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虚実の境のさまよえる台湾人――朱和之『風の神のいたずら』翻訳によせて(前編)

記事:春秋社

江文也『台湾の舞曲』スコア、春秋社蔵
江文也『台湾の舞曲』スコア、春秋社蔵

忘れられた作曲家・江文也

 いまいちぱっと芽が出ない。昔の友達はちゃんとした職についているというのに。心なしか家族の眼も厳しい気がする。才能なんてあるんだろうか? もしかして人生の道を過った? なんの自慢でもないが、私は三十代半ばくらいまでこの種の心の声が聞こえていた。世の人がもっと早いうちにケリをつける、自分の才覚への見極めがついていなかったわけだ。だからこそ台湾出身の作曲家・江文也(こう・ぶんや、1910~1983)をモデルにしたこの小説は妙にグサグサと心に刺さった。とにかく主人公は迷い続けるのだ。時代にもアイデンティティにも。だがもしかして彼が本当に迷っていたのは自分の天分だったのではないか――と、ふと我に返る。そんな翻訳の日々を本作『風の神のいたずら』とは過ごさせてもらった。

 江文也は日本統治下の台北に生まれた。6歳から12歳までを父が商売を営む福建省の厦門(アモイ)で過ごし、13歳からは日本に「内地留学」して学んでいる。22歳のときにコロムビアレコードの歌手募集に応募して採用され、24歳で作曲に転向すると同年の日本音楽コンクールでいきなり作曲部門の第2位を勝ち取った。26歳で『台湾の舞曲』によりベルリン・オリンピック芸術競技で入選し、そこからは声楽曲『生蕃(せいばん)四歌曲集』、交響曲『孔廟大晟(たいせい)楽章』、舞曲『香妃』などを次々に発表していった。28歳からは北京で教鞭をとっている。

 年譜形式にしてみると、なんとも華々しい作曲家人生に見える。とはいえ人生の渦中にいる当人はそんな未来が見えようはずもない。初めての入賞時にはこんな感想を残している。

「御入賞御悦び申上げます」 どなたも他の人々と同じやうに挨拶するけれど、今の私では、この言葉をきくと、心臓がチクンと刺されるやうな気がする。…「誰に理解されたのか?」 如何にもよく書けて居た。旋律も美しく、形式もまとまつて、色彩も豊富だつた。が、如何にもよく書かれただけで、聞いた後は何人にも残らないやうなものぢやないだらうか。…『月刊楽譜』23巻12号、1934年

 後のオリンピック入選は彼の名声を一層高めた。しかし彼が期待していた「理解してくれる」同業者の作曲家たちからの「御悦び申上げます」以上の評価はなかなか得られなかった。

 江文也が作曲家として「成功していた」のは間違いない。映画音楽の依頼は彼の懐を潤したし、北京に渡ってからは政治的な曲とはいえ『東亜民族進行曲』を流行曲にした。もっとも有声映画(トーキー)が普及して間もない当時の映画音楽はまだまだ「余業」で、それは「理解されたい」彼の心の空白を埋めてくれるものではなかっただろう。同じくアレクサンドル・チェレプニンに師事した兄弟弟子には、『座頭市』や『ゴジラ』の音楽を手掛けた伊福部昭(1914~2006)や、「世界のクロサワ」を支えた早坂文雄(1914~1955)がいることを思うと、もし彼が戦後も日本に留まっていたら、映画音楽の巧手として名を残す人生もあったかもしれない。

 戦後の混乱のなかで中国に留まった江文也は、政治運動の嵐に巻き込まれ、日本の音楽界に存在を忘れられたまま1983年に息を引き取った。

虚実のはざまで

 モデルにした、と先に書いた通り、本作の主人公は「江文也」だが、その軌跡は必ずしも史実と一致しない。本作はあくまで虚実をとりまぜた小説であって、伝記やノンフィクションではない。

 1980年代、江文也の存在は台湾において再発見され、作曲家としての再評価がなされていった。彼の再評価は、民主化のなかで「台湾人による台湾人の歴史の見直し」が進んでいった時期に重なる。現在では、江文也と同じく日本・台湾・中国のすきまを回り、己の才能を信じて(そして時に信じられなくなりながら)自分を生きていこうとした人々が少なからずいたことがわかっている。

 例えば小説に登場する洋画家の郭柏川(かく・はくせん)にしても映画人の劉吶鴎(りゅう・とつおう)にしても、すきまの領域を往復しながら、己の存在の寄る辺のなさに悩み続けた台湾人たちであった。劉吶鴎は日記にこう書き残している。

 母は私が帰郷しなくてもよいと言っている。ならば、私がもう一度上海へ行くことも可能だ。親しい友達がいるわけでもないが、にもかかわらず私の将来の土地だ! しかし東京は何を以てこれほど私を引き付けるのか? 美女か? ちがう。友人か? ちがう。おそらく、あの修養の目であろうか? 台湾は行きたくない場所だ。しかし家の園林を思うと、そんなふうにも言いたくない。三澤真美恵『「帝国」と「祖国」のはざま――植民地期台湾映画人の交渉と越境』(岩波書店、2010年)より引用

 彼らは日本にも、中国にも、ことによると自身が飛び出した台湾にすら居心地の悪さを感じた人々でもあった。台湾の過去を虚実定かならぬ筆致で繰り返し描いてきた著者・朱和之氏が「江文也」の身を借りて「かつていたであろう台湾人たち」を描いた、と本作を捉えることも可能だろう。

 虚実定かならぬ台湾の過去を描く手法は、朱和之氏の専売特許ではない。むしろ戦後台湾の歴史小説の一ジャンルと言ってもいい。常の人ならざる英雄や偉人を描くのではなく、等身大の台湾人を描くことで、かつてあっただろう「台湾人のありのまま」を描こうとする手法だ。

 古くは1960年代の鐘肇政(しょう・ちょうせい)による「濁流三部作」シリーズに始まり、近年では国際ブッカー賞を受賞した楊双子(よう・ふたご)の『台湾漫遊鉄道のふたり』(日本語訳は中央公論新社より2024年に刊行)に至るまで、この「かつていたであろう台湾人たち」の物語の系譜は続いている。より視野を広げれば、映画監督の侯孝賢(こう・こうけん)による作品群、いっそ1960年代の白色テロ時代を舞台にしたゲーム『返校』(製作:赤燭遊戲)だって、虚実定かならぬ台湾の過去の物語に連なるかもしれない。

 過去をいかに描くか? 過去でいかに語るか? 台湾のクリエイターたちによる虚実の世界の一端を、ぜひ本作『風の神のいたずら』でも味わってみてほしい。

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