なぜ英国はガーデニング王国なのか? 英国特有の建築事情、文学や芸術との深い関わり――安藤聡『英国庭園の文化史』
記事:平凡社
記事:平凡社
英国は文学や演劇や大衆音楽、近代科学や保存鉄道やバードウォッチング、風俗画や風景画、あるいは紅茶をめぐる独自の文化や奇妙なスポーツの国であるのと同程度に、庭の国でもある。英国には例えばハンプトン・コートやブレニム・パレス、ラウシャムやスタウアヘッド、あるいはヒドコット・マナーやシシングハースト・カースルを始めとして、庭好きの「聖地」として人気を博している歴史的名園が700以上あり、ナショナル・ガーデン・スキームに登録され何らかの形で一般公開されている個人宅の庭も3,000を大きく上回る。毎年5月にはロンドンのチェルシー地区で盛大な園芸祭チェルシー・フラワー・ショウが開催され、それも100年以上の歴史を持つ。英国のテレビには、既に10数年継続しているITVの人気番組『ラヴ・ユア・ガーデン』や、半世紀近く続いているBBCの長寿番組『ガーデナーズ・ワールド』など、造園に関する番組が他国と比べて明らかに多い。なぜ英国ではこれほどまでに庭園文化が興隆したのであろうか。思いつく限りいろいろな角度から考察したい。[中略]
英国がガーデニング王国である理由の一つは、古いカントリー・ハウスやコテッジが多く残っていることである。カントリー・ハウスとはおよそルネサンス時代以降の貴族・地主階級の邸宅であり、ロンドンなど都市部の別宅タウン・ハウスに対して田舎の本宅を指して言う。中世のマナー・ハウスに相当する、近世・近代の田舎屋敷と理解しておけばよい。英国には1,000軒以上のマナー・ハウスやカントリー・ハウスが現存する。この種の邸宅は当然のことながら、広い敷地を有し広大な庭園を持つ。各々の屋敷には18世紀初頭までの整形庭園、18世紀中葉以降の風景庭園など、それぞれの時代の様式に則した庭園が造られ、ナショナル・トラストやイングリッシュ・ヘリテッジ、あるいは個人や個別の保存団体によって、保存され一般公開されているものも少なくない。
一方、コテッジとは田舎の小さな家である。元来は農村の労働者の住居で、このような家に住む労働者を cottager と称した。だが18世紀から19世紀初頭にかけての第2次囲い込み運動から産業革命に至る流れによって、農場労働者は都市部に移住して工場労働者となり、都市の人口急増や工場の排煙による環境悪化を忌避した中産階級が入れ違いに田舎のコテッジに住み始めたことで、コテッジに庭を造る文化が定着した。
もともとコテッジに住んでいた労働者たちもそれなりに実用的な庭を造っていて、その様式には特に定められた規範も流行の変遷もなく、それがいわゆるイングリッシュ・コテッジ・ガーデンの原型になっているのだが、19世紀に中産階級が意識的に庭を造るようになったことで、英国式庭園の一つの様式として確立した。こうしてこの頃、英国の庭園文化の主役がカントリー・ハウスの庭からコテッジの庭に代わったのである。英国の(あるいはイングランドの)庭園と言った時に、多くの人がイメージするのは風景庭園かコテッジ・ガーデンのいずれかであり、むしろコテッジ・ガーデンこそが「英国の庭」だと思っている園芸愛好家も少なくないのではないか――そのことは例えば日本の園芸雑誌を見ても明白である。
このように、カントリー・ハウスであれコテッジであれ、庭を造るに相応しい古い家が多く残っていることが、英国が庭の国であることの背景として重要なのである。規模にかかわらず、古い趣のある家であればそれに似つかわしい庭を造りたくなるのが人情というものであろう。マンステッド・ウッドやベス・チャトウ・ガーデンズなど、庭を造るために家を建てたという例もあるが、庭は個人宅であれ公共建築であれ、建造物の存在を前提として造られるものなのであり、英国では古い価値のある建造物の存在が庭造りの動機になっていると言えるに違いない。[中略]
英国は園芸王国であるばかりでなく、児童文学王国でもある。『不思議の国のアリス』、『ピーター・パン』から『ホビット』、『ナルニア国物語』そして『ハリー・ポッター』まで、英国には児童文学(特にファンタジー)の名作が極めて多い。英国の園芸文化の興隆を支える古いカントリー・ハウスやコテッジが多く残ること、気候や風景、あるいは生態系の多様性は、実は児童文学(特にファンタジー)の名作を多く生む背景ともそのまま重なっているのである。
