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「戦争と平和」 思索の跡は戦時・戦後を超えて 朝日新聞書評から

評者: 御厨貴 / 朝⽇新聞掲載:2024年04月06日
戦争と平和-田中美知太郎 政治・哲学論集 (中公文庫 た 96-1) 著者:田中 美知太郎 出版社:中央公論新社 ジャンル:社会・政治

ISBN: 9784122074682
発売⽇: 2024/01/23
サイズ: 2×15.1cm/384p

「戦争と平和」 [著]田中美知太郎

 戦中戦後を生き抜いた一人のギリシア哲学専攻の哲学者が、時事的な政治問題を素材としつつ、自らの教養と哲学を以(もっ)て、コトの真相に迫ろうと筆を執った論文を、彼の論稿に影響を学生時代から受けた経済学者(哲学者でもある!)が、今日の日本や世界をとりまく諸状況を意識しながら、再編集を試みた「政治・哲学論集」を、手にしている。「文庫オリジナル」と銘打ってあるが、田中美知太郎の思索の跡を正確に辿(たど)りながら、猪木武徳が何故(なぜ)17の長短編の論文を必ずしも発表順にではなく、さりげなく五章に再編集したのかに、興味をそそられる。
 実は、私も最後の二論文は同時代に読んだ記憶がある。当時右派論壇人の一人と目された田中の論文は、他の単純なる右翼的論者とは異なり、あくまでも考え抜いた思慮深さに満ち満ちていた。「保守と革新」なる小論は、今なおその射程距離の長さにうなるものがある。だが同時に、あつかわれる事例がジャーナリスティックで通俗的であり、誤解を生じかねない箇所がみられる。それを猪木はみごとに「ただ田中の賢慮に満ちた平明な文章は、ある種の『外見上の単純さ』をもつ」と指摘している。
 だから猪木が一九六六年に書かれた「道徳問題としての戦争と平和」なる長編論文を、文庫の最初に掲げたのは、よく分かる。「戦争と平和」は、ここ数年の国際情勢の著しい変化を最も象徴する言葉である。田中は多くの場合、状況を規定する言葉を二項対立で捉える。まさに「戦争と平和」。しかしそれは、加害者と被害者、正と悪、のように更なる二項対立の分派を形成してゆくにつれて、単純な対立ではなく、複層的な対立に転じていく。
 だから「戦後二十年の反省――戦前と戦後の連続と相違」において、戦後二十年を戦前と単純に切り離す議論をとらない。「革命前夜から戦争前夜へ」は、一九八三年に書かれた。三五三頁(ページ)からの「戦争前夜」の日本を描く田中の筆は、戦争を受け入れざるをえなかった日本人の姿をありのままに描いて人々の胸を打つ。あたかも古川ロッパ日記の記載と重なるような趣(おもむ)きがある。
 古典の世界からは「ソクラテスの場合―愛国心について」が、戦時中に書かれたものの戦後にしか公表できなかったという運命を背負っている。「私たちは愛国心のかげに悪徳が忍び込むことを自分自身に対して警戒しなければならない」との一句は、戦時戦後を超える警句であろう。
 田中美知太郎の政治論を、猪木武徳の導きによって知る喜びは格別のものである。
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たなか・みちたろう(1902~85) 哲学者、西洋古典学者。著書に『ロゴスとイデア』『ソクラテス』など。『今日の政治的関心』『時代と私』など政治時評集も多い。