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高橋直子さんインタビュー「オカルト番組はなぜ消えたのか」

文:北林のぶお 写真:斉藤順子

リサーチャーとしての違和感が研究の契機

――研究者とリサーチャーという二足のわらじは、ずっと続けておられたのですか?

 実際は勤労学生と言った方がいいですかね(笑)。2018年の3月に博士課程を修了したばかりなので、研究員としてはまだ1年目なんです。大学を出てリサーチャー専門の会社に入って、その後はフリーのリサーチャーとして働いていました。母校の大学院の社会人入試を受けた時は、30代半ば。一番働かないといけない時期に学校に通っていたのですから、無謀でしたよね。

――もう一度学び直そうと思ったきっかけは。

 2000年代に入って江原啓之さんらによるスピリチュアル番組のブームが起こって、今までのオカルト番組と違って、モヤモヤとした違和感があったんです。私が直接関わることはなかったのですが、「そこまで言っちゃって大丈夫?」という、リサーチャーとしての問題意識もありました。でも、「何が問題なの?」と言われると、うまく答えることができない……。その納得できる答えを探そうと思って大学院で研究を始めたら、さらに悩んでハマってしまって、結果的に博士号を取るにいたった、という感じですね。

――リサーチャーの仕事というと、ネットにはないような情報を得るため、国立国会図書館などに通うという印象ですが、実際のところは?

 すごく地味ですよ。スタジオ収録に立ち会ったり、タレントさんと打ち合わせをすることも時々ありますが、私の場合、ひたすら図書館を回って、家で資料を作って提出するという、その繰り返しが基本です。20年も続けられたのは、たぶん調べものをするのが好きだからだと思います。自分では興味があっても調べないようなことも、依頼されると調べることができて意外な新発見があったりして、やっぱり楽しいんです。無茶ぶりをされるとテンションが上がってしまう、みたいな感覚があります。

――これまでに担当されたのは、どんな番組?

 人文・社会が得意だと関係者には位置づけられているようなので、その関連分野の番組で依頼を受けることが多いですね。番組名は言えないのですが、ジャンルだと○○○とか……。

――わかる人には、番組の名前が絞られてしまいますね(笑)。

 リサーチャーの仕事としては、企画段階でのネタ出しなどもありますが、最近では、番組を作る際にナレーションで伝える情報がどこまでOKなのか、そのさじ加減などを相談されたり、判断材料となる情報収集を頼まれることもあります。いわゆるコンプライアンスの面で、放送局とは違う目線でチェックするためにリサーチャーが必要とされることが増えていると感じています。

「信じてしまう視聴者もいる」という前提の変化

――リサーチャーにとっては伝える情報の正確性が大切でしょうが、オカルトの分野以外でも、どこまでが事実なのか明確に言えない情報もあると思います。情報の信ぴょう性まで含めて調べて、番組に反映するということでしょうか?

 情報の信ぴょう性、いわゆる裏どりは必須です。さらにいえば、正確であることは当然で、正確であればオールOKというわけでもないのです。例えば、歴史を扱う場合、必然的に価値判断が伴います。歴史上の事実について、ある地域の人はこう解釈しているけど、違う地域の人は別のことを言ってたりすると、その事情を理解して、表現に配慮する必要があります。また、バラエティ色の強い番組、例えば、「本能寺の変」をミステリー仕立てにするにしても、「定説はこうだけど、こういう考え方もできる」というように、一応は段階を踏んで視聴者に説明するわけです。

――「諸説あり」が歴史番組の常とう句だとしたら、オカルト番組は「テレビの前の皆さんは、どうご覧になったでしょうか?」…今でも残る数少ない番組では「信じるか信じないかはあなた次第」というフレーズが使われています。

 197080年代のオカルト番組は、超常現象など真偽を問うことはせず、視聴者が謎やロマンを半信半疑で楽しむという前提で成り立っていました。ただ今は、信じる信じないの判断を委ねている視聴者像が不安定で、「信じてしまう視聴者もいること」を前提にして考えなければいけない時代になっているとも言えます。視聴者の変化もそうですが、番組サイドも謎から感動・奇跡へと、内容の打ち出し方を変えたことも影響していると思います。

――本書では、その変化に至る1990年代から2000年代への経緯が、宜保愛子さんや江原啓之さんの番組の分析を通じて明らかにされていますね。今後のオカルトとメディアの関係はどうなると思いますか?

