国が家父長制を利用してきた歴史があります。ジェンダー平等も含めて、そういったものを弾圧して、植民地の人々の力をそぎ落としてきた。さらに、植民地支配が形式的には終わった後の、ポストコロニアルな傀儡国家が家父長的な力を利用して独裁権力を維持しているわけです。西欧の「先進国」が、独裁と家父長制と共犯だったということをほうかむりをして、「自分たちは民主的な人権先進国でイスラエルはその仲間である」というような言説自体が植民地主義的です。イスラエル=西欧=人権先進国=民主主義先進国というこの言説自体が、植民地主義の継続であり反復なんだと思います。

(構成:市川はるみ)

*ハミッド・ダバシ……コロンビア大学教授。1951年、イラン南西部アフヴァーズ生まれ。専門は中東研究・比較文学。「イランのサイード」とも称される。著作に『ポスト・オリエンタリズム』(作品社、2017年)、『イスラエル=アメリカの新植民地主義』(地平社、2025年)など

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ

じんぶん堂とは? 好書好日