シュラスコやアサイーだけではないブラジルの多様な食文化――『食文化からブラジルを知るための55章』
記事:明石書店

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ブラジルと聞いて抱くイメージは、これまでは、コーヒー、サッカー、リオのカーニバル、サンバ・ボサノヴァといった豊かな音楽文化といったところかもしれないが、2000年代にはいると、日本でもシュラスコやアサイーの認知度が高まり、若い層を主体にポップ音楽を聴きながらブラジル食文化も楽しむシーンが普通にみられるようになってきた。こうした時代の変化を反映して、明石書店のエリア・スタディーズでは『ブラジルを知るための56章【第2版】』(2010年)、『ブラジルの歴史を知るための50章』(2022年)に次いで、ブラジル編第3弾として『食文化からブラジルを知るための55章』が刊行されることになった。
本書の第Ⅰ部から第Ⅸ部までの、全9部のタイトルを列記すると、総論、基層食文化、主な移民食文化、ブラジル食文化直射、主な食材・食品加工の諸相、飲料、地方料理、暮らしの中の食文化、文学者と食文化、となっており、食文化の検証を通じてブラジル社会の多様性を深読みしようという試論的作品に仕上がったと思料している。
各章の執筆者は現地での生活体験も豊富で食文化の奥深さについての専門知も兼ね備えた研究者やライターの方々であり、読者の関心を呼ぶような面白エピソードも適宜組み込まれていて、眉間にシワを寄せることなく楽しく読み進めるような構成になっている。
さて、ここでは、本書の内容を要約的に紹介するよりも、ブラジルの代表的な焼肉料理であるシュラスコに出会った3人の作家たちの“素直な”コメントを再読してみたい。1990年代以降、ブラジルの国境を越えシュラスコは世界各地(米国、欧州、日本、中国、ドバイ、ベトナムほか)に広まったが、ブラジル国内でしか食べられなかった時代の貴重な歴史証言としても読めるからである。
その1.ボーヴォワール(1908-1986)
パートナーのサルトルと共にブラジル全国各地を訪問したのは1960年8月から10月にかけてであったが、超偏食でも有名なお二人(サルトルは野菜類が大嫌い、ボーヴォワールはチーズが苦手)の胃袋と精神を落ち着かせたのがシュラスコだった。この旅の記録はボーヴォワールの回想録『或る戦後(下)』(朝吹登水子訳、紀伊国屋書店、1965年)に詳しく書き込まれているが、彼女の筆致は随分とブラジルに好意的である。
「私たちはよくシュラスコ料理屋で昼食をした。薪の暖炉の前に鉄製の串が地面に鉛直にささっていて、豚や羊や牛の肢が串刺しになっている。南部ではガウチョ(カウボーイ)たちがこんな工合に肉を焼くのである。シュラスコは、串を寝かせたままのせることができる容器に盛られて出されるが、これほどすばらしく、おいしい肉を世界中のどこでも食べたことはなかった。」
その2.上野英信(1923-1987)
岩波新書『追われゆく鉱夫たち』(1960年)、『地の底の笑い話』(1967年)などの優れた記録文学作品を発表した上野英信は、南米に渡った炭鉱離職者を「誤った炭鉱離職者政策と海外移民政策とによる二重の受難者」とみていたが、彼らの南米における生活実態を記録するのも“義務としての旅”として1974年3月から6カ月かけてブラジル全土を踏破した。この取材の成果が、労作『出ニッポン記』(潮出版社、1977年)であった。
「案内された所は、州立大学前の大きなシュラスコ料理店であった。屋内に入らず、白い卓布に緑のしみるような樹陰のテーブルに着き、ピンガを飲みながら、焼肉のあばれ食い。さすが牧畜業の中心地だ。牛肉のうまさも格別である。とりわけゼブー牛の背の瘤肉は、そのとろけるような舌ざわりと甘美な味で私たちを魅了した。しかし、残念ながら小さな島国の民のあわれ小さな胃袋はたちまち過飽和状態におちいり、なおも次々に長い刀剣に串刺ししてだされる大きな肉塊を、むなしく嘆息して見送るばかりとなってしまった。」
その3.開高健(1930-1989)
1977年8月から10月までの2カ月強、ブラジル南北(アマゾン、パンタナル、サンパウロ)を釣り竿かかえて飛び回った開高健は、その釣り紀行『オーパ!』(集英社、1978年)を著したが、シュラスコ讃歌の文章を『生物としての静物』(集英社、1984年)というエッセイ集に書き記している。
「ブラジルのシュラスコとアルゼンチンのアサードは、肉料理としては発端から終焉まで、至境をめざしているかのようである。岩塩と焦げ目で固くなった外皮が壁になって内部の肉の柔らかさと、おつゆと、味そのものが流失しないように守ってくれる。そうやって焼き上げた肉の一片に、”モーリョ・デ・ピメンタ”といって、タマネギ、ピーマン、トマト、クレソンのコマギレをオリーブ油と酢でまぶしたサラダをまぶして食べるのである。ビフテキにサラダをかけて食べるのである。これは卓抜な着想であって、感服させられるのだ。ことにクレソンだけのサラダとなると、あえかな、高雅なホロにが味があるから、舌をつねに清浄に洗われるようで、肉の脂や血や肉汁のこってり味と、いいコントラストになり、こういう演出を考え出すあたり、この国の感度、覚度、民度はなかなかのものである。ウカツなことはいえないゾという気持ちになってくる。」
昨年2024年12月5日、日本の「麹を使った伝統的な酒作りの技法」がユネスコの無形文化遺産に登録され、日本でも大きく報道されたが、実は、この時同時に登録されたのが、ブラジルの「ミナスジェライスにおける伝統的な手作りチーズの製造技法」であった。日本とブラジルの伝統的な職人芸による手作り食文化が、くしくも、同時にユネスコの無形文化遺産として認定されたのだ。この事実は、日本ばかりかブラジルも伝統的な手作り食文化の歴史を有していることを改めて広く認識させることになった。
本書には、もちろん、ミナスジェライスのチーズについても詳しく書き込まれている。