ゲットーの記憶、ガザの現実 ──平野雄吾『パレスチナ占領』、自著解題
記事:筑摩書房
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「ゲットーは惨めだった。飢えに加えて感染症が広がり、死者は驚くほどの速さで増えていった。食料不足は外部からの密輸によって、どうにかしのいでいた。」
共同通信エルサレム支局長として中東に駐在していた筆者は2022年夏、ポーランドの首都ワルシャワを訪れた。ポーランド・ユダヤ人歴史博物館で、ユダヤ人居住区ゲットーに関する解説パネルを見たとき、不意に胸がざわめいた。「ガザに似ている」――。
パレスチナ自治区ガザ。イスラエルの破壊を掲げるイスラム組織ハマスの実効支配が始まった2007年以降、イスラエルは境界を封鎖し、ヒトとモノの出入りを厳しく制限してきた。「天井のない監獄」と形容された時期もある。当時は飢饉こそなかったが、エジプト側への地下トンネルを経た密輸が経済の一部を支え「トンネル経済」とも呼ばれた。
ワルシャワ・ゲットーが強制収容所へと至る通過点だったのに対し、ガザ地区の封鎖は安全保障を名目に続けられた。歴史的背景や規模、目的は異なる。ただ、武力でもって人々を壁で囲い、移動と生活を制限する構造に、不気味な重なりを感じざるを得なかった。荷台に押し込まれる男性、炎上する集合住宅……。展示写真の前で、気分が沈んだ。
ハマスによるイスラエル奇襲を機に2023年10月に始まった今回のガザ戦闘では、イスラエルは苛烈な空爆と並行して境界封鎖をいっそう強めた。人道状況が極度に悪化するなかで、ワルシャワ・ゲットーの記憶が喚起される。1943年4月、密輸武器で武装したユダヤ人が蜂起したが、ナチス・ドイツが鎮圧。住宅を一軒ずつ焼き払い、住民は最終的にトレブリンカをはじめ強制収容所へ送られた。
イスラエルの国防相イスラエル・カッツは今年7月、ガザ地区最南部ラファの廃墟に「人道都市」を建設する計画を進めるようイスラエル軍に指示を出した。実務計画は未整備とされるが、米大統領ドナルド・トランプが掲げたガザ住民の域外移住構想と連動しているとみられ、「人道都市」に住民を収容した上で、最終的にガザ地区外へと移住させる計画だと報じられる。地元報道によれば、カッツは、外国へ行く場合を除きガザ住民は「人道都市」から出られないと語り、「自発的移住」を促すと強調した。
この構想は国際社会だけでなく、国内からも強い反発を招いた。元首相エフード・オルメルトは「人道都市」を「強制収容所」と呼び、「民族浄化だ」と批判。イスラエル紙ハアレツの記者ギデオン・レビは「(ワルシャワ・ゲットー蜂起の指導者)モルデハイ・アニエレヴィッツが今生きていれば、恥辱と不名誉で倒れただろう」と非難した。ちなみに、カッツの両親はホロコースト生存者である。
ガザ戦闘は10月で開始から2年。ガザ保健当局によれば、死者は6万人を超えた。食料や医薬品の不足は深刻で、飢餓と栄養失調による死者は300人以上。国連などは8月、中心都市のガザ市で飢饉が発生していると公式に認定した。それでもイスラエル政府はガザ市制圧計画を決定、戦闘を続ける構えを見せる。ホロコーストと現在の戦闘を安易に同一視することはできない。だからこそ、歴史の反照は痛切である。
イスラエル国内で反戦デモに通い続けるユダヤ人の友人がこう漏らしたことがある。「虐待を受けた子どもが親になり、今度は自分の子どもを虐待しているようだ」
ガザの惨状とワルシャワ・ゲットーの記憶が重なるとき、過去は遠い影ではなく、今も息づく声として響く。静かな警鐘を鳴らし、未来の選択を国際社会に問い続けている。
はじめに
第一章 ガザ戦闘の実像
1 従軍取材で見たガザ地区北部
2 10・7――襲撃されたイスラエル南部
3 ハマスの肖像
4 民間施設への攻撃
5 パレスチナ難民支援機関の矜持
6 破壊される文化、 消される記憶
7 狙われる地元ジャーナリストと排除される外国メディア
8 隠された人権侵害――イスラエル拘束下の拷問
9 ハマス拘束下の人質たち
10 ホロコーストから10・7ハマス奇襲へ
第二章 占領と抵抗の記憶
1 土地の争い、ナショナリズムの衝突
2 悲劇の始まり――一九四八年を語る
3 ハイジャックの〝女王〞ライラ・ハリド――故郷ハイファとオレンジ
4 拡大するユダヤ人入植地
5 占領を支えるシステム――合法化された追放と破壊
6 オスロ合意再考
7 形骸化するパレスチナ自治政府
8 10・7以前のガザ地区と「天井のない監獄」
第三章 分断されるイスラエル社会
1 右傾化と分断
2 汚職疑惑と司法制度改革で割れた市民
3 台頭する「宗教シオニズム」
4 ネタニヤフとシオニズム
5 ホロコーストと管理された「記憶」
6 「永遠の被害者」
おわりに