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『はじめての戦争と平和』サントリー学芸賞受賞記念対談──鶴岡路人×千々和泰明(後編)

記事:筑摩書房

受賞作『はじめての戦争と平和』を手に、右から鶴岡路人さん、千々和泰明さん。
受賞作『はじめての戦争と平和』を手に、右から鶴岡路人さん、千々和泰明さん。

世界では理不尽なことが起きる。しかしそれが「非合理」とはかぎらない

鶴岡:若い人にとっては、ずっとロシアは戦争をやっているし、中国は大国だし、アメリカの世論は割れている。いまや日々とんでもないことが起きている世界というのがデフォルトになっています。そこで戦争が起きていることに「怖いな、嫌だな」と思うのは正直な気持ちですね。しかし、そこから先に「だからもう考えたくもないし見たくもない」となるのか、「なんだか興味深いぞ、理解してみよう」とさらに知りたくなるのか。そこがポイントなんだと思います。

 たしかに、世界では理不尽なことが起きる。それは好むと好まざるとに関わらず現実としてある。そのうえで重要なのは、じゃあ世界はみんな理不尽で非合理な国ぐに人たちでできているのか、ということです。おそらくそうではない。

 変なことをする、とんでもないことをする指導者や国には、それぞれそうなる理由があるはずです。世界で起きている異なった出来事の間にも、もしかしたら構造としては共通点があるのではないか。そのあたりのことにちょっと気づくと、見えてくる世界が変わると思うんですよね。それは地域的な広がりとして、違う地域で起きていることにじつは同じ枠組みが当てはまるということでもいいし、あるいは歴史をさかのぼって、昔の出来事といまの出来事との間に似たような構図があるということでもいい。

 千々和さんの『世界の力関係がわかる本』に、満州事変以降の日本の話が出てきます。日本による侵略についてはいまだに論争が続いていますが、世界から追い詰められて戦争に至ったという理解をする人も少なくないと思います。しかし、あの当時のことをよく考えると、日本は国際社会から宥和されていたんですよ。その結果、日本はさらなるエスカレーションに走った。機会主義的戦争は、なだめようとすると助長されかねない、ということです。

 これってなんだか、最近でもいろいろなところで聞く話ですよね。2014年にロシアがウクライナのクリミア半島を一方的に併合しても、ウクライナ自身もヨーロッパもほとんど実質的な対抗策がとれなかった。ロシアからすれば「これくらいならOKなのか」ということで次はウクライナ東部のドンバスに介入し、ドンバスに行っても西側から大した制裁はなかった。そうすると次は……ということになる。

 相手をなだめようとして、さらなる行動をかえって導いてしまうという事例は歴史にもたくさんあるし、現代にもまさにある。戦争を避けようとしてさらに大きな戦争を招くという、非常に不幸な構図です。

「ウクライナ全面侵攻はまったく非合理的な決定だ」という人もいます。けれどもプーチンは、ウクライナを1週間で屈服させて傀儡政権を打ち立てられる、ゼレンスキーなんて抵抗できずにどうせすぐ逃げるだろうと、本気で考えていたわけです。そうするとまさに『世界の力関係がわかる本』の帯にあるとおり、「勝てそうだからやる」という話で、それが成功したとすれば、ロシアにとっては合理的だったという結論になっていてもおかしくありません。

「お前は非合理だ」と断じる前に、「前提を変えて考えたら合理的にみえるかもしれないな」と考えてみると、理解が深まります。もちろんこれは、特定の国の決定を支持するか批判するかという次元の話ではありません。あくまでも読みとき方の話です。

『世界の力関係がわかる本』の表紙と帯
『世界の力関係がわかる本』の表紙と帯

「手段」と「目的」から考える、日米同盟と平和のこと

千々和:国際政治が安定からはどんどんと遠ざかり、アメリカも対外的な関与を徐々に後退させているという現在の潮流の中で、同盟というものをどういうふうに考えるのかというのも、日本にとって重要ですね。

『はじめての戦争と平和』でも同盟の基本が解説されていますが、さらにチャレンジしたいという読者の方には『模索するNATO』もぜひ併せて読んでいただきたいと思います。というのも、日本人にはNATOというものになんとなく憧れがあって、強固な米欧同盟に日米同盟も見習わないといけない、ということを思いがちです。

