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ウルフの言葉がいま私たちに訴えかけるもの――片山亜紀編訳『ヴァージニア・ウルフ エッセイ集』

記事:平凡社

『ヴァージニア・ウルフ エッセイ集』(片山亜紀編訳、平凡社ライブラリー)
『ヴァージニア・ウルフ エッセイ集』(片山亜紀編訳、平凡社ライブラリー)

22歳でジャーナリストとしてデビュー

 私の話をさせてください──素朴な話です。寝室で、若い女性が手にペンを持っているところを想像してください。彼女はそのペンを、〔朝の〕10時から〔昼の〕1時にかけて、左から右へと動かします。やがて、簡単で安く済みそうなことをしようと、彼女は思いつきます──文章を書いた紙を何枚か封筒に入れ、1ペニー切手を封筒の隅に貼り、街角の郵便ポストに投函します。こうして私はジャーナリストになりました。

(「女性にとっての職業」188頁)

 1931年の講演をもとにしたエッセイで、49歳のヴァージニア・ウルフは、若き日のヴァージニア・スティーヴンが職業作家になった経緯を上のように回想している。本当は、封筒のしかるべき宛先を確保するまでにはそれなりの苦労があったのだが、昔の話にあまり時間を費やしたくなかったのか、ウルフは「素朴な話」として提示している。ともあれ、こうして原稿を郵送することによって彼女が「ジャーナリスト」としてキャリアを始めたのは間違いなく、伝記的資料とも一致する。1904年、22歳のときだった。

 ここでの「ジャーナリスト」は、新聞や雑誌に記事を書くことで収入を得る人のことを指す。ヴァージニア・スティーヴンが新聞や雑誌に寄稿したのは、本の書評、紀行文、随想、伝記的スケッチなど、大きく言えば「エッセイ」に含まれる文章群だった。エッセイというジャンルについて、のちにウルフは書評「現代のエッセイ」(1922)において、何よりも読者に楽しんでもらうものと定義している──「あらゆる文学の形式の中でも〔……〕エッセイは仰々ぎょうぎょうしい単語をもっとも要求しない。エッセイを制御する原則とは、楽しみを差し出すというのに尽きる。私たちが本棚からエッセイを取り出したくなるときも、ただひたすら楽しませてほしいと願っている。エッセイの中のすべては、この目的にかなったものでなくてはならない」(注1)。

 気軽な楽しみとしてのエッセイを執筆するのは、執筆する本人としてもおおむね楽しかったらしい(そして貴重な収入源でもあった)。ウルフは小説を発表するようになってからもエッセイの執筆を続けた。日記をたどると、小説とエッセイを同時並行で書き進めていることもある──1924年8月15日の日記には『ダロウェイ夫人』を書き進めていると記述があり、「昼食前に小説、お茶のあとでエッセイ」という日課だったようだ(注2)。また、ある時期は小説、ある時期はエッセイと、時期を振り分けていることもある──1928年5月31日の日記では、『オーランドー』を書き上げたことが記され、「何か緊密な論理を持った批評を書きたい。小説についての本か、何かのエッセイを」と、エッセイの構想に向かっている(注3)。小説とエッセイは、どちらも創造性の表現として、ウルフには欠かせないものだった。

カバー写真は1939年6月、ブルームズベリのウルフ夫妻のフラットにて、愛犬とともに。ジゼル・フロイント撮影
カバー写真は1939年6月、ブルームズベリのウルフ夫妻のフラットにて、愛犬とともに。ジゼル・フロイント撮影

ウルフのエッセイは「難しくない」?

 ウルフのエッセイは、こうして書き継がれるにつれ、量としても内容としても充実していった。初期のエッセイはその新聞や雑誌の方針により匿名だったが、しだいに名前入りで発表できる媒体に寄稿する機会も増えていく。その内容も、1冊の本の書評というよりは数冊を評した作品論、批評、作家論、世代論などのようにスケールの大きなものが多くなった。これらのエッセイのうち、ウルフはとくに文学に関わるものを二冊の批評集──『一般読者コモン・リーダー』(1925)、『一般読者コモン・リーダー──第二集』(1932)──に編み、夫レナード・ウルフとともに経営していたホガース・プレスから出版した。また、1冊の本としてのエッセイを『自分ひとりの部屋』(1929)や『三ギニー』(1938)として出版した他に、本書に収録した「ベネット氏とブラウン夫人」「病気になるということ」なども、それぞれ単体の小冊子としてホガース・プレスから刊行した。

