ブラジルの歴史と〈いま〉を読み解く――『ブラジルの歴史を知るための50章』
記事:明石書店
記事:明石書店
日本の23倍もの面積を有するブラジルは、19世紀後半以降、世界中から多くの移民を受け入れてきた。その数は総計500万人といわれるが、この人口移動の結果、ブラジルは多人種多民族国家となった。
企業駐在員として三回の駐在で延べ21年間ブラジルで暮らした筆者が付き合った人たちだけに限定しても、彼らのルーツは、イタリア、ドイツ、スペイン、ポルトガル、レバノン、ポーランド、ハンガリー、セルビア、クロアチア、アルメニア、ギリシャ、中国、日本、韓国、米国(南北戦争で敗北した南軍関係者の子孫)というように世界中からやってきた移民の末裔であった。
特に、南部三州(パラナ州、サンタカタリーナ州、リオグランデ・ド・スル州)は東欧を含む欧州各国からの移民を多く受け入れている。サトウキビやコーヒーに代表されるプランテーション型農業とは異なり、彼らは独立自作農として入植地での農業開発に手腕を発揮し、さらには製造業など工業部門でも活躍し地域経済の発展に貢献してきた。
この歴史的ファクトが、今年に入って改めてブラジル中で注目されている。そう、ロシアによるウクライナ侵攻がきっかけとなったのである。
2月24日に始まった、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、国連総会は3月2日、緊急特別会合を開催し、ロシア軍事行動の即時停止を求める決議案を圧倒的多数(141ヵ国が賛成)で採決した。その5日後の3月7日、ブラジル南部パラナ州の州議会が、特別会議を招集し、「ウクライナへの、全面的かつ無制限の連帯」を全会一致で決議した。
このウクライナへの無条件連帯動議を、ブラジルの国会(連邦下院)ではなく、パラナ州の州議会が決議したのは、なぜだろう。それはウクライナ系住民が一番集中しているのがパラナ州であるからだ。ウクライナ系住民の数は、ブラジル全体で推定60万人といわれているが、その8割以上がパラナ州在住とみられている。
ブラジルが多くの移民を受け入れて来た多人種多民族国家であることは、改めて確認するまでもないことだが、ウクライナ移民の受け入れ国として中南米で最大なのがブラジルであった。この歴史的事実が、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけとして改めて注目され、ブラジルの主要新聞や週刊誌ばかりかCNNやBBCも大きく報道するようになっている。
関連文献によれば、19世紀末から20世紀前半にかけて(具体的には、1891年から1920年頃まで)、当時オーストリア・ハンガリー帝国の一地域であったウクライナからブラジルへ移民として渡ってきた人たちの数はおよそ5万人とみられている(彼らのパスポートはオーストリア帝国のものなので、現在のウクライナに属するガリツィア地方からの移民の数を推定すると、およそ5万人という数字になっている)。
ウクライナ移民の多くが入植したのは、パラナ州の南部から中央部にかけてであったが、一番密度の高いウクライナ集団入植地を形成したのが、州都クリチーバから西へ200kmほど内陸方面にはいったところに位置するプルデントーポリス市であった。
現人口は5万人ほどの中規模都市であるが、なんと、現住民の8割がウクライナ系(3世や4世が主体)で、街の道路標識もすべてポルトガル語とウクライナ語で併記されている。地元学校ではウクライナ語教育も行われているため、住民のほとんどがウクライナ語でも読み書きができる由で、まさに「ブラジルのなかの小ウクライナ」だ。
実存主義的にしてコスモポリタンな文体でブラジル文学界に新風を巻き起こしたクラリッセ・リスペクトールの作品では、『GHの受難・家族の絆』『星の時』などが邦訳されているが、彼女はユダヤ系ウクライナ人(のち帰化ブラジル人)である。最近になって「カフカ以降のユダヤ系文学者のなかでは最良の作家」と米国の批評家によって再評価されている彼女が少女時代を過ごしたのが北東部のレシーフェであった。
生誕100周年の2020年は、ブラジル各地(サンパウロ、ポルトアレグレ、レシーフェ等)でリスペクトール文学の現代性を再考する、といった様々なイベント・シンポ(オンライン)が開催され、多くの初出資料を収録した分厚い書簡集が9月に刊行されている。
今世界の注目を集めているウクライナとブラジルとの交流の歴史について、いくつか書き連ねてみたが、本書を読んでいただければ、このようなブラジルへの移民が欧州や中東・日本から大量に送り出されるようになったのが、1888年の奴隷制廃止以降であることが了解いただけるであろう。本章の通史編では、外国人移民、日系移民それぞれ章立てて取りあげており、またコラムでは、ディアスポラの事例、食文化、イタリア移民事例なども取りあげているので、ブラジルの歴史的形成の全体像を確認しつつ、様々な移民にかかわるエピソードを読み進めることができる。これが本書の最大のセールスポイントと考えるものである。