 しかし『模索するNATO』を読むと、NATONATOで相当に大変で、日米同盟の中で日本が戦争に巻き込まれることを警戒してきたように、あちらでもお互いに巻き込まれることを恐れていることがわかる。ヨーロッパはアメリカのヴェトナム戦争に巻き込まれたくなかったし、アメリカもヨーロッパがやっていた植民地戦争に巻き込まれたくなかった。そういう非常に難しい多国間での綱引きをやっているということ、同盟管理の難しさというものが、専門的観点で浮き彫りになるように描かれています。

 日米同盟にとっても、どういうバードン・シェアリング(負担分担)をするのかということが、今後いっそう問われてくる。「何から」「何を」「誰と」「いかに」守るのかということをしっかり考えなければならないときに、鶴岡さんのこの二冊の本が大きな羅針盤になるのではないでしょうか。

鶴岡:目的が何か、ということですよね。日常生活でもそうですが、本来手段であるはずのものが目的化されることは多い。それは日米同盟でもそうで、同盟強化というとなんとなく目的に聞こえてしまうところがある。しかし、日米同盟の強化は究極的には目的ではないはずです。目的は「日本の平和と繁栄を守る」ことであり、それに最も適した手段が日米同盟だと思うからこそ、それを強化するという発想が出てくるわけです。

 もし、日米同盟の強化が日本の平和と繁栄の維持に役立たないという時代が来るのだとしたら、それは手段としては放棄されるものになる。究極的に「何のために」「何を」やっているのか、という問いかけが重要だと思っています。

千々和:平和という問題もまさにそこで出てきますね。「平和とは何か」を考えたときに、まずは人の命が失われない、ということがあります。しかし『はじめての戦争と平和』で鶴岡さんも論じられているように、たとえば、人命を一時的に奪われないようにするためといって、外国の占領下で生きていくことは、はたして私たちの目指す社会なのか、ということについても考えなければいけない。何が目的で何が手段か、何を本当に守らなければいけないのか。これは、重たく、深い問いです。

鶴岡:安全保障であり、経済であり、価値であり、ということのバランスに一つの正解というものは存在しないんだと思うんです。「安全保障が大事だ」という人もいれば、「政治的自由がなくてもお金があればいいや」という人もいるだろうし。

 それを一方的に「その考え方はダメだ」というのはよくないんだと思います。違う考え方をする人もいるし、違う価値観もある。そういった違いが存在することをまずは認識したうえで、どうバランスを考えるのか。そうした議論が落ち着いてできるようになれば、やっと次のステップに進めるようになるという気がしています。

同じ土俵の上で核兵器の議論を

千々和:『はじめての戦争と平和』の中で、「核兵器ってなんだろう」ということを鶴岡さんが書かれています。核の問題は『模索するNATO』のほうでも中心的なテーマの一つになっていますね。

 私自身も広島大学出身なので、日本では核の問題は本当にセンシティブだということは理解しています。けれども、これからの時代、実際に核兵器が存在する中でそれを使わせないようにするためにはどうすればいいのか、そのことは現実的に考えていかなければならないと思うんです。

 プーチン大統領がウクライナで核を使う可能性を示唆したことや、トランプ政権の現状なんかを踏まえると、日本人も核兵器反対とか核廃絶ということに加えて、いかに核を使われないようにし続けるのかという、核戦略についても理解を深めていかなくてはならない。核を無くしたいという意見ももちろん大切ですが、核について議論するということ自体を否定するのは、やはりまずい。

鶴岡:安全保障の立場からいえば、核兵器がなくなった世界は本当にいまより平和になるのか、ということを問わざるをえません。「核兵器なき世界」というのは通常兵器だけの世界です。それは、通常兵器をたくさん持っている国にとっては非常に都合がよい世界かもしれない。

 そのように考えると、核兵器がなくなったからといって本当に平和がやってくるのか、というのは問題になるし、もし「核兵器なき世界」を実現した結果、安全がいまより脅かされるのであれば、そんなことはやるべきではないということになります。