 これらのエッセイは、ウルフの小説とは別に、あるいは彼女の小説を読むための手がかりとして、数多くの読者を得てきた。ウルフと同時代の作家であり、友人であり、一時は恋人でもあったヴィタ・サックヴィル゠ウェストは、ウルフの小説とエッセイについて次のような言葉を残している。「ウルフ夫人の小説を読み進めるのは難しいと思われるかたもおいででしょうけれど、彼女の批評的エッセイを読み進めるのは、少しも難しいことではありません。心から楽しめます。繊細で、鋭く、絵のように美しく、ユーモアに富み、それでいて厳格です」(注4)。

初期から晩年まで、ウルフの作家としての変容をたどる

 前述のように、ウルフ本人は生前に2冊のエッセイ集を編んでいる。その他にも、英語圏ではウルフ没後に幾度も彼女のエッセイ選集が編まれ、版を重ねてきた。さらに、彼女が書いたと判定しうるのべ500篇ほどのエッセイを収めたエッセイ全集が、全6巻として1986年から2011年にかけてホガース・プレスより刊行されている(Virginia Woolf, The Essays of Virginia Woolf, ed. by Andrew McNeillie, vols. 1–4, and Stuart N. Clarke, vols. 5–6. The Hogarth Press, 1986–2011)。

 日本でもウルフのエッセイは幾度も訳され、エッセイ選集が編まれ出版されてきた。現在も入手しやすいものについては、本稿の最後に参考文献として挙げた。本書はそれらの労力のあとに連なるものである。

 本書は、全集が出揃った2011年以降のいま、改めて選集を出すのは意義のあることだろうとの思いから編んだ。そのうち3つのエッセイは、すでに雑誌などで拙訳として掲載していただいており、それぞれの反響から、前後のエッセイもあわせて読めるような形で紹介したいとも思った。エッセイの選定は悩ましい作業だったが、英語圏の選集を参考に、論文などで言及されることの多いものを中心に選んだ。1冊の単行本のみを書評したものは原則として外したが、第一次世界大戦に関連するもののみ、ウルフのその後の関心を跡づけるテクストとして重要だと思い、4篇を入れた。ウルフのエッセイには文学関連のものが多いが、トピックに多様性を持たせたかったので少なくした。『一般読者コモン・リーダー』と『一般読者コモン・リーダー──第二集』も、ウルフ自身の編著であるため、できればそのまま全体として読まれるほうがいいと考え、これら2冊からの選定は避けた。なお、訳出の際の底本は上に挙げた全集からとし、必要な場合には他の版も参考にした。

 最終的にエッセイは25篇になり、講演、執筆、発表の時期にしたがい年代順に並べた(講演時期と紙媒体への発表の時期がずれている場合には、前者を優先させた)。その上で、ウルフの作家としての変容を感じてもらえたらいいと願い、小説の出版年に応じて、3つの時期に区切った。初期はウルフが「ジャーナリスト」一本であった時期から、小説の執筆を始め、『船出』(1915)および『夜と昼』(1919)、中期への飛躍の出発点となった短編小説集『月曜か火曜』(1921)を発表した時期。中期はウルフの中でもとりわけモダニズム的とされることの多い小説群──『ジェイコブの部屋』(1922)、『ダロウェイ夫人』(1925)、『灯台へ』(1927)、『オーランドー』(1928)、『波』(1931)──の時期に相当する。後期はその後の小説群──『フラッシュ』(1933)、『歳月』(1937)、『幕間』(没後に出版、1941)──の時期で、この時期のウルフはリアリズムに回帰し、より歴史に注目した小説を書いたとされている。

