最近、生活の中に音楽がない。会社員をやっていた頃は通勤時にスマホで適当なプレイリストを再生することもあったのだが、専業作家になってからというもの引きこもってばかりで、移動時間そのものがなくなってしまった。
人が歌っている曲が流れていると歌詞に集中してしまうため、執筆中にはなるべく何も聴かないようにしている。無音の環境で仕事するのもなんだか寂しい感じがして、たまにYouTubeで「集中できる音楽」みたいなタイトルのBGMを探すこともあるけれど、そういうのはたいていゆったりした曲。聴いているうちにすやすや寝てしまうので、やはり執筆のお供には不向きだ。──あまりうるさくなくて、それでいて気分が上がるような曲調で、さらに人の声が入っていない曲があれば作業用BGMとして完璧なのだが、なかなか理想的なものが見つからない。ただのわがままである。
そんなわけで流行りの曲には疎いのだが、決して音楽に興味がないわけではない。学生時代は吹奏楽部や合唱サークルに所属していたり、習い事としてピアノをやったりと、音に囲まれた毎日を送っていた。
特にピアノを触っていた期間は長かった。4歳の頃から近所のピアノ教室に通い始めて、確か20歳くらいまでは続けていたと思う。こう書いてみると凄く音楽家っぽい感じがするけれど、実のところ腕前はそうでもない。ピアノの先生とお喋りするためだけに通っていたようなものだった。先生は明るくさばけた人柄で、いつも私のくだらないおしゃべりを笑って聞いてくれていた。飽き性の私が15、6年も続けられたのは、教室が私にとってただただ楽しい場所であったからだと思う。
そんな超ゆるいピアノ教室だが、発表会は盛大に催されていた記憶がある。市のホールを貸し切って行われる、2年に1度のビッグイベントだ。小学生の頃は先生から指定された曲を演奏していたが、好みが出てくる年頃になると自分で発表会用の曲を提案できるようになった。そうして私が初めて選んだのが「メイプル・リーフ・ラグ」だった。1899年に発表された、ラグタイムの名曲である。
ラグタイムというのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカで流行した、ジャズの源流とも言われる音楽ジャンル。そして「メイプル・リーフ・ラグ」は“ラグタイム王”と呼ばれたアフリカ系アメリカ人の作曲家、スコット・ジョプリンによって手がけられた作品だ。同じ作曲家が作った曲だと、「ジ・エンターテイナー」は映画やCMでよく使用されているので、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。
なぜその曲を選んだのかと言うと、単純に、聴くのも弾くのも楽しいから。黒人音楽に強い影響を受けているこのラグタイム曲は、左手で規則的なリズムを刻みながら右手でシンコペーションのリズムを伴うメロディを展開していくという特徴を持っている──つまり、弾いているうちに右手と左手のリズムがどんどんずれていくような感覚を覚える曲なのだ。それが難しく、そしてとてつもなく楽しい。特に終盤にやってくるメロディは、思わず口ずさみたくなるほど楽しい。練習中、指がもつれそうになる度に選曲したことを後悔するのに、結局は「まあ楽しいからいっか」と笑ってしまいたくなるような、そんな曲である。その魅力に乗せられて珍しく真面目に練習した私は、発表会でもそれなりに上手く「メイプル・リーフ・ラグ」を演奏した。
ピアノを弾いていた日々が私の創作活動に何らかの影響を及ぼしたことは、たぶん一度もない。知識も技術もほぼゼロなので、この先音楽ミステリーが書けるとも思えない。でもきっと、ピアノという一つの趣味を長く続けたことそれ自体が、人生の財産となっている。小説の執筆は15歳の夏休みから始めたので、今年でやっと10年目に突入する。ピアノよりも長く、楽しく続けていけたらいい。
このエッセイを書くにあたって、久しぶりに「メイプル・リーフ・ラグ」を聴いてみた。やっぱり素敵な曲だ。気分が上がるような曲調で、そのうえ人の声が入っていない──これだ! というわけで「メイプル・リーフ・ラグ」はここ最近、作業用BGMとして私のスマホでヘビーローテーションされている。