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文系のための科学本ガイド④『宇宙の広さを知ったサル 心と文化の進化論』(評・ベンジャミン・クリッツァーさん)

記事:白揚社

ベンジャミン・クリッツァーさんに『宇宙の広さを知ったサル 心と文化の進化論』(スティーブ・スチュワート=ウィリアムズ 著、加藤智子 訳)をご紹介いただきます。Illustration & design by 長尾和美(Ampersand Inc.)
ベンジャミン・クリッツァーさんに『宇宙の広さを知ったサル 心と文化の進化論』(スティーブ・スチュワート=ウィリアムズ 著、加藤智子 訳)をご紹介いただきます。Illustration & design by 長尾和美(Ampersand Inc.)

「考え方」を学ぶおもしろさ

 近年、わが国でも「進化心理学」を取り上げた本が数多く出版されるようになった。専門家が一般向けに書いた本もあれば、ジャーナリストが面白おかしく取り上げたり批評家が持論を補強するために進化心理学を持ち出す本もある。

 そして進化心理学といえば「男性は女性に若さや美しさを求め、女性は男性に資産や地位を求めるのは生物学的な本能だ」「人間は生まれつき暴力的な存在である」など、性や暴力に関する主張につなげられることが多い。扇情的な議論や露悪的な物言いから、進化心理学に対してネガティブなイメージを抱いている人もいるだろう。

 しかし、進化心理学のおもしろさは、最終的にどんな主張が提示されるかではなく、主張の前提にある「考え方」のほうにある。心理学者スティーブ・スチュワート=ウィリアムズの著書『宇宙の広さを知ったサル:心と文化の進化論』(2025年、加藤智子訳、みすず書房)は、進化心理学のロジックを実にわかりやすく解説した本だ。

『宇宙の広さを知ったサル――心と文化の進化論』
『宇宙の広さを知ったサル――心と文化の進化論』

「進化心理学の出発点となっているのは、人間は動物であり、すべての動物がそうであるように自然選択の産物である、という考えだ。そして私たちの身体と同じく、心もまた、自然選択の産物なのだ」(p.16)。

 進化生物学の理論では、生物の個体に備わった諸々の身体的特徴は、自然選択の過程で形成された、その個体の生存と繁殖を助け遺伝子を広めることに貢献する「機能」を持つものと考える。たとえばハリネズミのトゲやアルマジロの甲殻は危険から身を守り生存を助けるという機能を持ち、生殖器は繁殖を可能にする機能を持つ。

 そして進化心理学では、上記のような機能分析を、外見にあらわれる身体的な性質のみならず目に見えない「心」にも適用する。すると、恐怖心や嫌悪感は危険から遠ざかるという動機につながるのでトゲや甲殻と同じく生存を助けるという機能を持ち、性欲は繁殖への動機という機能を持つ、と捉えられる。さらには、他者への愛情や共感、道徳心、芸術に触れたときの感動すらもが、生存や繁殖を助ける機能を持つと説明されるのだ。

 ここまでは進化心理学の「考え方」のなかでも、ごく基本的な前提である。ただし、進化心理学は内部に様々な仮説や理論を含む学問であるという点に注意が必要だ。つまり、そもそも愛情や共感や感動は生存・繁殖を助ける機能を持つのか否か、持つとして具体的にどのようなメカニズムで機能するのか、またそれらの感情はどのように形作られてきたかということについては、複数の説明があり得るのであり、学者によっても意見が分かれてくる。

『宇宙の広さを知ったサル』の長所は、進化心理学の内部における様々な理論や仮説をバランスよく取り上げて紹介しつつも、比較的多くの学者から同意が得られるであろうオーソドックスな理論を中心に説明していることにある。

 たとえば、自然選択は個体単位だけでなく集団単位でも適用されるとする「群淘汰」や「マルチレベル淘汰」の理論に触れつつも、これらの理論の前提となるロジックに含まれる問題や誤りを指摘して、自分自身が生き延びて子を残すことに関わる「直接適応度」と血縁者による繁殖の成功に関わる「間接適応度」を合算した「包括適応度」を最大化する遺伝子が選択される、とする説に軍配を上げている。

 包括適応度説はロジックの問題も少なく専門家から広く支持が得られている一方で、数学的な視点も必要とされるやや難解な理論だ。そのため、非専門家は、より理解が容易く、また文化や文明に関する壮大で魅力的な主張にもつなげやすい群淘汰説を支持しがちだ。

 しかし、「理解のしやすさ」や「主張の魅力」は理論の妥当性とは無関係である。むしろ、難解な理論の背後にあるロジックを丁寧に追い、その説得力を理解していく過程にこそ、学問の考え方を学ぶおもしろさがある。

 ただし、『宇宙の広さを知ったサル』には、進化心理学と異なる前提を持つ社会科学などの発想について不必要に攻撃的な仕方で触れる箇所が多々あるという問題は指摘しておかなければならない。

 進化心理学は他分野からの批判や誤解に悩まされてきた学問ではあるが、マイケル・シャーマーによる本書の序文では進化心理学に基づく人間観を受け入れないことを「ポストモダニズム」や「極左」に結び付ける牽強付会な主張が行われているのを見ると、批判・誤解され続ける一因は進化心理学の支持者たち自身の言動や態度にある、と言わざるを得ない。

 いずれにせよ、私たち一般読者としては、人間という存在については社会科学をはじめとする様々な分野がそれぞれの観点・前提から「考え方」を深めてきたということを理解しつつ、それらと並立するものとして進化心理学による「考え方」も学び、人間という存在について私たち自身が思索するための手がかりのひとつとして扱う、という姿勢を持つのがよいだろう。

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