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ままならない身体と生きていく――絶対に終電を逃さない女さん×栗田隆子さん対談(後編)

記事:平凡社

手前より、絶対に終電を逃さない女さんの著書『虚弱に生きる』(扶桑社)と、栗田隆子さんの著書『「働けない」をとことん考えてみた。』(平凡社)。SNSでは「あわせて読みたい2冊」という声も
手前より、絶対に終電を逃さない女さんの著書『虚弱に生きる』(扶桑社)と、栗田隆子さんの著書『「働けない」をとことん考えてみた。』(平凡社)。SNSでは「あわせて読みたい2冊」という声も

〈前編はこちらから〉

「学校」と「会社」は地続き?

栗田隆子さん(以下、栗田):人付き合いがうまくいかなかったり、やるべきことができなかったり、そういうのって私の中では小学校時代から続いているなと感じるんですが、終電さんも『虚弱に生きる』で、体育の授業にまつわるエピソードを書かれていましたね。

絶対に終電を逃さない女さん(以下、終電):運動も苦手でしたし、人付き合いも苦手でした。私は会社でちゃんと働いたことがないんですけど、学校で自分が選んだわけでもない集団と毎日一緒に過ごすっていうのが苦手だったので、体力があったとしても会社では働けないだろうと思います。学校といわゆる普通の会社って、地続きだなと感じます。勉強は得意だけど、教室にいることが苦手な子もいますよね。ああいう学校のシステムの中じゃなかったらもっと能力を発揮できたこともあると思うんです。会社でも同じようなことがたぶん起こってるんじゃないかと。

栗田:本当にそう。塾で働いていると、集団でいるのが苦手なタイプの子もいるし、逆にみんなと常に一緒にいたい子もいる。この差はすごく大きいなと思います。私はともすると前者のタイプにシンパシーが湧いてしまうんですが、1日何時間はその場所にいなきゃいけないっていう点も、学校と会社は似ていますね。

終電:栗田さんのエッセイで「会社員の呪縛」について書かれていて、たしかにその呪縛ってあるなと思いました。会社員は自分には無理だと思う一方で、憧れもある。「働く=会社に行く」というイメージが強いので、たまに打ち合わせで出版社に行くと、「働いてる感」があるなって思います。

栗田:やっぱり会社員がいろんな制度の真ん中にいることが大きいと思うんですよ。家賃とか電気代とか、毎月支払うようなものって多いじゃないですか。月単位でお金が入る前提で社会が作られているから。

終電:なにかしらの福祉とかを利用しようと思ったときに、会社員じゃないと普通に困ることが起きたりしますね。社会保障も会社員中心に作られているなと感じます。栗田さんがエッセイで書かれていた「働いているけど、働いていない」っていう感覚はよくわかるなと思いました。

栗田:一般的な「働くイメージ」とずれちゃってるから、自分は仕事してるんだろうか、してないんだろうかっていう感覚は、もうずーっと感じてますね。

栗田隆子さん(左)、絶対に終電を逃さない女さん(右)
栗田隆子さん(左)、絶対に終電を逃さない女さん(右)

不調について説明するのは難しい

栗田:参加者の方から、「虚弱であることを周囲にどう伝えるか」という質問が来ています。私もどれだけうまく説明できているかと考えると心もとないですね。

終電:やっぱり説明できないから、こういう本が出たんだと思うんですよ。今は周りの人たちもみんな『虚弱に生きる』を読んでくれているので、「虚弱なので」の一言で済んでます。

栗田:私も社会運動や物書きのコミュニティだったら、そんなに説明する必要がない。ある種の「虚弱理解コミュニティ」じゃないけれど、そういうのがあるとちょっと楽ですよね。不調について説明しようとすると本を一冊書くぐらいの語りが必要で、そのための時間をとって話を聞いてもらえる状況が、この社会ではまだまだ作られていない気がしています。

終電:読者の方の感想で、家族に『虚弱に生きる』を渡して読んでもらったとか、職場の上司に渡したとか、あとは「会社に黙って置いとこうかな」という方もいて、嬉しかったですね。私自身も、病院に行った時にいまだに「何に困ってるか」っていう説明がしきれていないので、「本を読んでもらった方が早いんじゃないか?」と思います。

