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千日回峰行とはなにか?――光永圓道『千日回峰行を生きる』

記事:春秋社

光永圓道『千日回峰行を生きる』(春秋社)
光永圓道『千日回峰行を生きる』(春秋社)

千日回峰行とは 

 千日回峰行は比叡山に古くから伝わる特別の行ですが、千日を連続して行うわけではありません。基本的に一年間に百日――二百日の年もありますが――、比叡山を巡拝する。それを積み重ねて、千日に至る行です。七百日までは比叡山の巡拝ですが、その後に堂入りの行があり、さらに八百日の赤山苦行と、九百日の京都大廻りがあって、最後の千日を廻り終えて満行ということになります。 

 わたしの場合は千日回峰行に入行して七年目で満行しました。三年籠山行の百日回峰は、千日に入行した時点で、日数に加算されます。千日回峰行は入行して何時までにやらなければならないという決まりはとくにありません。わたしの場合は別に急ぐ必要もないということで、十二年籠山行も同時に入行させていただきましたので、その間に終えればいいというくらいに、のんびりと、ゆるやかな心持ちで臨んでいました。 

 十二年籠山行というのは回峰行では、原則として山から下りない、比叡山という結界にとどまって行にはげむということで、先ほど述べた浄土院の侍真と形の上では同じものです。形の上では同じものですが、浄土院の厳格な十二年籠山行とは比較になりません。京都大廻りの行などもありますから、行で山から下りることもあるわけです。もちろんそれ以外では、一切、山を下りることはゆるされません。 たとえ親兄弟の葬式があっても、山を下りることはできないさだめです。 

 千日回峰行は、毎年、春にスタートします。 百日間ですので、三月の下旬から七月の初旬まで歩くことになります。ちなみに二百日間を歩くときは、百日が終わってすぐに、間を空けずに続けて行じます。ですから終わるのは、さらに百日後の十月中旬になります。

 行以外の日時――百日が終わった七月から翌年の三月まで――は何をしているんですかとよく聞かれるのですが、翌年の百日の準備以外は、とくに決められておりません。 わたしの場合は、三年麓山行を明けてすぐに大乗院の住職を拝命しましたので、粛々とお寺のお勤めをしておりました。住職という立場は独り立ちしているわけで、自分のお寺の用事をこなさないといけません。ですから、明王堂輪番の阿闍梨さんの指導のもとで行をさせていただきながら、住職としてお寺の用事もするということです。

 回峰行は基本的には、一年のうち百日単位で行じます。回峰行の行中か、そうでない時期かどちらが大変かと言ったら、ある意味、回峰行をしていない時の方が、体力や精神力を維持しないといけないので、大変かもしれません。 

 百日回峰行のときは二十四歳でしたから、体力が絶頂の時です。多少のことではバテないというぐらい、体力的に充実していたわけです。でも、千日に入らせてもらったときは、二十八歳になっていました。 二十五歳を越えると体力は下がっていくということですが、実際に回峰二百日に入るときには体力の衰えを感じました。 まだ二十代でしたが、前のときと同じ感覚でやると間違うな、まずいなと感じましたからね。 

 そういう意味では、もしかしたら千日をぶっ通しでやる方が、一度の期間が長くなりますが、体力が整ってさえいれば、一年一年の気持ちの切り替えがないぶん、テンションもあがりっぱなしで、一気にヒュッといってしまうのかもしれないなと(笑)。 

 まあ、実際のところは、そういうわけにはいかないでしょう。その意味では、何年も年月をかけて千日をおこなう行のやり方は、一年一年ステップを踏まえて積み上げていくわけですから、うまくできているなと思います。 

 ですから、そのステップに合わせて、身だしなみもちょっとずつ変わっていきます。 行の最初は、素足に草鞋を履いて、蓮華笠という笠を手に持って歩きます。笠を頭にいただくことができるのは四百日からで、そのときに足袋を履くことが許され、六百日からは、杖を持って廻ることが許されます。 

 そういうふうにステップごとに変化があって、そのステップの積み重ねの中で、自分がこれから何をなすべきか、そのときにどういう目的を持ってやっていくのか、明確になってくるわけです。 それがうまくいくときもあれば、うまくいかないこともあって、うまくいかないときには、うまくいくように工夫して行じていくわけです。

 このように回峰行というのは、一つできたら、次の所作が加わって、それができたら、 またさらに次の所作が加わってという、大変うまいシステムで出来上がっているわけです。

自分の足で廻る

 回峰行には三つのルートがあります。ここ明王堂を拠点とする回峰行が中心的存在となりますが、先ほども触れた藤波阿闍梨さんや酒井雄哉阿闍梨さんは飯室谷の不動堂を拠点とする回峰行です。 これは酒井阿闍梨さんが三〇〇年ぶりに復興されました。 ほかに現在は途絶えてはいますが、西塔を拠点とする回峰行もあります。

 そんなふうに比叡山には三つの回峰行があります。この三つはコースや期間に若干の違いがありますが、基本は一緒です。千日をめざして、自分の足でお参りして廻るわけです。

 回峰行で巡拝して歩く距離は、伝統的に七里半と言われています。キロに直すと、三〇キロということになりますが、実際にはそれほどありません。この七里半という数字は、仏教の教えに基づいています。仏教では八という数字は悟りを意味します。ですから、悟ってしまうと行自体が完成してしまいますから、悟りの一歩手前で七里半と言うわけです。あくまでも、完成に至る行の途上であるということが大事なわけです。 

 千日回峰行は、相応和尚という方が始められました。平安中期の頃と言われています。 回峰行が今日のような形になったのは室町時代からと言われますが、相応和尚が根本中堂に毎日、花をお供えにいったのが始まりとされています。根本中堂にお参りするために、供華するということです。それを毎日続けられたと。 
(『千日回峰行を生きる』pp.51–55より転載)

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