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小川公代さん「ゆっくり歩く」インタビュー 7年間の母の介護、ケアの実践は「書かずにはいられなかった」

小川公代さん=川しまゆうこ撮影

些細なエピソードにこそ本質があると気がついて

――故郷・和歌山に暮らしていたお母様がパーキンソン病と診断され、介護の現実に戸惑い、悩み、迷いながらも、ゆっくりと前に進んでいく様子は、とても他人事とは思えませんでした。この体験を本に書こうと最初から決めていたのでしょうか。

 私自身は、母との日々を書かずにはいられませんでした。でも、研究者は常に客観的でなければならない、私情を挟んではいけない、という思い込みがあったんです。本にして自己開示をしても大丈夫だろうか? 私の研究者生命に悪影響を及ぼすのではないか? と最初は思っていましたね。

 ところが、編集者である白石正明さんから「それを書かなきゃ意味がないですよ」と背中を押されまして。母と何を食べたとか、どんな会話をしたとか、書くか書かないか迷っていたことも、「そこが面白いんです」と言うので、「え、こんな些細なことも書くんですか?」と驚いて。編集者は、日常の断片こそ、読者が最も共感し、ケアの本質に触れる部分だと見抜いていたんですね。

 今まで本を書くのは孤独な作業でしたが、今回は母と白石さんが伴走者のようになってくれました。母と会話するたびにメモを取り、後半は録音もしたので、三人で書き上げていった感覚があります。

―― 親子の会話が和歌山弁でそのまま表現されているのが印象的でした。方言から、その場の空気感やお二人の親密な関係性が伝わってきます。

  そう仰っていただき、ありがとうございます。普段の私は標準語しか書きません。ただ、母と話すときは10歳くらいの子どもの頃の自分に巻き戻されて、バリバリの和歌山弁になるので書き言葉もその雰囲気を大切にしました。注釈をつけるかどうかも、編集者と議論になりましたが、「そのままじゃないとニュアンスが出ない」と押し通しました。

 

病院のスターバックスで初めて生き方を問い直す

――お母様がパーキンソン病の検査をする合間に立ち寄った、病院にあるスターバックスでのエピソードは、小川さんの人生の転換期のように感じられました。

 そうですね。平日の昼間に、あんなのんびりした場所で母と紅茶を飲んでスコーンを食べるなんて、それまでの私には考えられないことでした。大学の講義や会議、学生の相談に追われ、常に走っているような生活を送っていましたから。

 ドラマ化もされた漫画『GTO』の主人公のような熱血教師に憧れて、自分の時間はすべて仕事や学生のために使っていたんです。回遊魚のように、止まったら死んでしまうんじゃないか、というくらいの勢いで。

 研究者としてのキャリアを積む中で、常に「何か生産的なことをしていなければならない」「一本でも多く論文を書かないと仕事がなくなるんじゃないか」と、強迫観念に駆られていたんだと思います。それだけに、スタバで過ごした時間は、母と向き合いながら、何かに追い立てられるように生きてきた自分の人生を振り返るきっかけになりました。

―― 介護を通じて、研究者だけでなく実践者にもなった小川さんご自身の「ケア」に対する認識はどのように変化しましたか。

 あるときまでの私は、「ケア・フォー(具体的な行為によって世話をする)」よりも、「ケア・アバウト(間接的に気にかける)」に偏っていました。

 拙著『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社)では、手を動かして、誰かの面倒を見るケアが大事だと主張していたにもかかわらず、自分はお金やモノで解決しようとしていたんです。母が必要なモノやお金を送り、母の病院代なども負担していました。その頃は、お金さえ払えば責任は果たせている、とさえ思っていたんですね。

 だから、母に「きみちゃん、モノより優しい言葉をかけてほしいんよ。温かさがほしいんよ」と言われたときは泣けてきて。私はそんな冷たい人間だったのかと。母が必要としていたのは、遠くから気にかけることやお金の支援だけではなく、もっと直接的で、身体的な関わりだったんですよね。

 手をつなぐ、荷物を持ってあげる、気持ちを込めて声をかける。そういう直接的な関与こそが、母のQOL(生活の質)を上げるのだと気づかされました。

 

文学作品が架け橋となった母との対話

 ―― お母様との関係において文学の共有が重要な役割を果たしています。ケアの視点から、アルゼンチンの作家・ボルヘス、芥川龍之介、日蓮などの物語を伝える小川さんと、興味深く聞き入るお母様。中でも『不思議の国のアリス』のエピソードが忘れられません。