英国児童文学の最高傑作の一つと目されるフィリッパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』(1958)にいみじくも示されている通り、「囲われた庭」は保護され限定された自由を保障された幼年時代の暗喩となり得る。一方で『不思議の国のアリス』(1865)においてたびたび言及される「美しい庭」は、幼年時代の終焉に近づきつつあり思春期の手前で当惑するアリスにとって、早晩去ることを余儀なくされ二度と戻れない幼年時代と、まだ近づくことが許されない(例えばチョーサーが「貿易商人の話」で描いたような性的連想を伴う)大人の世界という二重の意味を持つ。いずれにせよ、囲われた庭は何らかの意味で現実とは異なった異界・別世界という意味を暗示するものであり、その意味でファンタジーと極めて親和性が高い。
英国児童文学の第一次黄金期は『アリス』から『ピーター・パン』に至る19世紀後半から20世紀初頭にかけてであった。この時期が、コテッジ・ガーデンの復活からアーツ&クラフツ庭園の確立(このことについては本書第4章から第6章で詳述する)に至る時期とほぼ一致していることも、単なる偶然ではなかろう。ヴィクトリア時代は急激な変化の過渡期であり、このような先の見えない不安が蔓延した時代(「歴史的危機」と言い換えてもよかろう)には内省的な芸術文化が興隆するものである。同時代へのアンチテーゼの(場合によっては無意識の)表明としてのファンタジーとコテッジ・ガーデンは、同じ背景から生じたものなのであった。アーツ&クラフツ庭園においては、生垣や塀で敷地をさらに区切って小さな「囲われた庭」を複数造るということもよく行われた――この「小庭園」を「個室」rooms / compartments と称する。これは庭が「囲われている」ことを強調して、同時代の現実世界へのアンチテーゼという意味合いをより強めているとも解釈できるし、より多くの「別世界」を創造する試みであるとも考えられよう。
英国では様々な分野でアマチュアの活躍が顕著である。ラグビーやクリケットなどの運動競技のみならず、科学においても例えばチャールズ・ダーウィン(1809~82)は大学にもいかなる研究機関にも属さない在野学者(gentleman scholar)であったし、アイザック・ニュートン(1643~1727)も研究者として過ごした半世紀を超える歳月の前半はケインブリッジ大学教授であったが、後半は王立造幣局監事を務める在野学者であった。代表的著作の一つ『光学』(1704)はその後半期に書かれている。サミュエル・ジョンソン(1709~84)の『英語辞典』(1755)もまた完全に素人の仕事であり、その100余年後に編纂が始まった『オクスフォード英語大辞典』(初版1928)もその編集主幹の一人で最も重要な人物と言えるジェイムズ・マリー(1837~1915)は素人学者であり、用例の収集にはおよそ3,000人の一般人の協力があった。
造園もまた、素人の活躍が顕著な分野の一つであり、スタウアヘッドやスタッドリー・ロイヤル、あるいはペインズヒル・パークなど、素人が自作した自邸の庭が歴史に残る名園となった例も多い。自宅マンステッド・ウッドの庭を造った時点ではガートルード・ジークルも造園家としては完全な素人であったし、皇太子時代のチャールズ3世の園芸顧問を務めたロウズマリー・ヴィーアリーも同様に、造園愛好家として自宅バーンズリー・ハウスの庭を造ったことで注目を集め造園家として大成した。英国の庭園文化史にはこのような例が多数見出せる。
英国の社会人類学者ケイト・フォックスが指摘するように、都市部の住宅街に住む英国人にとって庭(特に通りに面した前庭)の手入れは強迫観念であり義務でもある。庭を美しく保たなければその地域全体の景観を損ねることになり、それはその地域の不動産価格にまで影響するらしい。このように、英国人が庭を造る理由や背景は実に多種多様である。
*WEB掲載にあたり一部編集を行いました。
序章 なぜ英国はガーデニング王国なのか
第一章 イングランド式風景庭園の成立――その文学的背景
〈コラム〉スタウアヘッドの風景庭園――創造された神話的風景
第二章 英国式コテッジ・ガーデンの成立あるいは発見――いわゆる「英国風の庭」
〈コラム〉優れた造園家でもあった詩人ワーズワースの庭
第三章 『アリス』の庭と『トム』の庭――ヴィクトリア時代の英国庭園
〈コラム〉ヒドコット・マナーの庭――パリ育ちの米国人による英国の名園
第四章 ウィリアム・モリスの庭園論――現代英国庭園の規範
〈コラム〉『ハリー・ポッターと秘密の部屋』に見る庭と階級
第五章 ロビンソンとブロムフィールドの論争――庭はナチュラルであるべきかフォーマルであるべきか
〈コラム〉キプリングの庭―癒しとしての造園
第六章 マンステッド・ウッドに見るイングランド的特質――「色彩の魔術師」ガートルード・ジークルの庭
〈コラム〉『秘密の花園』の庭――バーネットのグレイト・メイサム・ホール
第七章 二十世紀の女性造園家――エレン・ウィルモットからベス・チャトウまで
第八章 公共交通機関で巡る英国庭園史
あとがき