クイズ史から戦後日本をひもとく?!――徳久倫康『クイズの戦後史 「話の泉」、「アメリカ横断ウルトラクイズ」からQuizKnockまで』「はじめに」より
記事:平凡社
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戦後日本はクイズとともにあった。そのクイズの歴史を読み解くことで、戦後日本を新たな角度で捉えることができる。それが本書の主張です。
なぜあえて「クイズ」に注目するのでしょうか。理由はいくつかあります。
第一に、「クイズ」という営みは、わたしたちの時代の気分をよく反映する性質を持っています。たとえばテレビのクイズ番組を想像してみてください。そこで出題されるクイズは、番組に出演している解答者だけでなく、視聴者がなにを知っているのか、なにをまだ知らないのか、どんな情報に興味を持つのかといったことをよく考えて作られます。
すべて知っている情報ばかりでは、退屈でチャンネルを変えられてしまう。逆に知らない情報ばかりでも、関心をひけず離脱されてしまう。クイズ番組はこういったバランス感覚をもとに作られます。
個別の問題だけではありません。番組そのものの建て付けも、視聴者を意識して作られます。『クイズタイムショック』が「現代は時間との戦いです!」と宣言したのも、『アメリカ横断ウルトラクイズ』が「ニューヨークへ行きたいか!」と問いかけたのも、『東大王』が「超難問!」を出題し続けたのも、すべてその背後には、当時の社会のあり方や人々の気分が深く刻み込まれています。
もうひとつ大きな理由は、本書で扱う「クイズ」という題材が、戦後の日本社会とぴったり歩調を合わせて歴史を刻んできたことにあります。日本初のクイズ番組といわれる『話の泉』が始まったのは、終戦翌年の1946年のこと。以降、メディア環境がさまざまに変化しても、クイズ番組が姿を消したことはありません。
戦後日本はずっと、クイズとともにありました。
世の中のコンテンツを通して社会を批評する方法論は「社会反映論」と言われ、実証性のない議論として批判されることがあります。ただ、やり方によっては、コンテンツは十分社会の理解に役立つはずです。そもそも社会全体を丸ごと捉えたり扱ったりすることは困難なので、社会について考えるうえでは、なにか一部分に注目し、理解を深めていくほかありません。
もちろん原理的には、もっとマクロな捉え方をして、「社会全体」についてよりクリアな理論を打ち立てることは可能かもしれません(多くの社会学者が試みてきました)。とくに現代では、AIを使って膨大なデータを解析していけば、従来のアプローチでは見えてこなかった社会像を見出すこともできそうです。
ただ、そこで見出された結論は社会の統治理論としては有用かもしれませんが、わたしたちひとりひとりが実感をもって、自分たちについてよく知ったり、社会のあり方について理解を深めるうえではなかなか役立てづらいもののように思います。
さきほど触れたように、クイズには必然的に、解答者や視聴者のあり方を反映してしまう性質があります。その構造的な特徴を逆手に取って、クイズの歴史をひもとくとともに、それをそのまま、この国のあり方についての理解に結びつける。それが本書の狙いとするところです。
とはいえ、そんなに肩ひじを張る必要もありません。そもそもなぜクイズの歴史を扱うのかといえば、最大の理由はなによりもまず、おもしろいからです。
さきほど、クイズは戦後日本と歩調を合わせて進んできた、と述べました。クイズの歴史を見ていくと、紙媒体の懸賞クイズに市民が熱狂する時代があったり、いまの常識では考えられないような高額賞金(賞品)の番組があったり、アマチュアクイズの世界で信じられないくらい難しい問題が流行したり――といった、びっくりするようなトピックが次々と登場します。そんなことがあったのか!と驚いてもらえれば、まずはそれで十分です。
なんとなくたまにクイズ番組を見る、とか、ときどき YouTube で QuizKnock の動画を見る、とか、クイズゲームがけっこう好きだぞ、とか、そのくらいのライトな関わりの方にこそ、本書は有益な見方を提供できるはずです。本書では、いま挙げたようなトピックを網羅的に扱います。
詳しくなればなるほど、クイズの歴史は奇妙でおもしろい。まずはそれを、楽しんでいただければと思っています。