 私はよく物語の話を母に語っていました。いくつか共感したものはありますが、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は母の分岐点になったと思います。

 母は、その前から「自分はもう死んでいるも同然」と言い出していたんです。パーキンソン病が進行して、自分の体が以前とは別物のように感じられる恐怖があったんでしょうね。かつてのように動けず、震えが止まらない自分を、母は「生きている」と認めることができなかった。元気な私がいくら説得しても、母は納得しませんでした。

 そんな時、とっさにルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の話をしたんです。アリスがケーキを食べて体が大きくなったり、瓶の薬品を飲んで小さくなったりするのは、本人が望んだことじゃないのよ、と。自分の意志とは無関係に体が変化してしまうアリスの不条理は、いつ体が震え出すかわからない母の現状と重なります。

 アリスが自分の流した涙の池で溺れそうになる話をした時、母の表情が変わり、物語の中の苦しみに深く共感したようでした。

 そして、イモムシがアリスに「お前は誰だ」と問うシーン。私はイモムシが蝶になる「変態」のメタファーを使って語りかけました。芋虫が蝶になるように、生き物は変わっていくのが前提で、老いて動けなくなるのも一つの変化、生命の宿命なんだよ、と。

 この文学的解釈は、理屈を超えて母の心に届いたようで、「ほんまそうやな」と深く頷いたんです。物語の力を借りることで、母は初めて「老い」や「病」という現実を、受け入れるべき変化として共有できた気がします。

 

―― 平野啓一郎さんの小説『本心』も、お二人に影響を与えたそうですね。

 はい、母が一番ハマったのが『本心』でした。視力が低下してきた母は文字で読むより耳で聴くほうが没入できるらしく、『本心』はAudibleで繰り返し聴いていました。これは、亡くなった母をAIで蘇らせ、その〈母〉と対話していく息子の物語ですが、息子が「生きているうちに、もっと母の手を握ってあげればよかった」と後悔する場面があるんです。それを読んで私もハッとしましたね。

 研究や仕事にかまけて、母との触れ合いをおろそかにしていた自分。物語の中の息子の後悔は、未来の自分の姿かもしれないと思い、生きているうちにできることをやらなきゃいけないと痛感しました。それからますます意識して、母の手を握ったり、優しい言葉をかけたりするようになりました。

ケンブリッジで5時間喧嘩して対等な関係に 

―― お母様とイギリスを旅行中、ニュートンなど世界的な数学者、物理学者を輩出したケンブリッジ大学の近くにあるホテルで大喧嘩した「数式部屋事件」は、本書でもっともハラハラしながら読んだ場面です。

  あれはもう、噴火でしたね(笑)。それまで溜まっていたマグマがお互い一気に吹き出したような。ケンブリッジで泊まったホテルの部屋の壁紙には「数式」がデザインされていたんです。

 それを見た母が「気持ち悪い、こんな部屋にはいられない」と言い出した。私は「なんで? 数式のどこが悪いの? ケンブリッジらしくていいじゃん」「お風呂には数式ないで。そこで横になったらええんとちゃう?」とひどいことまで言って。

 それから、「あんた冷たいな」「いつも忙しくて私と話もしてくれへん」と、母の口から不満が溢れ出してきて、私のほうも爆発してしまった。「私だってお母さんと一緒に旅行したいから一生懸命働いてるんやん。お父さんが死んで、お母さんの生活を守れるのはわたしだけやん」と。

 あれは単なる親子喧嘩というよりも、異なる倫理観の衝突でした。私は「正しさ」や「論理」で母をねじ伏せようとしていたけれど、母は、そんな正論ではなく、ただ自分の不安や辛さに寄り添ってほしかったんですよね。

 結局、5時間くらい本音でぶつかり合って、最後に私が言いました。「お母さん、寂しい思いさせてごめんな」と。その間、一緒に旅した甥は隣の部屋でただずっと待っていてくれました。

――その言葉が和解のきっかけになったんですね。

 翌朝、母から手紙を渡されました。ホテルのメモ用紙に小さな字で、「旅につれてきてくれてありがとう。私の娘に生まれてきてくれてありがとう。何時も全面的に支えてくれて本当にありがとう」と書いてあって、思わず数式万歳! と(笑)。あのホテルのおかげで、初めて親子が対等になれた気がします。

