自分の頭で考え、自力で飛び回る「飛行機人間」になるには 『思考の整理学』外山滋比古さんインタビュー
記事:筑摩書房
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松本 僕はいま三十歳ですが、「考えること」を考えるという機会が増えて、この『思考の整理学』という題名にパッと惹かれたんですね。先生があとがきでも触れられていますが、なかなかそんな余裕がありませんでした。
外山 「もっと若いときに読んでいれば」というポップのコピー、あれは、大変感心しました。ああいうキャッチフレーズは見たことがないですよ。名文句ですね。しかも、それを本屋さんの方が言っていらっしゃるというのは大変説得力があるだろうと思っていたら、大変な効果がありました。例えば、あれが普通の宣伝文で「これで、考えることができる」というようなジェスチャーの大きい言葉だと、「ふ~ん」と思うのでしょうけれども、あれは呟きのように、しっかり実感が込もっているでしょう。そういう意味で、あの言葉は傑作だと思います。
出版社の営業というのは、少なくとも著者としては姿があまり見えないわけで、そういう人たちが、本を売ろうというか、読者に広めようとした言葉が、非常にセンスがいいと感心しました。
松本 僕はこの本が二十年前の本だということを知らずに読んでいたんです。読んでから最後を見て、「ああ、二十年前に出た本なのか」ということに気づきまして、全く色褪せないということを感じました。
いまの時代はインターネットの普及もありますが、スピードが求められますよね。しかし、先生のご本では、「時機を熟成させろ」と。これは、いまの時代にすごく大切なことなんじゃないかと思ったので、「売りたい」ということに行き着きました。
最近では僕も、ちょっと立ち止まって熟慮する時間を設けているかもしれません。
外山 僕は、なるべく長生きをする本であってほしいと思って書いています。
このように、新しい命があるような売れ方をするというのは、本を書く人間としては大変いい気持ちですね。今また多くの人が買ってくれているというのは、読んでくださる側にも、何かそういうものを求めている新しい世代が現れているのではないかということを感じて、大変心強いような、自分としては嬉しいような気がします。
松本 ホッとしました。これは二十何年間、いままでずっと生きてきた本ですよね。僕が余計なことをしたのかな、「先生、もしかしたら……」と思っていたりもしたので、いまのお言葉を聞いて、本当によかったです。ありがとうございます。
外山 長生きする本というのは、書こうと思って書けるわけではないけれども、それが偶然ということや、皆さん方が応援してくださったこともあって、ちょっと普通の人も驚くような、リバイバルみたいなものが起こるというのは、非常に嬉しく思います。
高校入試のための準備の学参に、最近『思考の整理学』が、頻繁に引用されています。だいたい千字ぐらいの文章で、設問をつけて、高校の試験を受ける中学生に読ませるんですね。この本を書いたころは大学院や大学の学生が卒業論文をどう書いていいかわからないと苦労していて、剽窃論文を書く者もいました。それではいかん、自分の頭で考えて書かなくては、じゃどうするか。
学校は知識を伝えることを主なる目的にしていますから、本を読むことが主です。物を覚えて記憶したら、そのままどんどん仕事ができるという考えに立っている。基本的にそんなことはないですよ。本などいくら読んでも、すべての知識を頭の中に入れることはできない。
自分の頭で物を考え出す力というのはどうしたら得られるのか。自分で模索しながらこんなことをしてみると、効果があるかなというのを、一つ一つ脈絡なく並べました。ですから一貫していなくて、あちこち飛んでいます。どこから読んでもいいわけです。途中でやめて、また次を読んでも一向に構いません。偶然いい思いつきというのがあると、それをもとに、どうしてそのようになったのかということをよく考えて、自分の生活の中から出てきた一つの知恵みたいなものを書いたわけです。
松本 先生の本を読んで、モヤモヤしていたものがスッキリとしました。「言ってもらった」というか、そこが整理学だろうなと感じました。
『思考の整理学』を読んで引き込まれた部分が、グライダー型人間と飛行機型人間のところだったんです。本屋の目線といいますか、書店の目線として、ここを一ページでも読んだ人は買ってくれるだろうなと思いました。
外山 学校は、グライダーを作ることをやっているので、「学校はダメだ」ということを言いたかったのですが、それを言うと学校の立場もなくなるし、反感が強いでしょうから、とにかくグライダーと飛行機ということで逃げて、グライダーよりは、危険だけれども、墜落したりしてうまくいかない場合が充分あるけれども、飛行機というものがあるのだと。どちらかというと飛行機のほうがいいのではないかということで、いまのように知識だけで、本を読めば人間はどんどん賢くなっていくというのは、一種の迷信です。ことに戦後は、点数というものを非常に重視しますが、点数に絡むのは記憶です。覚えていることを答案に書けば点数がいいわけです。ですから、いわゆる優等生ではない人のなかに、考える力を持っている人がたくさんいるはずです。グライダーではなく飛行機の人は、ちょっと見ると、「飛行機はダメだ、グライダーのほうがいいのだ」と、いまは一般にそう思っている。そこに対して、カッコわるくても何でもいいから、とにかく自分で飛んでみる。飛ぶ力をどうしたらつけられるか、それが問題です。
あのなかで、飛行機とグライダーの例えを思いついたときは、ちょっといい気持ちでしたね。ただ学校教育を批判するのではなく、我々みんなが反省すべきだと言いたかった。ことにコンピュータが出てきまして、コンピュータというのはグライダー人間の極致みたいなもので、非常に記憶力がいい。再生力も抜群です。人間はどんなに記憶力がよくても、コンピュータには及びません。昔のようにコンピュータがないときは、グライダー人間でも充分社会に貢献できたと思いますが、これからは、そういう人間の代わりにコンピュータがどんどん仕事をするようになります。しかしコンピュータは考えることができない。忘れることができない。あのなかにも「忘れる必要がある」と書いてありますが、つまり、コンピュータができないことを我々はこれからやるのだという気持ちが多少あったので、一種の自己主張ですが、なるべくどぎつい形ではなくて、自分が経験したことで「こうですよ」というレポートのような形で書いたので、サラッと読んでもらってもいいのではないかと思います。
編集 各章毎に問題提起というか、「これでいいの?」ということが出てきます。例えば、「忘れることの重要性」などは、普段は忘れてはいけないと思うわけですが、忘れることがいかに大切かということになってくると、「ああ、そうか」と納得する部分がありますよね。
外山先生はいつも対比で物事を書かれます。今度の『読みの整理学』(外山著、ちくま文庫)もそうですが、対比することによって理解しやすい。まさに、自分の思っていることをただ書くのではなくて、よりみんなが理解しやすいような形で書かれているのが、ワーッと売れることにも繋がったのでしょうか。
外山 一つだけでず~っといくのではなくて、道草ではないですけれども、ちょっと横に寄って、前のところを眺めて、また戻る。行ったり来たりしていると、なんとなく読む人の頭も、著者と話し合いをしているような感じがしますよね。一方的にしゃべるのではなく、読者と一緒に考えて、読者もうまく読んでくだされば話に乗ってきて、「そうだ」とか、「そうじゃないんじゃないですか?」とか、そういうことを考える。ただ知るのではなくて、そういうことが物を考える基礎になると思います。
そういう読者がたくさん現れて、現代の若い人たちに対してちょっと敬意を表したいという気持ちです。
(このインタビューは2008年2月に収録されたものです。)