経典に登場する仏菩薩の名前から解明する、大乗仏典成立の謎
記事:春秋社
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大乗仏教の特徴として、利他行や菩薩信仰などとともにあげられるのが、他土仏信仰である。仏が時間的にも空間的にも拡大解釈されていく中で、私たちのいる世界だけではなく、別の世界にも悟りを開いた仏がいると考えられるようになった。その代表が極楽世界にいる阿弥陀如来であるが、その他にも妙喜世界の阿閦如来などがいる。
他土仏信仰を受けて、この娑婆世界にいながらにして観想する三昧を説く観仏経典がつくられるようになる。その最も古いものが『般舟三昧経』であり、西暦紀元前後に成立したと推測される、大乗仏典でも最古層に位置する経典である。
この経典の冒頭にはバドラパーラをはじめとする八人の菩薩があげられる。その名前をあげると、バドラパーラ、ラトナカーラ、グハーグプタ、ナラダッタ、スシーマ、マハースサールタヴァーハ、インドラダッタ、ヴァルナデーヴァである。彼らはインド各地に住む在家居士であり、出家者ではない。いわゆる在家菩薩と呼ばれるグループに位置する八人は、『賢劫経』など他の経典にも登場する。
そして興味深いことに、その後に成立した『大品般若経』や『法華経』などでは、倍の十六人の人数となるが、十六在家菩薩として引き続き登場するのである。このように、初期大乗仏典において八人ないし十六人の在家菩薩は欠かせない重要人物なのである。
上で八人の在家菩薩の名前をあげたが、恐らくほとんどの方が聞いたことがない名前だったと思う。大乗仏教の菩薩といえば、普通は、観音菩薩や文殊菩薩、普賢菩薩、弥勒菩薩などが頭に浮かぶだろう。観音をはじめとする彼らは出家している大菩薩といえるが、『無量寿経』『法華経』『維摩経』などにも登場し、先ほどの在家菩薩と共にあげられている。
在家菩薩よりも後に登場した彼らは、次第に主要メンバーに格上げされていくようになる。インド仏教では重要な菩薩を八人のグループでまとめるようになり、いくつかの組み合わせが生まれた。これら八大菩薩のうちインドで最も多くの作例を残しているのが、七世紀成立の『八大菩薩曼荼羅経』に基づく八大菩薩で、弥勒・観音・文殊・普賢・金剛手・除蓋障・虚空蔵・地蔵の八人である。この中後期の段階ではすでに、生身の人間である在家菩薩はすっかり人気をなくし、仏国土間を瞬間移動できるような超人的な大菩薩に信仰が移ってしまったのである。そして、この八大菩薩は密教の曼荼羅へと引き継がれていく。
それではなぜ『般舟三昧経』で八人の在家菩薩が登場したのか、それがなぜ他の初期大乗仏典にも受け継がれたのか。その理由を著者は次のように述べている。
『般舟三昧経』の八人の在家菩薩のモデルを、大乗仏教興起の時代に活躍した在家信徒に求めたが、当時のインドに生活していた実在の人物に近い存在としてイメージされており、超人的な能力をもった大菩薩ではなく、生身の人間でも成就できる三昧の伝承者とされていたからであった。(299-300頁)
私は、その理由を、般舟三昧に入って他土仏の説法を聴いた菩薩は、「人の為めに之を説く」ことが許されたからだと考えている。つまり般舟三昧を成就した菩薩は、自らが仏から受けた啓示によって新たな教説を説くことができ、これが第一結集以来の口誦に基づかない新たな経典、つまり大乗仏典に発展したのではないか?(295頁)
要するに、大乗仏教という新たな運動のために新しい経典を紡ぐためには、三昧を通しての啓示が必要であり、当然ながら私たちと同様の生身の人間である必要があったわけである。著者はこの説を裏付けるために、近代においてインド仏教復興に大きな役割を果たしたアナガーリカ・ダルマパーラとチベット仏教のドムトゥンの例をあげている。時代も地域も異なるが、両者とも、出家者には蓄財や交友などに大きな制限があるために、在家にとどまって教団のために身を尽くした人物である。
かつて大乗仏教の起源については、平川彰氏の在家仏塔起源説が一世を風靡したが、その後考古学的な反証もあり、在家起源説は下火になってしまった。著者も「ある意味で平川説のリバイバルといえる」と述べているように、経典に登場する菩薩という新たな視点から再び検討した本書の説は、インドにおける在家と出家の関係を改めて考えさせる内容である。
(文・春秋社編集部)