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「日本人以上の日本人」になるか「本当の韓国人」となるか――在日コリアンを苛んできた呪縛の根源は?

記事:明石書店

『在日という病 ――生きづらさの当事者研究』(朴一著、明石書店)
『在日という病 ――生きづらさの当事者研究』(朴一著、明石書店)

在日コリアンが直面するディレンマ

 「ダイエットに成功!」、1977年、韓国高麗大学での海外研究の期間に、本書の著者が近況を伝えるハガキのなかで記した言葉である。「本当の韓国人になりたかった」著者が「日本料理を食べたいという欲望を抑え、あえてハスク(下宿)の食堂で出されるものしか食べないようにした」結果だった(121ページ)。食欲をなくし、10キロ近く痩せてしまったことを著者らしいユーモアでそう伝えてきたのである。韓国での滞在経験(本書の第8章)は、著者が、「日本人でも韓国人でもない」在日としての自己認識を深めるうえで大きな転機となった。それは著者だけではなく在日コリアンのだれしもが直面するディレンマを象徴している。

 日本と韓国・朝鮮という世界的にも稀にみるほどに等質性の高い民族国家のはざまにあって、戦後の在日コリアンは常に日本か本国かの二者択一を迫られてきた。日本社会でルーツを隠し、日本人以上に日本人らしく生きるのか、本名宣言をして「韓国人としての誇りをもって」(27ページ)「本当の韓国人となる」のか、の二者択一である。それは多くの在日コリアンを苛んできた呪縛といってよい。

 本書は、そういう呪縛のただ中を生き、これを乗り越えてきた著者の65年にわたる生活史を「当事者研究とライフストーリーという二つのアプローチを用いて」たどった物語である。在日の生きづらさや不条理を語りながらも、重苦しさを感じさせない書きぶりで、読み始めると止まらない、語りの妙味を感じさせる本でもある。

 本書の構成は、この本の方法やねらいが書かれた「エピローグ」に始まり、著者の出生から大学教員となるまでのライフストーリーをたどる第1章~7章、そして母国留学を扱った第8章を折り返し点に、参政権問題(第9章)と著者のメディアでの活動(第10章)、プロローグへと至る。

「日本人のフリ」が招いた「アイデンティティ・クライシス」

 「第1章 二つの名前」では、著者が植民地期に祖父に連れられて日本に渡ってきた「父が日本人の愛人に生ませた子、すなわち非嫡出子」であった出自が語られる。学校生活で「朴一」という本名をもちながら「新井一」を名乗り、日本人のふりをし続けたことによる「アイデンティティ・クライシス」、さらに中学での「本名宣言」に至るいきさつが、率直かつときにユーモラスに語られる。「第2章 国際結婚のハードル」では、在日コリアンと日本人との恋愛や結婚、ひいては日本人と外国人とのそれをめぐる壁が、様々なケースの紹介や著者自身の体験を踏まえて語られる。「第3章 学生運動と就職差別」では、韓国の強権体制に抗議し民主化を求める学生運動に出会ってこれに取り組んだことや、一部上場企業への就職を目指して講義にまじめに臨んだ「学習法」が紹介される。学生運動と学業を両立させた、当時では、いたって稀な経験といえるが、それでも就職差別の壁は厚く、内定を得た唯一の金融機関も通名での勤務を求められ断念して大学院進学の道を選ぶ。

国籍条項撤廃・参政権獲得運動の到達点と課題

 「第4章 知の鎖国」では、学閥や指導教授のつてがものをいう大学の世界でコネもなく私立大学出身で外国籍の著者が逆境にあってもひたすら論文を書き続けて、大学院の在籍期間最後の年に、心ある教授の後押しもあって立正大学の教員になるまでが語られる。「第5章 さらば指紋押捺」では、外国人登録や指紋押捺制度の不条理が、外国人登録証の不携帯で警察に拘束された経験などを踏まえて説かれる。著者は、「指紋押捺拒否予定者会議」に名を連ね、1986年、外登証の切り替えに際して指紋押捺を拒否した。「第6章 入居差別の洗礼」では、立正大学赴任の際に著者自身が経験した入居差別と、いまも続く外国人への入居差別の現状が、著者も加わった調査を始め様々なデータを駆使して分析される。

 著者は1990年に大阪市立大学に移籍する。「第7章 公立大学への移籍と国籍条項との闘い」ではその移籍の経緯が語られるが、当時、国公立大学のほとんどは「外国人教員任用法」によって任期制を実施していて、大阪市立大学でも3年任期の更新制で採用されていた。この章では、著者が任期なしの更新に至る経緯とともに、ひろく地方自治体の国籍条項撤廃運動の到達点や課題が明らかにされる。

 冒頭で紹介した「第8章 母国留学」は、韓国社会を襲った通貨危機や、保守から進歩への政権交代となった大統領選挙の頃でもあった。国中が沸いた大統領選挙ではいわば蚊帳の外に置かれた在日としての悲哀が語られる。「私が日本人でも韓国人でもない在日という生き方を模索するようになったのは、それからのことです」(136ページ)とされる。

 「第9章 頓挫した参政権運動」では著者自身が取り組んだ地方参政権運動の到達点と課題が、植民地期に付与された在日の参政権が戦後停止されるに至った経緯まで遡って論じられる。「第10章 日韓の狭間で」は、新聞・雑誌・テレビでの著者の発信についての章である。テレビでの発信では、歴史問題をめぐって日韓が激しく対立する中で在日という立場で発言することの難しさが滲む。その「代償」は、「脳出血から脳梗塞と二度の『老いるショック』」だった。エピローグでは外国人労働者の受け入れが不可避となる日本で「在日コリアンの苦い経験」を踏まえることの大切さが改めて指摘される。

日本の移民政策の参照軸となるか

 以上、本書は、在日コリアンの一当事者の山あり谷ありのライフストーリーであるとともに、在日の歩みやアイデンティティの問題、指紋押捺、参政権、国籍などの法的地位をめぐる運動や議論の今日の到達点を知るうえでも有益な情報が満載である。著者は、こうした在日の経験を今日の日本の外国人受け入れ政策の参照軸とすることを提言している。「在日コリアンは戦前の日本の移民労働者受け入れ政策(朝鮮人「労務動員」政策」)から生み出されたもの」(9ページ)という指摘はより綿密な論証が必要であろう。とはいえ、生活者の越境的移動が重要な論点として浮上するグローバル化の時代に、在日の歩みをそうした広い文脈のなかで位置づける試みとしても本書は貴重な貢献であるといえる。

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