 ここでも目的と手段ということが重要です。核廃絶自体を目的にするのか、平和・安全保障を目的にして、核廃絶は手段だと考えるのか。それによって見えてくる世界が大きく変わるからです。

千々和:核廃絶という議論だけでは、「世界の状況が変わって核廃絶は難しそうだからとにかく核武装しちゃえ」という極端な議論に振れていってしまう危うさを防ぎきれない。核抑止、核戦略について学ぶことで、そういう単純な話ではないということがわかるわけですよね。もしかしたら核武装をすることのほうが日本の安全をより悪くするかもしれないし、たいして効果がないのに外交的なダメージを負ってしまうことになるかもしれない。

鶴岡:核については、「核兵器はとにかく重要で、核抑止万歳」という人から、「核兵器こそ悪の権化だ」という人まで、いろいろな方向で非常に強い思いを持っている人が多い。日本以外でも落ち着いた議論が難しいトピックです。

 とはいえ、核兵器が存在しているのは現実です。だとすれば、いかに使わせないかを考えなければいけません。しかも、実際に使われてしまうかもしれない可能性が高まっているという大問題が、いま世界には存在しています。

 そのことがまさに昨年の日本被団協のノーベル平和賞受賞につながった。最大の受賞理由は、核廃絶そのものに対する功績ではなくて、「核兵器使用のタブー化」という国際的規範の確立に重要な役割を果たした、ということなんですよね。

 じつは、この「核は使われてはならない」という国際的な規範こそが、核抑止派と核廃絶派のすごく重要な接点です。どちらも、核兵器について「使われてはならない」「使わせない」ということについては同意しているはずですから。ここは核抑止派と核廃絶派とが共有できるせっかくの重要な出発点なので、そこからどうにか同じ土俵に立って、建設的な議論をしていきたいですね。

千々和:「べき」論同士で戦っているといつまでも話自体がかみ合わないままになる。それでも「である」のところ、論理のところでは意見を交わすことができるし、お互いに議論の質を高めていけるのではないかなと思いますね。

 さらにいえば、この核戦略という考え方に中高生が触れる機会って、いまの日本の教育システムの中ではほとんど無いんじゃないかと思うんです。そうすると、核があることを前提に動いている国際政治というものを眺めたときに、ある種のギャップに直面することになってしまう。

 核廃絶派と核抑止派の意見を両方聞いたうえで自分で考えてもらうというのがいちばん大切なことですから、鶴岡さんの本や私の本を通して、核についていろいろな考えがあるということを知ってもらえればと願っています。

若い世代へ最後にひとこと

千々和:人間は意味のないことには関心を持てないんだと思います。ということは、あることに自分が興味を持ったとすれば、そこには自分ではまだ言葉では説明できないけれども、深い意味があるはずで。「なぜ自分はこれに関心を持ったのか」というところを掘り下げていくと、自分にとっても世の中にとっても大事なことにたどりつけるんじゃないか。それを掘り下げて考えていくことが勉強なのかな、と私は思いますし、鶴岡さんの受賞作は読者にとってそのための一つの手がかりになると思います。

鶴岡:本をたくさん読んでほしい。紙の本を読んでいるのはかっこいいなという感覚がふたたび広がってほしい。そのために私も少しでもお役に立てればと思っています。このような名誉ある賞をいただいてしまった以上、もう逃げられないですね。ありがとうございました。

千々和泰明『世界の力関係がわかる本──帝国・大戦・核抑止』(ちくまプリマー新書)
千々和泰明『世界の力関係がわかる本──帝国・大戦・核抑止』(ちくまプリマー新書)

『世界の力関係がわかる本──帝国・大戦・核抑止』(ちくまプリマー新書)目次

第一章 世界の力関係はどう変わってきたか――帝国と主権
第二章 帝国の出現を防ぐ手立てとは何か――勢力均衡
第三章 世界大戦はなぜ起こったか①――脆弱性による戦争
第四章 世界大戦はなぜ起こったか②――機会主義的戦争
第五章 国連はなぜ機能しないのか――集団安全保障
第六章 核兵器はなぜなくならないのか――核抑止
第七章 戦争はどう終わるのか――戦争終結
第八章 人類はまた大戦争を引き起こすのか

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