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文学はずっと「ケアの倫理」を実践してきた 小川公代さん×小倉孝誠さん

記事:白水社

フランス語学習とフランス語圏文化に関する、日本で唯一の総合月刊誌『ふらんす』(白水社)は、昭和が始まる前年の1925年に産声をあげました。2025年12月号の特集は「ケアとブンガク」です。
フランス語学習とフランス語圏文化に関する、日本で唯一の総合月刊誌『ふらんす』(白水社)は、昭和が始まる前年の1925年に産声をあげました。2025年12月号の特集は「ケアとブンガク」です。

文学はずっと「ケアの倫理」を実践してきた

小川:私のゼミ生の1人がいま、ケアの倫理で読み解くミュージカル版『オペラ座の怪人』というテーマで卒論を書いています。なるほど『オペラ座の怪人』はケアの倫理で読み解けるんだと今では納得していますが、最初は驚きました。ケアの倫理はそもそも、正義の倫理へのアンチテーゼとして、アメリカ人の心理学者キャロル・ギリガンによって生まれました。彼女の恩師コールバーグがつくりだした発達心理学は、人の成熟度を測るもので、その基準は、何が正義かに対する答えを迷いなく答えられるか、というものでした。女性は自己と他者のあいだで葛藤を抱えることが多く、そのせいでコールバーグは女性の成熟度を男性と比べて低く見積もっていました。しかし、ギリガンは、個々の文脈において迷いながら答えを見つけようとする力もまた成熟の証ではないかと考えました。なぜなら、実際の日常生活においては、複数の様々な正解があるのに、コールバーグが追い求める抽象的な正しさは文脈を無視しているからです。ギリガン自身、フェミニストではあったけれど、男性と共存することを選び、結婚し子供を育て、いろんなことに引き裂かれながら、常に葛藤しながら生きてきました。ギリガンは、文脈の中での心の葛藤や思考過程が重要だと考えます。その視点から『オペラ座の怪人』を見るとき、クリスティーヌの心の葛藤は注目に値します。自分を舞台に立たせてくれた恩人であるファントムをないがしろにしていいのか。地位もお金もあるラウルと結婚するという選択でいいのか。クリスティーヌの中にはファントムに対するケア責任が生まれ、揺れ動き、父の墓前に行って思い悩むシーンがあります。この場面こそ重要なのです。ケアとは何か、と考えたとき、ただやさしくしたり誰かの面倒を見たりすることではなく、自己と他者の間の関係性を切るのか切らないのかということでもあります。対話をあきらめたら人間には対立や戦争しか残されていない、と、私は常々言っています。ケアの物語もそこからスタートするのではないでしょうか。戦争は、相手との関係性を切り捨て、非人間化したところに生まれる。でも、自分も相手も人間なのだから過ちを犯しうる、つまり互いの可謬性を認めれば、少しずつ歩み寄って許し合えることもありうる。ヴァルネラビリティ(脆弱性)とともに、人間はずっと生きてきたし、これからも生きていかなくてはいけない。メアリ・シェリーが『フランケンシュタイン』で書こうとしたのも、このことなのです。

小川公代さん
小川公代さん

 

小倉:独裁者は自分の過ちを認めません。プーチンやトランプはそういうタイプの人間ですね……。ここにはある種の病理性があると思うのです。正しさの病というのでしょうか。正しさをそんなふうに主張するのはいかにも男社会の論理、ソルニットの言うマンスプレイニングそのものです。この病理を是正するためには、小川さんがずっとおっしゃっているように、ギリガンのケアの倫理が本当に必要だなとつくづく感じます。

 

小川:そのことを、文学は、何百年もずっと訴えてきているのではないかと思うのです。たとえば、ウィリアム・ブレイク(1757-1827)。おそらくマッチョなイメージを抱いている人が多いと思うのですが、彼に「蠅」(1794)という作品があります。最初の1行目で、手でそれを踏みつぶしちゃう。次の瞬間、自分は蠅じゃないか、その蠅も人間じゃないか、と言うのです。私たちは、人間は動物や虫より優れていると教育されてきましたが、ブレイクは200年前から、そうじゃないと言ってるんです。虫や怪物の目を通じて世界を見る、そんな想像力を持つ人こそが可謬性に気づいているし、じつは、ケアの倫理を実践してきているのではないか。ブレイクの詩を読んで感動した大江健三郎(1935-2023)も、同じようにケアの倫理を実践してきた人だと思います。

 

 小倉:それなのに、男の研究者たちはそのことに長い間気づいていなかったのかもしれません。

 

