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一人一人をちゃんと見ませんか?――安達もじりさん書評『歴史的トラウマと日常を結ぶ心理臨床』

記事:明石書店

『歴史的トラウマと日常を結ぶ心理臨床』(著:朴希沙、明石書店)
『歴史的トラウマと日常を結ぶ心理臨床』(著:朴希沙、明石書店)

 在日コリアンが主人公で「心のケア」をテーマにした映画『港に灯がともる』(2025)やNHKドラマ『心の傷を癒すということ』(2020)の監督・演出を務めた私に「書籍の内容に響くものがあるのではないかと思い、不躾ながらお声がけさせて頂きました」と編集者の方から依頼を受けて、本書について寄稿させて頂くことになった。

 日ごろ、いわゆる「研究書」と呼ばれる書籍とはほとんどご縁なく過ごしてきたので、最初はとても身構えてしまったが、読み始めると瞬く間に引き込まれて一気に最後まで読み終えた。「父は在日コリアン2世、母は日本人である」という著者が、在日コリアンに対する実態調査と臨床実践を行い見事な「研究書」にまとめた1冊だが、著者自身の葛藤もまざまざと描かれ、その息遣いまで聞こえてきそうなドキュメンタリーのような著作だ。

 本書は、まず「歴史的背景」「社会的状況」「個人の物語」という3つの視座を元に理論的枠組みを構築していく、という指針を明らかにし、その上で、「私自身について」というタイトルがつけられた第Ⅰ部の「個人の物語」から始まる。「ルーツをめぐる緊張」があった幼少期から、多くの出会いがあり、著者の「世界が開いていく」様子を丹念に振り返っている。「心の叫び」という言葉からも感じられるように、著者がこの研究に挑んだ強い動機が伝わってくる。

 こうした自身の振り返りを起点として、歴史や社会の文脈の中で「在日コリアンの個々人が抱える苦悩」を理論的に再解釈する作業が行われていく。「調査」として行った多数の在日コリアンへのインタビュー、その「検証」、在日コリアンのための専門的なカウンセリング機関を立ち上げるという「実践」。心理的支援の空白地帯となっていたところに、少しずつ、そして確実に、研究者として光をあてていくという時間をかけた試みの記録だ。

自らと向き合い客観視し続ける

「歴史的トラウマとは、歴史的な出来事によって集団が受ける心理的な傷や痛み、より専門的な用語で言えば心的外傷のことを指している」──本書のタイトルにもあるこの「歴史的トラウマ」という言葉を、恥ずかしながら『港に灯がともる』という映画を完成させるまで私は知らなかった。同作は、心に傷を負った在日コリアン3世の女性が時間をかけて回復していく姿を描いたもので、2世の父親との葛藤が軸となった物語だ。「歴史的トラウマ」を描いた作品ですね、と映画を観た人から言われて初めてその言葉を知った。 

映画『港に灯がともる』のワンシーンより
映画『港に灯がともる』のワンシーンより

 著者が立ち上げたカウンセリング機関に訪れる人の多くが女性で、しかも20代が半数近くだというデータが紹介されているが、まさに映画で描いた主人公の世代である。「父による家庭内暴力の問題のほか、親からの進路や結婚に関する干渉」「朝鮮半島からわたってきた祖父母など、縦の関係・歴史との関係が話題に上ることが特徴的」といった検証は、映画制作時に私自身が取材でお聞きした多くの方々のエピソードにも当てはまるものだった。

 こうした著者自身が感じてきた苦しみや生きづらさ――。「本書の根底にある目的は、在日コリアン個々人に生じる苦悩をどのように理解し、その心理社会的支援において何が求められているのかを明らかにすること」と書かれている。個々人の心の問題を歴史や社会の文脈で読み解くという「研究」を通して、著者が自らと向き合い、ひたすら客観視し続けることで自らの心を解放していく過程をたどっているようにも感じられた。

映画『港に灯がともる』のワンシーンより
映画『港に灯がともる』のワンシーンより

誰一人同じ人はいない

 文中に「7歳の時に阪神淡路大震災が起こった」という記述が出てくる。神戸に住んでいると、出会った人との会話の中で何気なく「震災の時、何歳だった」という話になることがあるが、話を聞いていくと、人柄、年齢、いた場所によっても震災の記憶や感じ方は人によって違う。同じ時代に生き、同じ景色を見て、同じ体験をしたとしても、人それぞれ感じることは違う。誰一人同じ人はいないことを痛感する。

 在日コリアンは「集団」で捉えられてきたからこそ、在日コリアンの「個人」の「心」の問題にスポットが当たりづらかったと著者は分析している。だからこそ「集団」として語るのではなく、一人一人に光をあてて理解しようとする著者の真摯な姿勢に、深い優しさを感じずにはいられなかった。本書はあくまで在日コリアンに対する実態調査と臨床実践の研究書だが、全体を通して浮かび上がってくるのは「一人一人をちゃんと見ませんか」というシンプルかつ普遍的な問いかけだ。

 この著作が理論的に構築され説得力を持った「研究書」であることは、とても大きな意味があると感じた。著者が「歴史的トラウマと日常を結ぶ」ために研究者として客観的であろうとし続ける中で、身を切り刻むような苦しみがあったことは想像に難くない。

 だからこそ「おわりに」で書かれた、出会った人々への感謝の気持ちを綴った一つ一つの言葉に、涙が出そうになった。

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