栗田:私は医者が変わった時に、私は物書きで、生活面でこういう困ったことがあるという話をするついでに、自分の本を渡しちゃいました。一応読んでくれましたね。医者と言ってもいろんな人がいますし、とんちんかんな感想だなって感じる部分も正直あったけど(笑)。

終電:そうなんですね。私も渡してみます。

栗田:たとえば同じ鬱でも、環境が違えば、治療もまた違う対応が必要かもしれない。あるいは対応しなくていい部分もあるかもしれないし。そういうことを医療の場で把握しておいてもらえることは重要なんじゃないかなって気はするんですけどね。あと、「就労の際にどのようにして折り合いをつけて労働されていますか?」という質問も届いています。

終電:『虚弱に生きる』を出してから、「どうやって折り合いをつけているんですか?」ってよく聞かれるんです。そのたびに「折り合い、ついてるのかな?」って戸惑います。折り合いって、困難がある程度解決した上でつけるものじゃないかと思うんです。私は現状ギリギリ生活できているけれど、今も困難を抱えたままです。まだ折り合いをつけるとかそういう次元にはなってないんじゃないかと。

栗田:ちなみに終電さんは、原稿の締め切りはちゃんと守れるほうですか?

終電:だいたい守ってますね。

栗田:私はダメなんです。調子を崩して迷惑をかけるところからスタートしていて、だから私が折り合いをつける主体じゃないというか、私に対する折り合いを周囲の皆さんがつけてくれているんじゃないか……。「お前は何様やねん」って怒られちゃうかもしれないけど、それくらい全然できてないです。

左:栗田隆子『「働けない」をとことん考えてみた。』平凡社/右:絶対に終電を逃さない女『虚弱に生きる』扶桑社
左:栗田隆子『「働けない」をとことん考えてみた。』平凡社/右:絶対に終電を逃さない女『虚弱に生きる』扶桑社

世間の「わがまま」を問い返す

栗田:「健常でタフな体が前提の労働環境において、虚弱な身体への配慮はどこまでが合理的なのでしょうか?」という質問も届いています。社会運動の文脈でいえば、「青い芝の会」という身体障がい者による社会運動があり、車いす利用者の人たちが乗車拒否に抗議してバスに籠城した「川崎バス闘争」なども起きました。世間から「わがままだ」って言われてきたことに対して「それは本当にわがままなのか」と問い返すというのは、社会運動の中でも蓄積がある。どこまでが合理的配慮かというのは、私は判断できないけれど、「わがままとはなんぞや」っていうことはけっこう考えてきたように思います。わがままか、わがままじゃないかって、一人では決められるようなもんでもないというか。

終電:私は、自分のことをわがままだとは思ってないです。健康になってもっと働きたいとは思っているし、そのためにいろいろ努力はしてるんですけど、本来だったら社会のほうが私に合わせるべきだと思ってます。だから社会に訴えるためにも「わがままじゃないんだ、こんなに頑張っても虚弱なんですよ」って示していきたいなと。また別の方から「いわゆる子供部屋おばさんです。どうすれば自分の虚弱を受け入れられるようになるのか教えてください」という質問も届いています。「子ども部屋おばさん/おじさん」って最近揶揄(やゆ)されがちですけど、別にいいじゃないかと思うんですよ。自立のイメージが、一人暮らしで、自活できるぐらいの収入が最低限あって、家事もやって……というふうになってるけど、人間がそんなことをやり始めたのってごく最近のことで、本来は一人でやれる活動量ではないと思うんですよね。

栗田:そう、便利な電化製品ができたから可能になったんですよね。1990年代後半には、親元を離れず暮らしている人たちを「パラサイトシングル」だと社会学者が揶揄していました。非正規労働の問題も出てきた時代だったのに、それを無視して「パラサイト」という言葉で語っていたのは、すごく違和感がありましたね。

終電:2時間のトークでしたが、終わってみるとまだまだ話したいことがあったなと思いました。

栗田:いっぱい話すテーマがあって、これは本になっちゃうなと感じましたね。お互い少しのんびりしつつ、また生きてまいりましょう。

構成=野﨑真鳥(平凡社編集部)

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