善き殺人と、不寛容な寛容――「慈悲」と「包括」の一面
記事:春秋社
記事:春秋社
大乗仏教は、伝統的な部派仏教が出家者に自身の煩悩滅却を目指させていたのと異なり、他者の救済を第一義とし、開祖ブッダの前世譚での修行者としての姿を菩薩(ぼさつ)と言うのに因(ちな)んで、理想的な修行者を菩薩と呼びます。菩薩は、社会で困難に苦しむ他者に対して慈悲を抱き、その苦しみを取り除くための行動(利他行)に邁進します。また大乗仏教では、在家信者を出家者により一方的に教導されるべき者とせずに、貧者への布施などにより社会福祉に努める在家信者をも菩薩として認めました。
大乗仏教の修行者のうちヨーガ(瑜伽)による実践を重んじる瑜伽行派は、4世紀頃、大部の『瑜伽師地論』を編纂しました。その中でも『菩薩地』は最も古い層に属します。『菩薩地』「戒品」では、菩薩が日常生活で他者とかかわる際に為してはならないとして挙げた戒律違反行為を「違犯」(いぼん)と呼びます。
四十条ほどある違犯のうち、第九条は内容上特異です。この条項は、菩薩が他者に対して殺人・窃盗・淫行および虚言・両舌・悪口・綺語を行っても、相手が悪事を働いて罪を犯さないよう、相手に慈悲を抱いて行う限り、違犯ではなく善い行いであるとします。この第九条は、以下に述べるような社会的事情を考慮すると、成立当初の『菩薩地』には含まれておらず、瑜伽行派が『菩薩地』を『瑜伽師地論』の中に編入する過程で挿入された可能性が高いと思われます(本書第十三章一「慈悲による殺人」節参照)。
4世紀半ばから二百年間にわたり北インドに君臨したグプタ朝の時代から、農業生産の向上が見られました。各地の王権は開墾地を拡大し、様々な灌漑設備を建造しました。その結果、王が租税として徴収できる余剰生産物は増大し、国家経済の主な原動力として、農業の比重が商業以上に高まり始めました。
紀元後の仏教教団は、主に大商人など民間の富裕層への布教のために大乗経典を作っていましたが、4世紀後半には、農業中心の経済へと移行しつつある社会情勢を見据えて、主たる経済的庇護者を、民間富裕層から、領地からの高い収益を見込める王族へと転換しました。瑜伽行派では王権との関係強化をはかるため、『菩薩地』「戒品」に、相手に慈悲をかけるという条件付きで、権力をもつ王族向けに、殺人・窃盗・姦淫などを容認する違犯第九条を挿入したという見方も成り立ちます。在俗菩薩としての王が社会の治安維持のために強権を発動して殺人に至る場合もあるでしょうが、第九条は、「慈悲」を拡大解釈すれば、政敵の殺害のみならず、王が係争地に軍隊を派遣して実効支配する「窃盗」も、倫理に反して相手と性的関係をもつ「姦淫」も正当化し得る構造をもっています。
この違犯第九条は、瑜伽行唯識派のみならず中観派でも認められていました。哲学思想の違いを超えて、中世前期にはいずれの仏教教団も経済的に王権に依存していました。そして仏教教団は、ジャイナ教教団が行っていたようには、民間での地道な教化活動を行っていませんでした。パーラ朝はじめ仏教を庇護する王朝が滅び、1200年前後に大僧院が次々とイスラーム軍により襲撃されると、王権依存の体質になっていたことを主要因として、仏教教団は急速に衰退へと向かいました(本書第十八章三参照)。
古代インドの宗教思想は、万物が神性をもつことを積極的に肯定する汎神論(pantheism)の傾向が強いです(本書第十二章二「シャンカラの社会活動」節および第十六章一「汎神論」節参照)。ウパニシャッドの思想家のうちウッダーラカは、宇宙的生命原理を「有」と呼び、太古に有から熱が、熱から水が、水から食物が生じた後、有が自らこれら三原理に入り込み、人間を含む万物を形成したと説きました。ヤージュニャヴァルキヤは、不滅の精神アートマンが「内制者」として万物の内部に宿っており、人間の場合、それは心臓の最内奥に存在する光明であると説きました。「アートマンは万物の爪先まで入り込んでいる」とすら言われています(『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』1.4.7)。
また、紀元前後に成立した『バガヴァッド・ギーター』をはじめ、人格神への信仰による救済を説くヒンドゥー教聖典の多くも、古代からの内在的神観念を受け継ぎ、神は被造世界を超越しつつも個々人のうちに宿っているという「万有内在神論」(panentheism)を説いています。
汎神論的傾向の強いヒンドゥー教には、他宗教の神を最高神の現れの一つとして取り込む包括主義(inclusivism)の傾向が見られます。相手の神を自らの最高神の次元の低い現れと見なすものの、少なくとも排除はしません。また古代から中世前期にかけての分権性の強いインド社会では、特定の宗教が国教として一国の宗教界を独占することもありませんでした。インドには古代中世以来、多様性を尊重する風土があります。
ただしヒンドゥー教の包括主義は世俗の階層社会を温存するものです。このため中世以来、一般社会でのムスリムへの改宗は、地域によっては下層の人々が生活向上を目指し集団的に行っていました。またムスリムは神の唯一性と信徒間での平等を強調します。神学的立場の差異と社会構造の問題もあって、融和は容易ではありません。1992年には「アヨーディヤーのモスク(バーブリー・マスジド)はヒンドゥー教聖地に建てられたものであり、ヒンドゥー教徒はこの聖地を奪回すべきだ」と扇動された暴徒が、このモスクを破壊する事件が起きました。包括主義の宗教には、他宗教の神を一切認めない極端な唯一神教よりも信者に宗教的寛容を促す可能性がありますが、自分ファーストの傾向を政治的に利用された場合には、他宗教信者との緊張を高める可能性もあります。しかし後者の可能性はどの宗教にもあり、移民が増加している他国でも、宗教による排他的大衆運動が見られます。デュルケームの言う「集合的沸騰」を排他的に引き起こし得るのは、ヒンドゥー教に限られたことではありません。
大乗仏教における「慈悲による殺人」と、ヒンドゥー教における包括主義と排他性の併存は、一見すると全く別々の現象に見えます。しかし両者は、宗教が権力や社会秩序と結びつくとき、現実に適応して存続していくために、往々にして、本来の理念を部分的に裏切るかたちに変容するという点で共通しています。人を救うはずの仏教の慈悲が殺人を正当化し、他者を包み込むはずのヒンドゥー教の寛容が排他性と結びつくのですから。宗教は教理体系として存在するかぎりでは整合的であり得ますが、社会の中に入り込むとき、その整合性はしばしば崩れ、矛盾を抱えたまま人々に向かって現実に働きかけるものとなると言えるでしょう。