小川:こうして文学を紡いできてくれた人たちにならって、研究においてケアの倫理を実践することは可能なのか―このことが、いま、私の課題です。

Male hand writing the message we care on yellow background. Customer care[original photo: Cagkan – stock.adobe.com]
Male hand writing the message we care on yellow background. Customer care[original photo: Cagkan – stock.adobe.com]

 

「ケアの倫理」で読みたい作品

小倉:スタンダールやバルザックの作品には、民衆や労働者はほとんど出てきません。民衆や労働者が登場する19世紀後半に書かれた物語は、これまで権力と民衆の対立という枠組で論じられてきましたが、ケアの倫理という立場から読むと、まったく別の解釈がでてきそうです。民衆同士や労働者同士の連帯とか、シスターフッドとか。いろんな切り口がありそうです。

 

小川:フランス文学だと、アニー・エルノー(1940- )はどうでしょう。ヴァージニア・ウルフに影響を受けているので、特にケアの倫理的な感覚があるのではないでしょうか。

 

小倉:たしかにそうです。アニー・エルノーはもともと庶民階級出身で、学業や自分の業績によって階級を越境し、親が帰属する世界をなかば意図的に飛び出た人なので、自分の両親に対してある種の疚しさや心苦しさを持ってきた人です。彼女のノーベル賞受賞式のスピーチの中でもそのことを言っていました。それを書いた作品として有名なのが『場所』(堀茂樹訳、早川書房、1993)という父親を書いた話です。『ある女』(堀茂樹訳、早川書房、1993)は母親を書いた作品で、最後は認知症になり、施設に入って亡くなります。ケアの倫理という視点から考えると、アニー・エルノーが自分の両親の物語を書いたのは、声を持たなかった自分の両親に声を与えた、ということではないでしょうか。男性作家では、哲学者であり歴史家でもあるディディエ・エリボン(1953- )の『ランスへの帰郷』(塚原史訳、みすず書房、2020、2025)という作品があります。彼の自伝でもあり、親の話でもあります。エリボンはいまや社会的に成功していますが、両親は労働者階級の出身です。また、彼は同性愛者です。父親の病気をきっかけに故郷のランスという町に帰省する物語が書かれています。この中で彼は、パリでインテリたちと付き合う中で自分が同性愛であると告白することにはほとんど葛藤はなかったけれど、自分が労働者階級の出身であることはなかなか言えなかった、と書いているのです。彼は、親の出自を言わないということは、自分の親を間接的に否定しているように感じる。そのことに対して疚しさを感じ続けている。その疚しさを、久しぶりに故郷のランスという町に帰って親と会ったときに、切実なまでに感じさせられる。―象徴的に、自分の親を否定し続けてきたことに対する悔恨の情と、そのことに対する一種の償いの気持ちを感じる場面がでてきます。非常に感動した作品の1つです。

小倉孝誠さん
小倉孝誠さん

 

小川:じつは、私も、母のことを書いた『ゆっくり歩く』(医学書院、2025)という本を出しました。母は、不動産の事業に成功した祖母にかわって家族の面倒を見なくてはならず、大学にも行かせてもらえませんでした。結婚後も、父が経営する英語学校の外国人の先生たちのケアを一手に引き受けていました。やりたいことをしていた祖母と私の間にはさまれて、自己実現的なことを経験できなかった母に対する疚しさが、私にもありました。その母がいま難病を抱えていて、私の中にケア責任が生まれています。そこには、やはり私の罪の意識が絶対にあるのだと思います。母に対する気持ちを言語化するのはものすごく大変で、自分のすべてをさらけださないと書けなかったからか、執筆に4年かかりました。ですので、いま小倉先生がアニー・エルノーや『ランスへの帰郷』について話されるのを、他人事ではない気持ちで聞いていました。

 

小倉:小川先生とお母さまの関係はアニー・エルノーと母親の関係と本当にパラレルですね。

 

小川:アニー・エルノーが私にとって重要な作家になった理由は、自分と重なるからということが少しあります。

 

小倉:アニー・エルノーは、後に少し作風を変えていますが、少なくともある時期まではいわゆるオートフィクションを書いています。本人は、そうじゃないと言っていますが……。オートフィクションはいまや世界中で大きなトレンドですね。

 

小川:オートフィクションで救われる人は多いと思います。書く人も、読む人も。

 

小倉:私はやはり、普通の自伝に関心があります。国によって自伝のタイプが違うのもおもしろいですね。フランスには、ルソー以降、自伝の伝統があります。私もいつか自伝論を書いてみたいと思っています。

 

小川:ぜひ読みたいです! 楽しみにしています。

 

(構成:伏貫淳子)

【雑誌『ふらんす』2025年12月号「ケアとブンガク」より一部紹介:全篇は本誌で!

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