平凡社より刊行中のウルフのエッセイ3冊。手前から、『自分ひとりの部屋』、『三ギニー 戦争を阻止するために』、『ヴァージニア・ウルフ エッセイ集』(いずれも片山亜紀訳、平凡社ライブラリー)。『自分ひとりの部屋』は現在10刷のロングセラー。
平凡社より刊行中のウルフのエッセイ3冊。手前から、『自分ひとりの部屋』、『三ギニー 戦争を阻止するために』、『ヴァージニア・ウルフ エッセイ集』(いずれも片山亜紀訳、平凡社ライブラリー)。『自分ひとりの部屋』は現在10刷のロングセラー。

ウルフのエッセイにみられる4つの特徴

 本書に収めた25篇は多様なトピックにしたつもりだが、1冊の本にまとめてみると、いくつか共通点も浮かび上がった。各エッセイを味わう手がかりになればと思い、4つの特徴を記したい。

 第1に、執筆過程や内容が社会的である。だれかの依頼を受けて書くのはジャーナリズムでは当然の過程だが、それがエッセイないし講演の冒頭であえて語られ、状況が特定しやすくなっている。また内容としても、どこか外に出かけてだれかと話をする、大英帝国博覧会を見学する、日蝕を見る、水族館に行く、絵画を観る、女性協同組合の大会に参加するというように、ヴァージニア・スティーヴンないしウルフが何かの行動をして社会と接しているものが多い。先に見たように、サックヴィル゠ウェストがウルフのエッセイは難しくないと語っていたが、何よりもこのように社会的だから、読者にも日常的で身近に感じられ、読みやすいのかもしれない。

 第2に、内容や視線が民主的である。たとえば冒頭の「路上の音楽ストリート・ミュージック」では、住民からも警官からも邪魔者扱いされがちな路上のヴァイオリン弾きが、ヴァージニア・スティーヴンからとびきりの賛辞を贈られている──「こんなふうに自分の内に神を宿している人を尊敬しないわけにはいかない」。また「ロンドン散策──ある冒険」では、ウルフは視線の先に一人の低身長の女性を捉え、はじめこの女性に対し、「気難しそうでいながら申しわけなさそうな、障がいのある人の顔によく浮かんでいる表情をしていた」というようにステレオタイプ的な障がい者イメージを重ねるが、この女性が靴を試着しようとする際の堂々としたふるまいによってそのイメージは覆され、その波及効果として、障がいを持つ他の人たちも視界に入ってくるという展開になっている。さらに付け加えるなら、このように一般的な前提を示しておいて覆すという仕掛けはウルフのエッセイの随所にあり、彼女の文章のアナキズム的なところだと言っていいだろう──「ウェンブリーの雷」では植民地主義が風に吹き飛ばされ、「どうして?」では質問たちが騒ぎ立て、「職人の技術クラフツマンシップ」では言葉たちが勝手に群れをなす。

 第3に、フェミニズムの主張がある。第1波フェミニズムの時代にいたウルフに対して、私たちは第2波と第3波を経て、第4波フェミニズムの時代にいるが、ウルフの主張には継承したい貴重なものが数多く含まれている。たとえば「羽毛法案」は、当時の動物愛護運動の中のミソジニー(女性嫌悪)を批判したものであり、一つの反差別運動が他の差別を生じさせる可能性についての警告として読める。「女性にとっての職業」は、内なる家庭の天使と対決せよというメッセージも、後半の「身体経験について本当のことを語る」ことの困難という問題提起も、いまだ性暴力が根絶されず、身体の自己決定権が守られていない現状を考えれば重要なものである。また「序文に代えて──マーガレット・ルウェリン・デイヴィスへの手紙」も、階級を超えた女性の連帯が、社会運動によって、そして文学によってどのように可能かという論考として読める。

 最後に、未来志向であり、〈これから〉に向かって開かれているという特徴がある。たとえば2つの文学論「ベネット氏とブラウン夫人」と「傾いた塔」は、発表された時期には20年近い開きがあるが、どちらにおいてもウルフは来たるべき文学(ジョージ朝文学と戦後世代の文学)を構想し、聴衆あるいは読者に向かって、新しい文学の創出に参加してほしいと呼びかけている。とりわけ「傾いた塔」の結びは力強く、民主的かつアナキズム的だ。「文学はだれの私有地でもありません。文学は共有地です。切り刻まれて国家に分割されていませんし、戦争はありません。自由に恐れずに侵入して、自分で自分なりの道を見つけましょう」。