 オカルト番組がテレビからなくなったとしても、世の中からオカルトのネタがなくなるわけではありません。楽しむにしても真面目に検証するにしても、オカルトに対するリテラシーは必要です。でもそれをどこで身に付けて、誰がどう責任を取るかを考えると難しい。この手の話や宗教の話は、普通は人と会って話題にすることもありません。SNSなどがある種の受け皿になりうるかどうかも含めて、宗教学者としても興味深いテーマではあります。ただ、それを検証できる頃まで、私が生きているかもわかりませんし…。

――いえ、まだまだお若いですし、リサーチャーの能力を生かして今後の研究にも期待していますよ。まさか、本を出したことで、闇の組織に命を狙わているとか…(笑)

 それ、オカルトですね(笑)。情報をあやつる黒幕とか闇の組織が活躍できるのはフィクションの世界だけです。私自身はオカルトやスピリチュアルが好きでも嫌いでもなく、愛好家とアンチのどちらの立場も考察するというスタンスです。でも、昔のオカルト番組のように、謎やロマンをエンターテインメントとして、余裕を持って楽しむことができる番組が消えるのは、一人の視聴者として寂しい気もします。今までは何とも思っていなくても、なくなって初めて良くも悪くも存在意義に気付くものなのかもしれません。

平成の終わりにオカルト番組を再考する意義

――オウム真理教をめぐる番組に関する論文も書かれていますね。

 はい。1989年に、麻原彰晃が初めて出演したワイドショーを取り上げています。地下鉄サリン事件があって彼らの犯罪が次々と報じられ、それを毎日テレビで見ていて、それまで何度もテレビで見ていた教団なのに、なぜ誰も気付かなかったのだろう、どうして防げなかったのだろう、という気持ちがずっとあって……。それを考えるきっかけになればと思って、当時の番組の分析を試みました。本では紙幅を割いて論じませんでしたが、問題関心は相通じるものがあります。

――本書も、元々は博士論文だったとのことですが。

 一般向けに出版するにあたり、再構成して加筆・修正を施しました。タイトルは出版社の方が提案されたもので、リサーチャーとしてはオカルト番組が完全に消えたとは言い切れないのですが(笑)。でも、読者の方々に問題を提起できるのではないかと考えて、このタイトルに決まりました。スピリチュアルブームから10年以上たって、2019年にこのタイトルの本が出ることで、世の中の人がどのように感じるか、それを考えることも意義深いと思っています。

――すごくインパクトのある表紙です。

 まさか黒のカバーになるとは思わなかった(笑)。でも、裏表紙のアブダクション(UFOに連れ去られる現象)のイラストは、とても楽しそうで気に入っています。エイリアンに拉致された体験を語る人の、独特の吹き替えのテンションだったり、あの頃は見ていて面白かったなと思い出したりして。この本は、オカルト好きな人が読んだらもの申したくなる内容かもしれませんが、彼らはこの本の良いところを見つけて楽しんでもくれるはずと期待したいです。かつての番組を知る方々には、わくわくした思い出とともに読んでいただければ。

――昔のオカルト番組を知らない若い世代には、どのように読んでほしいですか?

 番組としてはなくなりつつあっても、テレビでは占い師や風水が話題になることは珍しくないですし、SNSも含めて身近にオカルト的なものは現在も見え隠れしています。この本を読んだ若い人が、昔はこんな番組をやっていたんだと知ってどう思うか、非常に興味があります。ぜひ感想を聞かせていただきたいですね。