 ケアする側、される側という上下関係でもなく、正しいか、間違っているかという対立関係でもない。母との関係をそう思えるようになってから、「私も人間だから間違うことはある。私だって弱いんだよ」と素直に言えるようになりました。

 すると母は、「あんたもそうやったんか」って。それを聞いたらもう何も言うことはない、という顔をしたんですよ。母も私の弱さを正直に言ってほしかったんだと思いました。

 

緊張感あるハプニングもユーモアの力で楽しむ

―― 介護は大変そうなイメージがありますが、本書はユーモラスな場面も多く何度か笑ってしまいました。たとえば、ご飯を食べながらフォークでサッカーをする話とか。

 パーキンソン病の母は手が震えてスプーンをうまく口に運べないことがあるので、スポーツ選手並みの集中力が必要なんですね。手が震え始める前に口に入れないといけないから、ワールドカップ並みの緊張感なんです(笑)。

 そんなある日、母のフォークからゆで卵が滑り落ちそうになった瞬間、私はとっさに自分のフォークを差し出しました。まるでサッカーのパス回しみたいに、卵の断片を転がしてそのまま母のフォークの上に乗せました。震える手によるミスを「失敗」ではなく「パス」と捉え直したわけです。卵が母の口にゴールしたとき、その感動の瞬間を二人で分かち合いました。

 母との予定が狂って、寒空の下、公園で震えながら一緒にお弁当を食べる羽目になったこともありました。それも惨めなランチではなく「特別なピクニック」だと思うと楽しめました。

 仕事では、常に計画通りに進むことや正解を求めがちですが、ケアの現場ではその価値観が通用しません。そこで「なんで失敗するんだ」とイライラするのは、まだ自分が「正しさ」に囚われている証拠なんですよね。予定調和じゃないことや失敗を受け入れられるようになると、辛かった介護生活も挑戦のように楽しく思えてきました。

 

ゆっくり歩くことでしか見えない大切なもの

―― 本のタイトルでもある「ゆっくり歩く」という行為には、どのような思いが込められているのでしょうか。

 以前の私は、常に時間に追われ、母の手を引いて「早く、早く」といつも急かしていました。母も「周りに迷惑かけたくない」という思いが強い人なので、私の「迷惑かけたくないやろ」という脅しに弱くて、必死についてくるんです。

 ところがある時、約束の時間に遅れないように二人で急いで電車に駆け込もうとしたら、駅員さんが笑顔で「ゆっくりでいいですよ」と声をかけてくださって。そのとき初めて、私たちが焦れば焦るほど、周りの景色も見えなくなるし、自分たちも苦しくなるだけだと気がついたんです。

 人に迷惑をかけないことが正しい、と思い込んでいる人は多いと思います。なぜならそういう教育を受けてきたから。私自身もそうでしたし、特に母は、不動産業を営んでいた多忙な祖母の代わりに弟妹の世話をしてきたヤングケアラーだったので、「誰にも迷惑をかけられない」という思いに強く縛られて生きてきた人です。

 でも、私自身も足を骨折して初めてケアされる側になり、人は誰にも迷惑をかけずには生きられないのだと痛感しました。だから本当は、お互いを支え合い助け合いながら生きられる社会にならなければいけないんですよね。

――親の介護を経験した7年間で、小川さん自身の生き方にも変化はありましたか?

 4年前に母を上京させて、紆余曲折ありましたが、いまは私の仕事場から自転車で5分のところに住んでいます。本当に学びしかないですね。母と一緒にケアを実践したことが、私が今まで研究してきたケアの倫理に肉薄していくプロセスがあり、私が書いてきたことに意味を与えてくれている。

 母の介護のおかげで、予定調和ではない偶然も楽しめるようになったし、ハプニングが起きても一つの物語だと思える心の余裕も生まれました。母の病状も、私の仕事も、先のことは誰にもわかりません。でも、以前のように未来を恐れなくなりました。

 立ち止まってもいいし、ゆっくり歩いてもいい。弱音を吐いてもいいし、間違ってもいい。そうやって自分を許すことから、新しい関係性や、自分らしい人生が始まるのだと思います。

 

好書好日の記事から

「ゆっくり歩く」 「ケアの倫理」理論家が実践者に 朝日新聞書評から
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