『ヴァージニア・ウルフ エッセイ集』(平凡社)目次。初期から晩年まで、初訳を多数含むエッセイ25篇を精選したオリジナル・アンソロジー。
『ヴァージニア・ウルフ エッセイ集』(平凡社)目次。初期から晩年まで、初訳を多数含むエッセイ25篇を精選したオリジナル・アンソロジー。

「空襲下で平和について考える」――ウルフの思いを受け止め、深めるために

 本書に収めた最後のエッセイ「空襲下で平和について考える」は、第2次世界大戦の空襲下にあって、ウルフが生命を脅かされながら書いたものだが、ここにも〈これから〉に思いを馳せる一節がある──「平和がどうしたら実現するかを考えられないなら、私たちは──このベッドに横になっているこの一つの肉体だけでなく、これから生まれてくる何百万という肉体が──同じ暗闇で横になって、同じ死の羽音を聞くことになるでしょう」。このエッセイをウルフが書き上げたのちも空襲の日々は続き、エッセイ発表からおよそ半年後、彼女は入水じゅすい自殺を遂げてしまう。

 ウルフ本人があと少ししか生きられなかったことを考えると、この一節はとても切ないが、切ないと言って終わらせてはいけないだろう。このエッセイにはよく吟味したい論点がいくつか含まれている。

 ウルフは平和を実現させるにはすべての人が意識下の「ヒトラー主義」、すなわち攻撃欲求から解放されねばならない、そしてすべての男性が国境を超えて「戦闘機マシーンから解放」されねばならないと主張している。これらは引き継ぐべき主張である。ところがその一方で、出産を「特別に選ばれたごく少数の女性だけ」に制限したらと仮定し、そのような制限が自由のために必要なこともあるとして、制限を課すことを肯定的に捉えている。これは優生学的な主張ともみなしうるものであり、ウルフがこういう仮定をするにいたった背景も含め、批判的に検証しなくてはならない。

 しかしながら、このような検討すべき詳細は別として、ウルフがこのエッセイを書いて〈これから〉に思いを馳せた1940年以降、何百万、何千万という人々が爆撃の犠牲になってきたことも、やはり思い返さねばならない。本稿を書いている現在も、パレスチナではありとあらゆる爆撃兵器の「死の羽音」によって、連日、子どもを含む民間人がイスラエル軍に虐殺され、生活のすべてが破壊され、だれにも止められないままジェノサイド(集団殺害)が進行して2年を超えてしまった。これはグローバル・ノースにいる私たちが、そして資本主義というシステムが、「戦闘機マシーン」にいっそう深く絡め取られていることの結果だろう。私たちはウルフの思いを受け止め、さらに深めていく必要があるのではないだろうか。



(注)以下の文献は英語のまま省略して表記し、ローマ数字で巻数を添え、ページ数を付す。
– Virginia Woolf, The Essays of Virginia Woolf, ed. by Andrew McNeillie, vols. 1–4, and Stuart N. Clarke, vols. 5–6 (The Hogarth Press, 1986–2011).【Essays と表記】
– Virginia Woolf, The Diary of Virginia Woolf, ed. by Anne Olivier Bell, vols. 1 and 5, and Andrew McNeillie, vols. 2–4 (Penguin Books, 1979–85).【Diary と表記】
(注1)Essays IV, 216
(注2)Diary II, 310、『ある作家の日記』(神谷美恵子訳、みすず書房、1976)92頁
(注3)Diary III, 185、『ある作家の日記』182頁
(注4)『リスナー』1932年10月26日、610頁、Essays V, xiii からの引用

参考文献
ウルフ『ヴァージニア・ウルフ著作集7 評論』朱牟田房子訳、みすず書房、1976年
── 『女性にとっての職業──エッセイ集』、出淵敬子、川本静子監訳、みすず書房、1994年
── 『病むことについて』、川本静子編訳、みすず書房、2002年
日本ヴァージニア・ウルフ協会、松永典子、松宮園子他編著『キーワードで読むヴァージニア・ウルフ』、小鳥遊書房、2025年
Beth Rigel Daugherty, Virginia Woolf’s Apprenticeship: Becoming an Essayist, Edinburgh University Press, 2022.

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